2019年12月31日火曜日

ツイイト・セレクション2019 選外

関連記事: 「ツイイト・セレクション2019」 

[1] フランダースの犬とかけて、ナ行変格活用とときます どちらもいぬとしぬでしょう

[2] K. 如才のほしいものリスト
・いくら醤油漬け
・「帰宅部活動記録」のBlu-ray
・何らかの実
・ヒ素
・ホルマリン漬けの目玉
・銃剣付き自動小銃
・覚醒剤
・完全な球体
・フォロワーのみんなとお揃いのキーホルダー
・平和で穏やかで幸せな日常
・君の笑顔

[3] 俺が神だったら地震も暴風雨も全部なくすし世界をもっと愛で満たす

[4] 高度経済成長期の日本では、棍棒(cudgel)・大麻(cannabis)・偽造通貨(counterfeit note)の「3C」の普及が急速に進んだといわれている

[5] 友達が「使った教科書は燃やすでしょ。焚書坑儒は昔からの伝統じゃん」と言っていて、やっぱトんでるなコイツと思った

[6] 緊急対決!ゴリラ vs. ウェットティッシュ

[7] 筆を誤っている弘法大師よりも木から落ちているサルの方が面白いし、川を流れているカッパに至っては弘法大師の256倍は面白い

[8] 俺んちの減塩醤油に勝手に塩入れたの誰?

[9] おはよう!今日も素敵だね もしかして、うんちしてきたばかり?

[10] ね、こんな退屈なパーティーなんか抜け出してさ、2人でお手洗い行かない?

[11] 殺人は犯罪の女王(格言)

[12] 乗り物は乗ると便利なのですごい

[13] いつメンで飲み!みんなキャラ濃すぎ笑 とか言っている奴らのキャラが本当に濃かってもそれはそれで嫌だな

[14] 「時間」の性質がヤバい!年収は?彼氏はいる?空間との関係は?現在とは?そもそも実在する?調べてみた!

[15] 雨とかいうやたら上から落ちてくる意味不明な水マジで何なん?上昇志向のない奴は大成しねえよ

[16] わざわざ調べてまで別解を書いて先生の誤採点を誘発しようとするようなひねくれた小学生がその後どう育っていくのかを知りたければ私を見てください

[17] もう存在なんてしたくないのに世界に無理矢理存在をやらされているせいで気分は最悪

[18] 「如才さん点滴で麻薬流し込んでそう」って言われたことを一生の誇りとしていきたい

[19] 司法解剖の結果、被害者が死んでいることが明らかになった

[20] 人生に閉塞感があるからビオフェルミンを飲んで治療している

[21] 薬物の危険性を啓発する活動を見るたびに感じるのだけれども、俺って薬物の危険性を十分に教育された結果として”こう”なっているわけで、かなりタチが悪いと思う

[22] 価値観の変化で「早く結婚しろ」といった発言がハラスメントとみなされるようになったように、「早く就職しろ」「働け」といった発言がハラスメントになる日は近い 俺は時代を先取っていくぞ

[23] これから毎日なるべくファルコン・パァンチ!と叫びながら起床するよう心がけようかなあ

[24] お前最近変わったな 主に口内炎の数とかが

[25] ♪たとえば君が 傷ついて
        くじけそうに なった時は
        かならず僕が 傷口に
        塗ってあげるよ

        は・か・た・の・塩

[26] 麻薬探知犬、麻薬の匂いだけ覚えさせられてせっかく見つけた麻薬をもらえないのかわいそう

[27] 殺すって言葉コロコロしていてかわいいな そのうちタピオカみたいに流行るんじゃないか

[28] とりあえず「例えば世界中を敵に回したとしても僕だけは君の味方さ」と言っているやつの敵に回るか それ以外は後で考えよう

[29] スマブラの遊び方の説明をするときは、いつも「Aは殴る蹴るなどの暴行を加えるためのボタンで〜」と始めているようにしている

[30] お前は俺が全ての文末に顔文字を付けたとしても俺と会話してくれるか?(*^_^*)

2019年12月4日水曜日

CBDオイルの出荷停止の件

大麻に関しては、葉や花の利用は違法だが茎と種子の利用は合法である。エリクシノール社のCBDオイルは、茎と種子から抽出してTHCを取り除いた合法な製品であるという触れ込みだった。そこに葉も使われていたのではないかという疑惑が持ち上がって、出荷停止になってしまった。残念ながら、今も買えないままである。

(参考: 「大麻ビジネスも「ガラパゴス化」に陥った日本の残念な現状」 ダイアモンドオンライン、2019/12/4閲覧)

このことをツイートしたところ、「ついに【如才】さんも豚箱行きか」「収監されたら差し入れしますね」などという反応があった。いくら私が普段から麻薬ネタを好んでいるからといって、全くひどい扱いである。

今の所私はシャバにいるので安心してもらいたい。
結局、別の会社からCBDオイルを買うことにした(ツイート)。今度はエンドカ社のものだ。これはエリクシノール社のものよりも"効く"感じがある。 摂取すると頭が冴えて元気が出てくるような気がする。味も効果も"強い"ので、使用する場合は少量から試すようにするべきだろう。

2019年11月15日金曜日

[R-18]CBDオイルと催眠音声

この記事では、成人向けコンテンツの話題を扱う。従って、18歳未満の方のこの記事へのアクセスを禁じる。また、当然ながら性表現が含まれるため、苦手な方は注意してほしい。 「続きを読む」は、以上を了解の上でクリックされたい。

2019年11月11日月曜日

物理学と哲学の接点: 「谷村ノート」の感想


いわゆる「谷村ノート」が議論を呼んでいる。物理学者と哲学者が「時間」について議論して、話が噛み合わなかったというのが事の発端で、その議論について物理学者側から振り返ったものがこのノートのようである。
私は学部で物理を少し勉強したことがあるだけの人間で、特にこれらの問題について深い知識を持ち合わせているわけではない。問題のノートに関しても、よく分からない部分、興味を持てずに読み飛ばした部分が多々あった。そもそも元となった本も読んでいない。従って私の感想など傾聴に値するものではないだろうが、さとう君の「是非いろんな意見が聞きたい」というツイートを(自意識過剰にも)このブログに対するリクエストであると解釈して、つらつらと書いてみることにする。
なお、私が読んだのは2019年11月5日の増補版であり、ページ数の表記もそれに従うことにする。

・「物理的状態に帰すことのできない意識状態があるか?」(p. 13)
私の考え:「青山氏の言う通り、『細胞内のすべての分子・原子・電子たちが物理的・化学的にまったく同一の状態であり、ただ意識状態だけが異なっているということは、あり得る』と思う」

私は、谷村氏の言う通り、『人間も究極的には原子や電子からなる物理的なシステムである』と信じる。だが、その後に続く『物理状態ではない「何らかの状態」が人間やその他の動物に備わっているとは私には思えない』の部分については賛成しかねる。私は、『本心から、「我々が抱く主観的な意識は、身体については物理的にまったく同一状態であっても、意識状態は異なっていることがある。あるいは2つのシステムが物理的にまったく同一の状態にありながら、意識状態だけは異なるような事態が、現実にあり得る」と信じて』いる。このことについて少し説明したい。
そもそも、2つの物理状態をとってきて、それらが「同一」であるとはどういうことだろうか。それは、その2つの物理状態が、あらゆる(物理的)測定において、同じ測定結果を与えるということに他ならない。すなわち、物理状態が同じであるときに「同じ」であると言えるのは、測定可能な物理量とその組み合わせで表現できるものに限られる。では、意識は物理量とその組み合わせだけで表現できるのだろうか。
私は、必ずしもそうであるとは思わない。これは人間の知覚の限界であり、それに由来する測定という方法の限界である。私は、例えば頬をつねられている人を見ると、「痛そうだ」と思う。これは、その人の「痛み」そのものを共有しているからではない。私が頬をつねられたときに「痛い」というのは、似たような状況で以前にも周りの人が「痛い」と言っていたからである。私と他人が共有できるのは状況だけである。以前に見聞したのと似たような状況になったとき、私は「おそらくこれが「痛い」ということなのだろう」と推測して、「痛い」というのだ。
私のいう「痛い」が、他人の「痛い」と同じである保証はどこにもない。「痛い」という感覚自体は、どうやってもその人と共有することはできない。例えば私の複製を作り、その複製に私と全く同じ刺激を与え、私と全く同じ物理状態を持った人間「私'」を作り上げたとしよう。しかし、その「私'」が「私」と同じ「痛み」を感じている保証がどこにあるだろうか。どうすれば二つの「痛み」が同一であることを証明できるだろうか。そんなことはできないのである。仮に私が超能力者で、「私'」と互いにテレパシーを送り合うことができたとしても無理である。私が受け取った感覚が、「私'」の送った感覚と同一であることはどうやっても分からない。いくら脳や神経を構成する物質のありようを調べたとしても、もし脳のハミルトニアンを書き下せたとしても、そこから私の「感覚」は演繹的には出てこない。「調べたところ、あなたの脳は今これこれの状態になっています。つまりあなたは痛がっていますね」ということはできるだろう。だが、「脳がこれこれの状態にある」とき「痛い」のだ、ということは、「痛がっている」人間をたくさん作って、その状態を調べたからこそいえるのだ。「痛み」そのものを共有できない以上、「痛がっている」から「痛い」というのは必ずしも成り立つわけではない。
意識状態が物理状態と本質的に異なるのは、意識状態には原理的に測定不可能な部分、実験的に検証不可能な部分が含まれているという点である。そして、その検証不可能な部分に非物理過程の入り込む余地が残されている。
意識について、どこまでが「検証可能か」を考えることには意味があるだろう。そして、哲学者の側には「原理的に検証不能だと分かっている部分」について、物理学者の側には「実際に実験で検証することが可能だと分かっている部分」について、それぞれの領域を少しずつ広げていく、ということを仕事として期待している。両者がぴったりとくっついて接し合ったとき、それぞれの領域を画定したということ、すなわち「意識の問題を解明した」ということになるだろう。
その一方で、実験的に検証不可能な部分について、言語を用いてあれやこれやということは、なんとでもいうことができる不毛な営みであると言わざるを得ない。そうした問題には、私は一切の興味を持つことができない。「クオリアは実在するか?」などは、そうした私の興味の埒外の問題の具体例である。「原子・電子の物理状態ではない様式でクオリアは実在すると主張したいのであれば、それはどのような実在なのか説明してほしい」という谷村氏の要求は、物理学寄りの立場である私から見てもちょっと無理筋だと思う。

・「時間に「始まり」はあるか」 (p. 25)
内容に興味がなかったので、第3章のほとんどは読み飛ばした。検証不能な言説であるように見えるし、私はどうでもいいと思う。

・「我々の時間に関する言語と常識をもってして全宇宙の始まりの頃の時間や全宇宙の時間の全貌を語ったり推しはかったりできるだろうか?」(p. 57)
当然、できるはずがない。私が哲学者による言語的考察に期待するのは、言葉の乱用による混乱を解きほぐすこと、無意味な問いを排除すること、人間の思考の原理的限界を明らかにすること、「痛い」というような言葉の用法の本質を解明すること、などである(*1)。
p. 57で、谷村氏は次のように言っている。
「1 個の電子は、左の窓と右の窓の場所に同時に見つかることはない」という命題は、 「1 個」とか「場所」とか「同時」の語義からして、真であるに決まっているように思 える。この命題は量子論においても現実の電子においても正しい.また、上の命題から 「1 個の電子は、左の窓と右の窓のどちらか一方のみを通る」と推論したくなる。しかし、量子論によればこの推論は正しくないし、実験事実もこの命題を支持しない。
私が哲学の側から物理学の側へのフィードバックとして期待するのは、まさにこのような点に関する気づきである。二重スリット実験に初めて接したとき、よほどの異常者でもなければ、誰も「1 個の電子が、左の窓と右の窓の両方を通った」などとは思わないだろう。だが、谷村氏が指摘する通り、「1 個の電子は、左の窓と右の窓の場所に同時に見つかることはない」から「1 個の電子は、左の窓と右の窓のどちらか一方のみを通る」は導けないのだ。つまり、現実世界のありように関わらず、可能世界として「1 個の電子は、左の窓と右の窓の場所に同時に見つかることはない」かつ「1 個の電子が、左の窓と右の窓の両方を通る」というのはありうるのだ。そして、(現実世界は置いておいて)可能世界としてどういう理論があり得るかというのは、哲学で扱って答えを導き出せる問題だと思う。そうして得られた気付きは、量子論を構築するための一つの種となってくるだろう。もちろん、可能世界に関する考察がきちんと現実世界に関する問いへの解答として機能するためには、物理学の十分な知識が必要となってくるはずである。そこに誤解があるかどうかをチェックする段階では、物理学者の出番ということになる。
私は、哲学者に対して、我々が日常的直観に基づき作り上げたロジックの穴を見つけるという仕事を期待している。そうした仕事が、まだ理論的に説明できていない現象の思わぬエレガントな説明の仕方を考え出すための手がかりになってくるはずである。
もし本当に哲学者が現実世界を無視して可能世界のことだけに興味を持っているのであれば、なんとでも言えるだろうし勝手にやっていてくれとしかいいようがない。多分それは杞憂だろうと思っている。

・「○○は実在するか」(p. 58)
存在性、実在性の問題は、確かに言語的考察で解明できないだろう。この手の問題は難しいので、私は考えたくないし、考えても絶対に自分には分からないという確信がある。だから見なかったことにしようと思う。

・「「太陽が地球の周りを回っている」という直観の否定ほど、現在の物理学は明確に「時間が経過する」という直観を否定できているのだろうか」(p. 62)
このノートで引用されている森田氏の主張は、毎回毎回意味不明だと思う。その意味不明さは、谷村氏が指摘している通りである。なんでこんなに意味不明な文章になっているのかよく分からないが、ともかく、私の理解の範疇を超えていることは確かである。

・「哲学者たちはそうやって、百年経っても、千年経っても、他の学問の知識の蓄積・洗練とは無関係に、大いなる疑問を掲げて、振り出しに戻って、議論を繰り返すつもりなのだろうか。」(p. 70)
これは実際のところどうなのだろう。私も気になる。
私は、先の量子論のくだりで触れたように、他の学問が発展すればそれだけ哲学で扱うべき問題も(大きな問題に立ち返るのではなく)細分化されて増えてくると思っているし、哲学者たちはこの質問に対してNOと答えてくれると信じたい。哲学者がどういう考え方をしているのか知らないが、細分化された小さな問題に一つ一つ地道に答えていくことがやがて大きな問題を解明することにつながる、というのが普通の考え方だろう。逆に、この質問にYESと答えるようであれば、あまりにも常識離れした態度であるし、他の分野の研究者から「哲学は単なる言葉遊びだ」と見なされても文句は言えまい。
哲学も問題を立ててそれを解くために行われている営為だと信じているし、そうでないのなら、それは真摯な態度ではないと思う。哲学のほとんどは訳が分からないため、私のような素人にとっては、どっちなのか全くもって区別がつかない。こう言った異分野交流の場でくらい、哲学者の側からもうちょっと歩み寄ってくれてもいいのになと思う。

・「絶対的現在は存在するか?」、「時間の経過は実在するか?」(p. 101)
この辺の哲学者の問題意識はさっぱり分からない。何をもって「存在」というのかがよく分からないので、何も分からないしコメントのしようがない。森田氏には、分からせようという気があるのだろうか。『少しでもこの問題意識を(それが真の問題だと考えるかどうかは別として)共有していただけたなら成功であるといえるだろう』というわりに、あまりにも言っていることが難解すぎるし、私としては好感が持てないなと感じた。
この点、谷村氏の「絶対的現在は定められるか?」「時間の経過という概念は物理的な意味を持つか?」という問題意識は明快である。解説もわかりやすく、印象がいい。

・全体的に
あとがきを読んで、谷村氏は真摯な人だなと思った。再批判を恐れず問題意識を文章を通じて明確にするという姿勢は尊敬する。言っていることの意味が分かる、何を問題としているのかが理解できるというだけでも、文章を読んでいて非常に安心感がある。物理の解説もきっと明快で上手なのだろう。
こうした真摯な人をもってしても、対話が成立しなかったというのは残念である。どうしたらいいのかは、ちょっと私には分からない。物理学者の側からは、これ以上できることはほとんど何もないのではないかとすら思わされる。それくらい谷村氏の態度は真摯である。尤も、哲学の価値に関して、そこまで言わなくてもと思う部分はある。だが、ここまで歩み寄ってここまで思索を深めた上でこの噛み合わなさを体験しているのだから、それも仕方があるまい。
難解極まる森田氏の主張はおいておいて、青山氏の言っていることはそれほど非科学的だとは感じなかった。谷村氏は哲学者の態度について色々な批判を述べているが、個人的には、谷村氏の批判は当たっていないと信じたいところである。

(*1)この考えは、大部分、苫野一徳氏の連載「はじめての哲学的思考」に由来している。

[11/11 追記1]
森田氏と谷村氏のやり取りは(青山氏とのやり取り以上に根本的なレベルで)噛み合っていない。森田氏はもともと物理学の研究で博士号を取った人のようである。それなのに、自ら物理学と哲学の分断を招いてどうするのだろうか。森田氏は、哲学者の重要な仕事である(と私が思っている)論点の整理を怠っているように思われる。その上で『「噛み合わないままに終わりました、そもそも問題が共有されていませんでした(伝わっていませんでした)。噛み合っていない点を明らかにしていくことが今後の有意義な課題です」で済ま』(p. 101)すような態度を取るようでは、不誠実との誹りを免れることはできないだろう。これでは、何もしていないも同然、科学哲学者としての職務放棄であるように見えてしまう。

[11/11 追記2]
青山氏との議論の噛み合わなさは、やはり「現象」という言葉の使い方における相違に一つの原因があるように見受けられる。それともう一つは「実在」である。これは単なる前提の違いによる悲しいすれ違い以上のものではなく、2章で谷村氏が展開している哲学批判(具体的には、「ほんのちょっとでも疑う余地があると思うと〜」(p. 23)のくだりなど)はほとんど当たらないものと思う。つまり、2.5節は藁人形論法になっているということである。唯物論の可能性と限界を画定することは、哲学上の重要な問題の1つだというのが私の認識である。唯物論の可能性と限界の画定作業というのは、「直観的に見て唯物論的方法で扱えそうなことがらを研究の対象にする」(p. 22)物理学者の在り方に対し、その直観の妥当性を検証することだと言い換えても良い。
ただ、哲学が(metaphysics: 形而上学というように)メタな学問であるからには、哲学者の方こそ異分野交流の際にその辺りの言葉の使い方に敏感になるべきだろう。もちろん、青山氏は言葉の使い方に敏感であるからこそ「クオリア」という用語を避けるなどしているのだろうが、これは異分野との対話なのだから、その意図が伝わらないのは褒められたことではない。(苫野一徳氏の考えに基づけば)そういった指摘をして、議論が建設的になるよう軌道修正することこそが哲学者の本領であるだろう。言語を扱った仕事をするからには、哲学者には、他の分野の人にも伝わるような問題設定の明晰な言語化をお願いしたいところである。
今回は哲学論文に物理学者がコメントを付けるという形であったが、一度その逆をやってみてほしいものだ。すなわち、物理論文を取り上げて、その哲学的意義を物理学者向けに解説するという営みである。これをすれば、谷村氏がいかに困難な仕事を成し遂げていたのか、哲学者の側にも実感を持って了解してもらえるのではないだろうか。

[11/12 追記3]
Twitterで少し補足をした。

量子状態の同一性であるが、第一義的には、「同じ方法で作った状態は同じ量子状態」とみなすことで定義される(清水 明『量子論の基礎―その本質のやさしい理解のために』 2.6節)。とはいえ、(どんな物理理論においても)物理状態の同一性の基盤が実験的な区別可能性にあることは変わらない。なぜなら、その第一義的定義がwell-definedであることは、自然科学において再現性が成り立っているという形で実験的に検証されることだからだ。なお、「痛み」に関する私の考察は、この『量子論の基礎』における同一性の定義をベースに展開したものである。

[11/12 追記4]
森田氏の主張の意味不明さについて考えていたが、谷村氏も指摘している通り、アプローチそのものに無理があるように見える。時間の客観的性質を哲学的考察から理解していくというのは、いくらなんでも無理だろう。物事の客観的性質は物理学の領分であって、物理学で解明不能な物事の客観的性質については言及するだけ無駄である、というのが私の立場である。主観性が本質的に介在する問題 ーー物理学で解明可能な問題はどこまでか、はこれに含まれる。測定とその解釈は人間の営みに他ならないからだーー こそを哲学的に考察していくべきだろう。どうも、取り上げている問題に主観性が本質的に関わっているかどうか、が青山氏の主張と森田氏の主張を大きく隔てているような気がする。例えば、時間の流れは主観の中で作り出されるといった仮定をおけば、似たような問題をもっと有意味に問うことができるのではないだろうか。
以上の考察から私の見解をまとめると、第二章のすれ違いは異分野コミュニケーションが成熟すれば自然に解決されるだろう、第三章については森田氏がスタート地点からして常人には理解不能なアプローチを取っているのが物別れの原因であり谷村氏の指摘は自然で妥当、といったところだろうか。もし森田氏が谷村氏の批判は誤解に基づいたものだというのであれば、それはそれで思考内容の伝え方に関する根本的な見直しを求めたい。

[11/12 追記5]
例えば、「我々が生きる意味とは何か」というのは、どう答えようとも合意に達しようのない無価値な問いであると思う。一方、「我々はどんなときに生きる意味を感じるか」は問う価値のある問題に見える。これは、客観性に関する問題を主観性に関する問題に書き換えたものだと見ることができる。主観性をできるだけ排除した世界の記述を行うのであれば、自然科学はその最も成功した方法論であり、(今の人類は)自然科学の立場で、数式を用いつつ議論を進めていくしかない。一方、「ある対象が人にとってどのように認識されるか」「ある対象は人にとってどのように知覚されるか」すなわち「ある対象が人の心に対してどのような(青山氏のいう意味での)現象を引き起こすか」といった類の問題については、言語を用いて分析する哲学的方法論が有効であるように思われる。
科学的方法論で記述できない客観的問題は、(現在と、その延長線上にある)人類の手に負えない、考えるだけ無駄な問題(がほとんど)である。そのような領域については認識不能なのだから検証不能なことをいかようにもいうことができるし、認識不能な以上どうなっていたところで人類には一切の関係がない。私が森田氏の主張内容に興味が持てなかったのも、この「考えるだけ無駄な問題」の領域に立ち入ってしまっているように映ったからだ。
物理学者と哲学者が対話する場合は、主観性と客観性にどのようなウェイトを置いているのか、問題意識の設定から慎重に行う必要がある。今回は、ここで合意が取れていなかった、このすり合わせを怠ったがために、議論はすれ違いに終わってしまった。お互い議論の拠り所が違うのだから、ただ物理学者に論文を渡してコメントしろというのは土台無理な話である。何を物理学者に求めるのかを哲学者の中でまず明らかにした上で、「これこれに客観性に関わる問題がある。見解が欲しい」のような形で注意深く問題設定を行わねばならない。これは物理学者が哲学者に見解を求めるときも同様である。
竹田青嗣氏の「欲望相関性の原理」という概念がある。ざっくりとした私の理解で言えば、
  • 我々は世界を自分の欲望に応じて認識している。
  • 我々はそのことを自分で確かめることができる。
  • 認識の在り方を欲望以上に遡って確かめることは原理的にできない。
というものである。苫野一徳氏は、この欲望相関性の原理に自身の哲学の基礎を置いている。一般に哲学は厳密なロジックによるものだと認識されているが、人間の心理に深く根ざした問題を扱うという点で数学や物理とは大きく性格を異にしている。先ほどの「痛み」の測定可能性についての議論からわかるように、人間心理の全てを唯物論的思考で扱うことには大きな困難がある。そのため言語的分析が馴染むのであろうが、今回は問題設定が十分に伝わっていなかったがために、哲学的分析が物理学者には「徒手空拳」(p. 23)に見えてしまったのだろう。
「哲学の議論はどのようなときに意味のあるものとみなされるか」という問いを立てると、今回の一件は哲学的に分析する価値のある事例になるだろう。哲学者の側にはこの観点からのフィードバックも期待したいところである。
この事件は、「問題意識を明確にすることなしに、異分野の人がただ集まっただけでは不毛な議論しか生まれない」という教訓を示唆していると言えるだろう。

2019年10月23日水曜日

おすすめTwitterアカウント5選

おすすめのTwitterアカウントを(勝手に)紹介しよう。特に解説は加えないので、Tweetから全てを感じ取って欲しい。

1)ALISON (@ALISON_airlines)
死ぬ事以外はかすり傷って言ってる人の前頭葉切除するやつやりたい

2)川崎 (@_rotaren_)
ちょっぴりエッチな女の子は嫌いですか?❤︎
                   ↑
       嫌いだつってんだろ
次この辺で見かけたら潰すぞ?

3)ドラゴンの季節 (@c_mfd)
アカデミックハラスメントの例
・指導教員が生きることを強要する
・指導教員が私生活で性欲を持つ
・指導教員がある一定の体積を持って存在している
・指導教員がやけにモチモチしている
・指導教員がセミナー中に破裂する
・指導教員が体積を持っていない
・指導教員が存在しない

4)自閉症連続体 (@uonomi_keiichi)
犬の鳴き声が立体的なので部屋がどんどん狭くなる

5)脳の液体 (@Sleeporgan)
三角形の穴からでた真っ白なイルカ、燃やしたらピクピクして、苦しそうにもがいていて、ざまあみろと思いました。気づいたら、ぼくがいるかでした。

2019年10月18日金曜日

理想のディストピア

私は比較的リベラル寄りの思想を持っていると自認している。すなわち、個人の自由を重視し、それに対する社会的抑圧に反発する。また、全ての人に平等に権利が与えられるべきであり、多様性は尊重されるべきだと考える。
この考えを推し進めて行くと、その先にはどのような社会が立ち現れるのだろうか。皆が自由で、平等に暮らせる楽園だろうか。いや、そこは決して楽園ではない。全体は部分の総和ではない。個々に幸福を追求する個人が集積した社会は、決して全体としての幸福を実現できないだろう。

それを最も分かりやすい形で我々の前に示してくれたものの1つが、自由恋愛市場である。資本主義経済を見ればたやすく分かるように、自由化には「富める者をますます富ませ、貧しき者をますます貧しく」し、格差を拡大させる効果がある。この効果を抑えるべく、所得再分配という制度が考案された。政府が徴税と社会保障を通して富裕層から貧困層へと富を移し替える仕組みのことだ。しかしながら、自由恋愛市場においてはそのような操作は許されない。お金と違って、生身の人間には感情があり、意思があり、そして人権がある。結果として、恋愛市場においては、その自由化の影響が露骨に現れる形で競争の激化と格差拡大が発生し、敗者の増加がもたらされることになる。こうしたモテない敗者たちは、「自己責任」という言葉で片付けられてしまっている。
付け加えるならば、恋愛が本質的に「政治的に正しくない」営みであることも事態を複雑化していると言える。自分の行動がセクハラになるリスクを完全に避けながら恋愛を行うことは、ほとんど不可能であると言ってよい。ある人が他者のセクシュアリティを尊重しようとすればするほど、その人は恋愛ごとから遠ざからねばならない。今やお見合いをセッティングすることも憚られるようになった。その結果、男女が結婚を希望しながらもマッチングしないということが頻発している(*1)。このように、個々人の自由の尊重が全体としての最適化をもたらさないということが往々にして起こるのである。

個人が自由になればなるほど、個々人の間での利害の対立は激しくなる。個人が解放されればされるほど、文化的、宗教的、政治的な摩擦が起きる。トロッコ問題的な状況において、全体のために個人を犠牲にすることが許されないのならば、全体を犠牲にすることを選ぶしかない。そして、たとえ全体を犠牲にしてでも個人の権利を尊重せよ、というのが私の思想である。それが平等原則を貫くということだからだ。
この考えを推し進めれば推し進めるほど、社会は「自由なはずなのに幸福でない個人」の集合体へと変質していく。そこで私が提案するソリューションが、麻薬と安楽死だ。この世界は、もともと皆が幸福になれるようにはできていない。これはもう諦めるしかない。だが、この世界には麻薬というものがある。現実を見るな。人間をやめろ。自分の脳をハックしろ。そこにユートピアは顕現する。通常の意味の幸福が得られないのなら、麻薬で"幸福"感を得てしまえばよいのだ(*2)。
しかし、麻薬によって得られる幸福は刹那的であり、いつまでも何度でも得られる類のものではない。夢から醒めれば、あとは不幸へまっしぐらだ。だから、その限界が来たら死ぬしかない。死ねばもうそれ以上は不幸にならないし、薬物乱用の反動に苦しめられることもない。どうせ幸福になれないのなら、麻薬でパーッと一時的にでも"幸福"感を味わって、それで満足して死んでしまえばいいのだ。

個人に限りない自由が与えられ、社会全体では激しい競争と対立が起き、そこに敗れた不幸な者たちは麻薬をキメた上で死んでいく。人間が死ねば死ぬほどに社会の機能は破綻して、不幸な人が増えていく。社会を構成する者は加速度的に減ってゆき、文明が維持できなくなって遂には人類が絶滅する。生という苦しみに支配される者はいなくなり、世界平和が実現される。
これが私が見据える「理想のディストピア」の姿である。

(*1)ref.「令和元年版 少子化社会対策白書」第1-1-15図.
(*2)ref.「麻薬の話」

2019年10月13日日曜日

麻薬の話

さて、リクエスト通り麻薬の話でもしようか。

一体なぜ、私はこうなってしまったのだろうか。どうして私はこんなに麻薬に傾倒しているのだろうか。昔はこんなではなかったはずだ。では、一体どこからこの麻薬好きは始まったのか。

......絶望からだ。

「続・私の院試体験(3)」で述べたように、私の底には絶望が澱となって積み重なっていた。私の憂鬱は、自らの生きる目的に起因するものだった。"呪縛"は、自分のアイデンティティに強固に根ざして剥がれなかった。苦しい。苦しい。苦しい。だが、自分が自分である以上、この苦しみからは逃れられない。勉強も、遊びも、食事も、自分に満足を与えないのなら。そして恋愛をすることも許されない(*1)のなら。何なら私を幸せにしてくれるのだろう。私は自分をやめたかった。
そのための手段として思い付いたのが麻薬だった。麻薬は、使えば強制的に幸せになれるのだという。麻薬なら、自分に喜びを与えてくれるのではないだろうか。私は目の前の苦しみから逃れたかった。麻薬によって多幸感に包まれた後、急性薬物中毒で意識を朦朧とさせながら死ぬ。理想の人生だと思った。
私は、そもそも自分なんて初めから生まれなければよかったのにと思っていた。だから、麻薬は、ある意味私にとっての希望だった。死は救い。死ねばもう頑張らなくていい。麻薬は、自分を多幸感で包んで救いへと優しく導いてくれる。私は疲れ切っていた。欲しい。麻薬が欲しい。麻薬を使って自殺したい。麻薬への渇望の餌となったのは、私の希死念慮だった。

私は諦念に支配されていた。それは、自分の人生は何をどうやっても良くならないという意味だけでなく、この社会は何をどうやっても良くならないという意味においてもだった。私は、平和を心から望んでいた。しかし、成長して大人になればなるほどに気付いたのは、この世界がいかにユートピアから程遠いかということだった。若かりし頃の私には、社会を良くしたいという気概がまだ幾分かはあった。こうすればもっと世界は平和になるのではないか。人類がこうなればもっとみんなが幸せに暮らせるのではないか。そういう理想を、自分なりに描いていた。
だが、己の憂鬱が深まるにつれて、そういったことが全てどうでもよくなってきた。自分が何をしようと無駄だ。自分が無力だとか、人類が愚かだとか、そういう次元の問題ではない。そもそも、世界がみんなが幸せになれるようにできていない。この世界は物理法則からしてクソなのだ。
人間は、根本的に苦しみと紐付けられている。人間は、その設計者の策謀によって無理矢理生かされているだけの、遺伝情報の捨て駒に過ぎない。つまり、我々が生まれてしまった時点で失敗なのだ。社会の存続、人類の存続なんてクソ喰らえだ。こんなゴミが続いたところで何にもならない、意味がない。苦しみを宿命づけられた可哀想な存在者どもをこれ以上増やす前に、とっとと絶滅してしまえ。......ただし、誰も苦しまないよう、平和的に。
私は、強力な麻薬が蔓延した世界を想像した。みんな、争いも、食事も、生殖も、何もかもがどうでもよくなってしまって、ひたすら退廃的に麻薬をキメては一人、一人と幸せそうに死んでいく。なんと理想的な世界だろうか。こんなカスみたいな世界は捨ててしまって、みんなでとっととあの世に行けばいい。そう、今の幸福だけが全て。幸せなんて刹那でいい、偽物でいい、破綻する前に死んでしまえばいいのだから......。

こうして私は段々麻薬について考えることにハマっていった。私は、少しでも明るく生きるために、自分の絶望を笑い飛ばそうと考えた。そして、その絶望に抗うための、希望の象徴こそが麻薬だった。だから私は麻薬を題材にした漫画を作り、自分のペシミスティックな思想をコミカルに描いた。これが思いの外ウケがよかったため、どんどんエスカレートして今に至っているというわけである。

(*1)ref.「続・私の院試体験(5)」

2019年10月3日木曜日

続・私の院試体験(13)

・2019年7月下旬
7月20日、筆記試験当日である。院試も3回目ともなると慣れたものだ。昼休みになって受験生たちがぞろぞろと教室を出て行く中、「試験会場で髭を剃っていたら白い目で見られた」と言って後でネタにしようと思い、一人無表情のままブイイイイインと電動カミソリで髭を剃った。だが、私の目論見に反して誰も目を合わせてはくれなかった。悲しかった。
肝心の試験であるが、熱力学が難しかった以外は特に苦労しなかった。そして、手応え通りにちゃんと一次試験はパスしていた。後は面接だけである。私は、もう受かったも同然だと思い、借りている部屋の管理会社に解約通知書を送り付けた。

・2019年8月上旬
8月1日、面接の日だ。朝5時に起きて新幹線に乗り、新幹線の中で仮眠をとった。面接には間に合った。事前に志望動機も取り組む研究テーマもA先生と十分に話し合っていたので、ほとんど形式だけの面接だった。
そうして無事A研に合格した。

・2019年8月中旬~2019年8月下旬
8月の中旬は、喘息の発作が出て思うように活動できなかった。部屋探しは9月に入ってから行うことにした。
8月末、「院試お疲れ様会をしよう」と言って、院試を受けたばかりの高校の後輩を京都まで呼び付けた(*1)。私は言った。
「院試お疲れ様。どう、手応えのほどは?」
「まあ、合格でしょう」
「さすが優秀やね。ところで、院試といえば、俺もこの前院試を受けてきたんよ。これを見てくれ」
私は東大の合格通知書を撮った写真を差し出した。
「え、京大辞めるんですか?」
「そう。やから君が京都の俺の家に来るのはこれで最後」
「!?」
「おー、いい反応やな。普段の言動が悪いんか、これ言ってもみんなあんまり驚いてくれんことが多くて(*2)。驚いてくれてよかった。サプライズ成功やな!」
「そうですね。普段の言動、悪いですよ」

・2019年9月
東京に出て、住む部屋を決めた。そこからは慌ただしい日々が過ぎた。引っ越し業者を頼み、賃貸の契約書類を書き、部屋の片付けをして、京都で住んでいた部屋を退居した。
9月20日、私は東京大学総合文化研究科に入学した。私は、京大を退学した旨をTwitterに投稿した後、時間をあけてから東京大学に入学した旨を投稿した(*3)。なかなか反響があったので良かった。
入学と同日に入居した。入学手続きと引っ越しの諸々が重なって大変だった。

・2019年10月3日
今、私はパソコンに向かって文章をタイプしている。現在の居場所は東京だ。私は再び東大生になった。まだ新学期は始まったばかりで今後どうなるかは分からないが、早速新しい友達もできたし、京大時代よりは楽しめそうな予感がする。前は成果を出すことを重視するあまり大きく空回りしてしまったが、今度は物理学の面白さを味わうことを第一の目標として、自分が心から研究活動を楽しめるよう精一杯頑張っていこうと思う。
半年間京都にいたのは、お金という意味では無駄だったかもしれない。私が浪費したのはつまるところ親のお金であり、両親には多大な迷惑と心配をかけたと思う。ただ、時間という意味では決して無駄ではなかったはずだ。A研に行こうと思えたのは、卒研で液体論をやっていたからという側面が大きい。そして、院で京大の化学専攻に行くことになっていなければ、そもそも卒研で液体論をやろうという話にはならなかっただろう。私がA研に行くためには、こういう回り道のプロセスを踏むことが必要であったのだ。
また、院で京大に行ったことは、恋愛においても重要な意味を持っていた。まず、東京を楽しもうと思って火力発電所に行ったことが、「彼女」をデートに誘うきっかけ、ひいては彼女に告白するためのきっかけになった。更に、京都に住んだことによって、彼女と同じ関西圏にいることができた。これも彼女にアプローチする上で有利であった。結局、院で京大に行っていなければ、私は告白によって自分の気持ちに区切りをつけることもできていなかっただろう。振られてしまったわけであるが、それも価値ある経験だった。副産物として、「初恋」という名作をこの世に生み出すこともできた。失恋の一件に関しては、反省すべきところは反省し、今後の自分の糧としていきたいところだ。
今回、東大を受けて合格したことにより、憂鬱と倦怠の泥沼からどうにか抜け出すことができた。しかし、これでめでたしめでたしかというとそうではない。私の中には、"呪縛"も、希死念慮も、解消しきれないまま残っている。ついでに言えば、恋人はいないし全くモテない。研究者としての業績もない。最近どうも便秘気味だ。加えて、音痴で運動音痴で方向音痴だ。本当に課題山積である。
とはいえ、自分の人生をより良いものにしていくべく、私はこれからも全力を尽くすつもりである。応援していただければ幸いだ。

以上が私の院試の顛末である。(「続・私の院試体験」終わり)

(*1)ref.「タチが悪い」
(*2)例えば、おくは全然驚いてくれなかった。
(*3)ref.「退学しました」 「4コマ漫画です。」

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2019年10月2日水曜日

続・私の院試体験(12)

・2019年5月6日~2019年5月15日
とりあえず、予定通り京都に戻ることにして電車に乗った。だが、次第に気分が悪くなってきたため、中書島駅(*1)で降りてトイレに行った。洗面台に向かい、身を屈める。胃が収縮し、胃液が食道を逆流する。私は、ついに嘔吐した。もう限界だと思った。私は、失恋の打撃がいかに大きなものであったかを悟った。私は止めを刺されたのだ。
私は、A先生にメールを送り、京大を退学してA研に行こうか悩んでいるという旨を伝えた。ひとまず、5月16日に研究室とゼミの様子を見せてもらえることになった。加えて、もらっていた診断書をスキャンし、京大の方の研究室の先生にメールで送った。私は、療養のための半年間の休みをもらった。私は大学に行くのをやめた。
それからは、家でひたすら「初恋」を執筆した。文章を書いていくに従って心境は次第に前向きになっていき、「初恋」は最初に考えていたよりもかなりポジティブな形で締めくくられた。出来上がった文章を読んで、私は達成感に包まれた。自分を絞り出すように書いた渾身の一作だった。これは傑作だ。振られた結果としてこんなに良い文章が書けたのなら、そんなに悪い体験でもなかったかもしれないな。私はそう感じられるようになった。

・2019年5月16日~2019年5月31日
私は東京に行き、A研のゼミに参加した。面白かった。やはり、理論化学よりも物理の方が性に合っているように思われた。A先生にも進路の相談に乗ってもらって、入学してからA研で取り組む研究テーマについて話し合った。また、A先生は総合文化研究科には秋入学の制度があるということも教えてくれた。
その後は、大学時代の友達に会って店の中で話し込んだり、一緒に五月祭(*2)に行ったりした。友達の何人かは「初恋」の記事に言及して、私を励ましてくれた。嬉しかった。
この間、私の調子は乱高下していた。A先生と議論したり、友達と話したりするのは楽しかった一方で、一人になると孤独感に苛まれ、吐き気に襲われることもしばしばだった。友達の前では努めて調子の悪いところを見せないようにしていたが、唯一僕を泊めてくれていたH君には吐こうとする声を聞かれてしまい、大きな心配をかけてしまった。
20日の朝、私は夜行バスで京都の街へと戻ってきた。それからは、家に引きこもって特に何もしない日々が続いた。

・2019年6月上旬~2019年6月中旬
私は、早く「彼女」の友達という地位に復帰したかった(*3)。6月1日、総合文化研究科の院試の出願に使うべく、大阪にTOEFL iBTを受けに来ていた。大阪からの帰り道、一月ほど経ったからそろそろ良いだろうとの判断のもと、私は彼女にメッセージを送った。そしてその結果、私は彼女に絶縁された(*4)。
彼女と音信不通になったことは大きなショックだった。恋愛感情も抱いていたとはいえ、その基盤にあったのは彼女に対する友情だった。彼女は、異性の中では一番親しい友達だった。それなのに、もう私は彼女の友達でない。喪失感が大きかった。大切な友達だと思っていたのは私だけで、彼女にとって私は簡単に切り捨てられるどうでも良い存在だったのかもしれない。いや、多分向こうにとっても私は異性では一番の友達だったはずだ。だったらなぜ、一体どうしてこんなことに......。執筆と休養によってポジティブになりかけていた心境は、再びネガティブの沼へと逆戻りした。
ただ、これによって総合文化研究科に出願するための決心はついた。こうなってしまえば、もうどう抗おうとも彼女の恋人になれないことは明白だった。彼女とは物理的にも距離を置いた方がいいのかもしれない。私は院試の願書を書き始めた。A研に落ちたら、今の研究室に残ればいい。私はA研単願にした。
しばらくすると、TOEFL iBTの結果が届いた。私は院試に出願した。

・2019年6月下旬~2019年7月中旬
6月中旬までは、塞ぎ込んでほとんど家に引きこもっていた(*5)。
6月24日、友人「おく」と造幣局を見学した。造幣局自体はさほど面白いものでもなかったが、友達と会ったことで多少なりとも元気が出た。翌日から、私は銭湯に行ったり植物園に行ったりして京都で色々遊ぶようになった。
そんなことをしているうちに、気付けば院試の筆記試験は目前に迫っていた。とりあえず過去問でも解くかと思い、時間を計らずに過去問を1年分解いた。えっちらおっちら解いていると、いつの間にやら院試の前日になっていた。結局、過去問1年分しかまともに勉強できなかった。
私は、前泊させてもらえるよう頼んでいた友達の家に行った。夕食としてスーパーで買ったプチトマトと木綿豆腐とバナナを食べ、軽くシャワーを浴びて眠りに就いた。(続く)

(*1)京阪本線の駅。私は、京阪線で京都大学の最寄駅である出町柳駅へと向かっていた。
(*2)第4回キムワイプ卓球研究会に参加するため、私はA先生に会った後も数日間東京に留まり続けていた。
(*3)私は、彼女にとって何でも相談できる相手 ーー彼女の親友ーー になりたかった。ref.「縦糸」
(*4)ref.「決意」
(*5)ref.「9/9: 銀行」

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2019年10月1日火曜日

続・私の院試体験(11)

関連記事: 「初恋(3)」

・2019年4月26日(2)
私は、睡眠導入剤に加えて抗鬱薬を処方された。ゴールデンウィークの間は研究のことを忘れてゆっくり休みなさいとのことだった。それでも治らなかったら使いなさい、ということで一緒に診断書も出してもらった。

・2019年4月27日~2019年5月3日
私は薬を持って実家に帰った。処方された薬を飲んでいると、口の渇きや吐き気などの症状は少しずつ治まっていった。食欲も増えた。そして、恋愛感情も次第に自分の手元に戻ってきた。
この一連の出来事を受けて、私は告白を急がなければならないと考えた。今でこそ恋愛感情があるものの、またいつ消えてしまうか分からない。告白をするならば、自分に恋愛感情がある今しかない。せっかく芽生えた大切な気持ち、20年間生きてきてやっと見つけた大切な気持ちが、ただ消えゆくのを見守っているだけなのは嫌だった。その気持ちが自分にとって大切であるのならば、それを守る努力をしたい。そのための手段は、やはり告白ということになる。「彼女」の恋人という立場があれば、彼女ともっと話ができる。彼女のことをもっともっと好きになれる。私は、彼女のことが好きだった。そして、彼女のことをこれからも好きでいたかったのだ。
それに、彼女への告白が成功するかどうかは、東大の院試を受けるか受けないかの判断材料にもなるのだった。告白をずるずると引き伸ばし、院試を受け損ね、それから告白に失敗したとなっては目も当てられない。もう、次のデートで告白する以外の選択肢は考えることができなかった。引っ越して新年度から環境が変わった彼女の周りには、私以上に彼女の恋人にふさわしい存在などいないはずだ。人間関係がまだまだ浅く、ライバル不在の今がチャンス。私は強気だった。振られることも想定はしていたが、十中八九OKしてもらえると思っていた。

・2019年5月4日
青く晴れた午後の空を眺めながら、私は告白のタイミングを伺っていた。ベンチに座る私の隣には「彼女」がいる。目の前ではダムが静かに水を湛え、後ろでは木々の枝が風に揺れてカサカサと音を立てていた。二人ともが沈黙していた。額にじわりと汗が滲むのは、果たして初夏の陽気のせいだろうか、それとも緊張のせいだろうか。
私は、ついに決意を固め、口を開いた。
「俺は、君のことが好き。だから俺と付き合ってほしい」
少し経って、彼女が答えた。
「勇気を出して言ってくれてありがとう。......嬉しい。でも私、人を好きになるってことが、まだあんまりよく分かってなくて。だからちょっと考えさせて」
彼女は、告白の返事を保留にした。

・2019年5月5日
昼頃、私は一通のメッセージを受信した。「彼女」からだ。
「昨日のことだけど、色々考えた結果、答えはNoです」
私は振られた。とめどなく涙が溢れてきて、ただ泣くことしかできなかった。泣けば泣くほど、自分は本当に彼女のことが好きだったのだという実感が深まっていった。もう、私は彼女を好きでいることは許されないのだ。私は布団の中に閉じこもって、何時間も何時間も泣き続けた。
夕食の時間になった。涙はもう乾いていた。私は自室を出て、父と母が待つリビングに行った。しかし、せっかく用意してもらった夕食を前にしても、あまり食欲は湧かなかった。私は、努めて平静を装うようにしていたが、やはりどこか様子が普段と違っていたのだろう。どうかしたのか、と尋ねられた。私は答えた。
「......大学に、行きたくない」
ゴールデンウィークは明日で終わる。明日は京都に戻る日だった。それが、憂鬱で憂鬱でならなかった。私の発言に戸惑う両親に対して、私は、鬱病と診断されたこと、今の専門分野に違和感を覚えていること、そして、京大の退学と東大への進学を考えていることを訥々と伝えた。
しかし、私の言葉はにわかには受け入れがたかったようだった。父は、「京大を辞めるんやったら、留学したらええんちゃう」と言った。鬱病で衰弱しきった今の自分に、そんな気力があるとは到底思えなかった。自分が弱っていることが、父にはうまく伝わっていないようだった。母は、無言でテレビを眺めていた。
私は自室に戻った。今まで、気分が沈んでどうしようもなくなったときは、文章を書くことで自分の状態への考察を深めてきた。今回もそうしよう。書くことが、今の私にとって唯一の処方箋だ。私はノートパソコンを開いて、自分のblogにログインし、「新しい投稿」をクリックした。タイトルは......「初恋」にしよう。私はこう(*1)書き始めた。
「自らの思考や感情を整理する方法を、私は書くこと以外に知らない。鬱々とした気分になったときは、ずっと文章に綴ってきた。だから今回も書くことにする。 私は失恋した。」
カタカタと文章を打ち込み続けていて、ふと、疲れたな、と感じた。私はノートパソコンを閉じ、ベッドに入って、照明を消した。(続く)

(*1)現在の版は、初稿から何度かのマイナーチェンジを経て文章が少し変わっている。ref.「初恋(1)」

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2019年9月30日月曜日

続・私の院試体験(10)

・2019年4月中旬(2)
こうしたストレスを受けて、私の体調は坂を転がるように悪化していった。睡眠が浅くなり、常に倦怠感を覚えるようになった。私は、東大時代に処方されていた睡眠導入剤を毎日のように服用するようになった。
私は、自分は無理をしてでも研究をしなければならない、それ以外に道はないのだと思っていた。能力の不足は、努力によって補えばよいのだと信じていた。私は焦燥に駆られていた。急ぐあまり、論文を読む目が滑って文章が頭に入らない。さっきから同じところを何度も何度も読んでいる。視線が文字列の上を虚しく滑る。頭が空転する。おかしい、こんなはずでは。授業やゼミどころか、もう論文やマニュアルさえも何が書いているのかわからない。私は、気付けば文章が読めなくなっていた。
毎日、何も楽しくなかった。研究室で仲良く話せる人もいなかった。大学に行きたいという気持ちは、すっかり消失してしまっていた。それでも気合を振り絞って大学に行って、疲れ切って帰ってくる。食欲も次第に減退しつつあった。ご飯を食べても美味しくなかった。
自分は何をしているのか、自分は何がしたいのか、自分は何をすれば楽しくなるのか。何もかもがさっぱりわからなくなったまま、私は今までの自分の行動をなぞるようにして灰色の生活を送っていた。

・2019年4月下旬
私は、いつも通りに研究室へ向かっていた。頭の中はぼんやりと霞み、口は異様に渇いている。廊下を歩いていると、不意に胸から何かがこみ上げてくるのを感じた。気分が悪い。トイレに駆け込み、洗面台に向かう。吐き気が私を襲い、かがんで淀んだ声を漏らす。だが、口からは何も出て来ない。息を切らしながらトイレから出た。
"呪縛"(*1)だ。"呪縛"のせいだ。"呪縛"が私を絞めたのだ。私は、自分に思ったよりも早く破綻が訪れたことに驚いた。京大生になってから、まだ一月と経っていない。この調子では修士を卒業するのがせいぜいで、博士まで5年間もここにいることはできないだろう。D進(*2)していては体が持たない。"呪縛"と縁を切るためには、研究者への道を諦めることが一番だ。こうなってしまっては仕方がない、俺も就活を始めようか......。
しかし、2年間しか研究をしないのならば、前回の記事の始めで述べた「情報熱力学的観点からの考察」までたどり着くことはできそうもない。ただQM/MM計算をしてそれで終わり、がやっとだろう。それではちょっとつまらない。私は化学には興味がなかった。2年間しか研究をしないのならば、もっと他に良い研究テーマがあるはずだ。この際、生命現象に直接関係するテーマでなくていい。物理畑出身の私が、どこか2年間耐え忍ばなくても面白さを感じながらやっていけるような場所はないだろうか?

......A研だ。

一口に物理の研究をすると言っても色々な選択肢が考えられるが、一番確実で一番良いのは駒場のA研に行くことだろう。ざっと考えただけでも、A研にする理由はこれだけある:
  • 面白さが早めに感じられるような研究をするためには、自分の卒業研究に直接関係する研究テーマに取り組むのが良いだろう。それはA先生の専門分野である。
  • 去年の院試の頃は知らなかったが、自分の興味に近い研究もできそうだ。
  • A先生は議論をしていて一番楽しい先生だった。
  • A先生の熱意に触れていると、物理の楽しさを再認識できる気がする。
  • A研に配属された同級生の卒業研究が面白かった。
  • その同級生から話を聞く限り、A研は指導方針がとても良さそうだ。
  • A先生は家庭を大切にしていることがひしひしと感じられ、好感が持てる。
  • 駒場なら友達の面では心配ない。
ならば、本当に総合文化研究科(*3)を受けてA研に行ってしまおうか。いや、そう決断するにはまだ早い。自分がこれから回復するのであれば、また院試を受ける必要などどこにもない。
そして、回復する可能性はあるはずだ。そう、私の切り札、私の世界に彩りを与えてくれるであろう存在 ーー 「彼女」。ああ、彼女と結ばれることさえできれば......。ここまで考えて、私は愕然とした。
彼女のことを考えても、かつてのように胸がドキドキと暴れない。彼女の姿を思い出しても、心が凍って動かない。私の世界を覆い尽くしていく灰色は、今や、あれほど切実だった恋愛感情までもを塗りつぶしつつあったのだ。

・2019年4月26日(1)
ゴールデンウィーク前の最後の平日、私はある病院の精神科に来ていた。睡眠導入剤の残りが少なくなっていたためだ。このペースで飲んでいると、ゴールデンウィークに帰省している間に枯渇する。私は睡眠導入剤が欲しかった。受け付けで睡眠障害を訴え、精神科医の診察を受けた。私の話を聞いた先生は、一つのチェックシートを差し出した。私はそれに回答し、そして更に問診を受けた。

私は鬱病と診断された。(続く)

(*1)ref.「続・私の院試体験(3)」
(*2)博士課程進学のことを指す俗語。
(*3)統合自然科学科からそのまま進学する場合、総合文化研究科というところを受験することになる。

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2019年9月29日日曜日

続・私の院試体験(9)

・2019年3月中旬~2019年3月下旬(2)
造幣局の工場見学予約サイトにアクセスしてみたところ、3月の見学枠は既に予約で埋まっていた。そこで私は食品工場の見学を提案したのだが、彼女が足を痛めてしまったということで、春休みには結局どこにも行けなかった。

・2019年4月上旬
私は東京大学を卒業し、京都大学の大学院に入学した。私は早速研究室に行って、先輩から指導を受けながらPCのセットアップなどを進めていった。
私の研究対象は、あるイオンポンプ(*1)タンパク質だった。私は、
  1. まず、QM/MM法を用いて、このイオンポンプの機構を化学的視点で解明する。
  2. 次に、そのデータを用いて、イオンポンプの動作原理を情報熱力学的観点から考察する(*2)。
という流れで研究を進めていこうと考えていた。私は張り切っていた。私は、博士課程に進学し、そして大学教員を目指していく前提でいた。そして、研究者としてアカデミアの世界で生き残るためにも、学振DC(*3)に採用されたいと思っていた。DC1に応募するのは修士2年の始めであるから、修士1年の間に申請書に書けるような業績を出すことが必要である。私は早く成果を出したかった。
最初にすることは、先行研究の論文を読むこと、そして使用する量子化学計算ソフトの使い方を学ぶことである。私は論文とソフトのマニュアルを読み進めていった。
研究の裏で、「彼女」ともコンタクトを取っていた。私は、春休みにどこにも行けなかった代わりに、ゴールデンウィークにどこかに行こうと提案した。そして、彼女もそれを承諾した。上手くデートの約束を取り付けることができて、私はほっと一安心した。

・2019年4月中旬(1)
「彼女」とのやり取りは、どこに行こうかという話題へと移っていた。休日も見学者を受け入れている工場は少なく、私は行き先選びに困っていた。どこか行きたいところがあるかと聞いてみたところ、彼女はダムに行きたいと答えた。これを受けて、次は神戸布引ハーブ園に行くことに決めた。ここは、近くにダムがあるのである。
行き先を決めた私の頭には、告白という選択肢がちらつき始めた。ダムなら、景色も良く、静かで人も少ないだろう。むしろ、ここ以上に告白に適した場所、適した機会があるだろうか。それに、ゴールデンウィークが終わってしまえば、学部を卒業して忙しくなった彼女を誘い出す口実はほとんどなくなる。それならば、ゴールデンウィークのうちに告白してしまって、恋人という地位を早々に得てしまうのが得策なのではないだろうか。今まで恋人がいたことがなく、自分から告白したことも誰かに告白されたこともないということは、彼女は誰かが告白してくれるのを待ち続けているということだろう。今告白しても、勝算は十二分にあるはずだ。私はそんなことを考えていた。

さて、授業も2週目に入り、新学期が本格的に始動した。そして、研究室のゼミも開始された。ゼミには、研究室のメンバーが持ち回りで研究の発表を行う「全体ゼミ」と、量子化学に関する課題を解いて提出する「B4M1(*4)ゼミ」の2つがあった。しかし、困ったことに、どちらも訳がわからなかった。話を聞き流していればそれで済む全体ゼミはまだしも、B4M1ゼミは課題が解けないと話にならない。先生の説明はよくわからないし、他のメンバーとはあまり親しくなれていなくてどう接して良いかわからなかったし、Slack(*5)で尋ねてみたところで誰も答えてくれないこともしばしばだった。私は何時間もゼミ室で一人居残ってやっとのことで終わらせたが、この状況にはほとほと参って疲れてしまった。
私は、物理中心の教育を受けてきたため、化学の知識が足りなかった。ゼミにせよ、授業にせよ、そのせいで分からないことも多かった。私は焦っていた。課題を前にさまよっている時間が、何も理解できないままにただ座っている時間が、前に進めずに自分の無能さを恨んでいる時間が、苦痛に感じられてならなかった。言っていることが理解できない。理解できないから、つまらない。自分に必要なのはこういった話ではないのに。ああ、その時間があれば、論文をどれだけ読めただろうか、マニュアルをどこまで進められただろうか......。
私は、早くただ論文やマニュアルを読んでいるだけの段階を終えて、計算をする段階に移りたかった。だが、自分が立てた目標は、追えば追うほど蜃気楼のように遠ざかっていった。たかだか院試をパスしたというだけで、研究を始めるにあたっての基礎的な能力が何か保証されるわけではない。その当たり前の事実に、私はこのときまで全く気付いていなかったのだ。(続く)

(*1)生体膜を通して物質を運ぶタンパク質(膜輸送体)のうち、物質を低濃度側から高濃度側へ運ぶ(能動輸送)役割を担っているもののこと。輸送の際にエネルギーを消費する。
(*2)私の問題意識について、この脚注でより詳細に説明しておこう。私が研究対象としようとしていたタンパク質は、KR2と呼ばれる光受容性輸送体であった。KR2の立体構造は既に知られている(Kato et al., 2015)。さて、このKR2の動作原理に関しては、図1に示すような「パナマ運河モデル」が提唱されている(Kandori, Inoue & Tsunoda, 2018)。これは、状態3から状態4に移るときの、船を「持ち上げる」操作がタンパク質の形の変化に対応する、とするものである。
図1 (A)「運河」の様子。(B)対応するイオンポンプの様子。二つの門が開閉することにより標的イオンが輸送される。このモデルでは、状態3から状態4に遷移する際にエネルギーを利用するとされる。
図の出典: Kandori, Inoue & Tsunoda (2018). p. 10647
ただ、私はこれに納得がいかなかった。図1-Bを見る限り、状態3から4の遷移で標的イオンが仕事をされているようには思えない。これはむしろ、3Aセメスターの「数理生物学」の授業(ref. 「振り返り: 3Aセメスターの授業」)で習った「マクスウェルの悪魔」を実現するものの1つ(例えば、Toyabe, Sagawa, Ueda, Muneyuki, & Sano (2010)は実際にそのような系を組み上げている)としてみるべきだろう。そう考えるならば、エネルギーを要するのは状態7から8の、系を最初の状態に戻す過程になるはずである(Sagawa & Ueda, 2009)。私は、実験よりも時間分解能の高いシミュレーションの結果を使うことで、前述の予想を検証し、イオンポンプにおける輸送に関して粒子位置の"情報"が果たす役割を知ることができるのではないかと考えた。生物や化学の人にはあまり知られていない情報熱力学の理論を使うことで、一定のオリジナリティを発揮しようという目論見だった。 以上が「情報熱力学的観点からの考察」 という言葉の意味するところである。
(*3)博士課程の学生を対象にした、「日本学術振興会特別研究員」の制度のこと。これに採用されると、日本学術振興会から給与や研究費を受け取ることができる。採用された人の多くが常勤研究職に就いていることから、研究者への登竜門ともされる。ref.「特別研究員-DCの就職状況調査結果について」(日本学術振興会)
(*4)B4は学部4年生、M1は修士課程1年生の意味。
(*5)チャットができるコミュニケーションツール。おおよそ、研究室メンバー用の掲示板のようなものだと思ってもらえればいい。

[参考文献]
  • Kato, H. E., Inoue, K., Abe-Yoshizumi, R., Kato, Y., Ono, H., Konno, M., … Nureki, O. (2015). Structural basis for Na+ transport mechanism by a light-driven Na+ pump. Nature, 521, pp. 48-53. https://doi.org/10.1038/nature14322.
  • Kandori, H., Inoue, K., & Tsunoda, S. P. (2018). Light-Driven Sodium-Pumping Rhodopsin : A New Concept of Active Transport. Chemical Reviews, 118, pp. 10646–10658. review-article. https://doi.org/10.1021/acs.chemrev.7b00548
  • Toyabe, S., Sagawa, T., Ueda, M., Muneyuki, E., & Sano, M. (2010). Experimental demonstration of information-to-energy conversion and validation of the generalized Jarzynski equality. Nature Physics, (12), pp. 988–992. https://doi.org/10.1038/nphys1821
  • Sagawa, T., & Ueda, M. (2009). Minimal Energy Cost for Thermodynamic Information Processing: Measurement and Information Erasure. Physical Review Letters, 102 (25), 250602. https://doi.org/10.1103/PhysRevLett.102.250602

2019年9月28日土曜日

続・私の院試体験(8)

・2018年12月下旬~2019年2月中旬
私はT君の言葉が引っかかっていた。すぐには受け入れがたい助言だったが、尤もといえば尤もな感じがした。問題は、私が自殺するのか、しないのかだった。
考えてみると、私は自殺を先送りにするばかりで、真面目に考えることを避けてきた。自殺するのであれば今死ねばいいし、自殺しないのならば自分が幸せになれるよう精一杯の努力をすればいい。それを中途半端にしているからデッドロック状態に陥ってしまっているのである。となれば、私は今すぐ自殺できるのだろうか。今ここで首をくくる、そんな選択が私に可能なのだろうか。
そんなことはできなかった。私は、その実、自殺を実行するには程遠いところにいた。死それ自体よりも、死に至るまでの痛みのことが恐ろしかった。私は、自殺はおろか、もっと致死性の低い自傷行為すら恐れるような人間なのだ。私には希死念慮こそあれど、自殺願望などどこにもなかった。であれば、私にできることは、余程のことがない限り自分はこれからも生き続けなければならないという事実を受容することだけだった。かくして、私は自らの幸せを実現するために努めるよう方針を転換することにした。
そして、ちょうどこの頃、私は「彼女」が私と同様にこの春から関西地方に引っ越すことを知った。これはチャンスだ。私は、卒研が仕上がって落ち着いたら「彼女」へのアプローチを始めようと心に決めた。

ところで、その卒研は2月初頭の発表会に向けてちょうど最大の山場を迎えていた。教科書はキリのいいところまで読み進められたため、導出できた式を使って実際に計算をしてみようという話になった。これこれこんなモデル(*1)に対して理論を適用してみたいです、と私が言ったところ、K先生はそれで行こうとGOサインを出してくれた。私は実際に計算するためのプログラムを書き始めた。
プログラミング作業は発表会の前日ギリギリにまで及んでしまったが、どうにかこうにか計算を終えてデータを出力することができた。無事に発表を終え、報告書も提出し、私の卒研は一応の完成を見た。「続・私の院試体験(5)」の冒頭で述べた、3つの重要事項はこれにてコンプリートである。
卒業研究発表会では、統合自然科学科ならではのバラエティ豊かでユニークな話を色々聞くことができて楽しかった。中でも、A研の学生の発表は学術的な面で特に印象に残ったものの一つ(*2)だった。シンプルな設定から非自明な結果が出てくるシミュレーションの妙味に感服するとともに、「へー、A研ではこういう方向の研究もありなのか。これは自分の興味に割と近いかもしれない(*3)な」と思ったものだった。

・2019年2月下旬~2019年3月上旬
引っ越し準備の傍、積極的に友達と食事に行ったり、宿に泊まってボードゲームで遊んだりして引き続き東京での思い出作りに勤しんだ。特に、おくと行った火力発電所は最高だった(*4)。首都圏での遊びを締めくくるにふさわしい集大成であった。
3月の上旬に京都に引っ越した。しばらくの間は生活基盤を整えることに専念していた(*5)。

・2019年3月中旬~2019年3月下旬(1)
時は来た。私は「彼女」に連絡を取り、彼女を街へと呼び出した。一緒にランチを食べ、街を少し歩いて、喫茶店でコーヒーを飲んだ。
東京で思い出作りをした経験がここで活きた。友達と火力発電所に行ってきた、という話をすると、彼女が強く食いついてきた。
「ああー!楽しそう、私も火力発電所行ってみたい。都会ってそういう楽しみ方があったんだ。私の周りにはそういう友達いなかったから、思いつかなかった。もっと早く知りたかったな」
「じゃあ、今度俺と行かへん?関西圏やと......例えば、造幣局とかどうかな」
「造幣局!行ってみたい!」
「よし。来週、春休みのうちに行こう。帰ったら工場の予約調べてみるわ」
......手応えありだ。これ以上望むべくもないほど上手く事が運んだ。いける。この調子なら、きっといける。最早、あとは俺が告白するのを待っているだけと言っても過言ではないのではないか(*6)。私はそんなことを考えながら家路に就いた。しかし、まさか火力発電所に食いつくとは、流石は「彼女」。やっぱり彼女は最高だな......。家に着いた私は、自らの彼女に対する恋愛感情がこれまで以上に大きくなっていることに気が付いた。そう、私は、今や否定の余地もないくらい、爆発的に、どうしようもなく、抑えがたいほどに、彼女のことを好きになっていたのだった。(続く)

(*1)このモデルは、A先生の授業の中で扱われたものだった。A先生は粗い近似を用いて計算していたが、勉強した理論を使えばもっと精密に評価できるはずだと思い、それを実際にやってみることにした。
(*2)学術的な面で印象に残った発表もあれば、学問とは関係のない点で印象に残った発表もあった。
(*3)その学生は、高密度な2成分流体の相分離及びガラス転移をテーマに研究していた。私は、A研にはもっと平衡状態に近い静的な系の理論を研究しているイメージを持っていたので、その学生が本質的に非平衡でダイナミックな系の研究をしていたことが少々意外に感じられた。非平衡現象は私が関心を抱いていたテーマの一つだった。また、相分離が様々な生命現象に関わっている(白木, 2019)だとか、細胞内の分子混雑が生命現象において重要な意味を持っている(柳澤&藤原, 2015)だとか、代謝に関連して細胞質のガラス転移が起こっている(Parry, Surovtsev, Cabeen, O’Hern, Dufresne & Jacobs-Wagner, 2014)だとか、生命科学の分野にも色々と関連する面白い話がある。
(*4)ref.「横浜: 磯子火力発電所ほか」
(*5)ref.「3/5 - 3/12: 転居」
(*6)ここまで思った背景には、火力発電所の件の他にも、「彼女」が恋人いないアピールをしてきたという一件があった。ref.「初恋(2)」

[参考文献]
  • 白木賢太郎, (2019). 相分離生物学. 東京化学同人, 東京 .
  • 柳澤実穂 & 藤原慶, (2015). 総説 高分子混雑効果を細胞モデル系から読み解く. 生物物理, 55 (5),pp. 246-249.
  • Parry, B. R., Surovtsev, I. V., Cabeen, M. T., O’Hern, C. S., Dufresne, E. R. & Jacobs-Wagner, C., (2014). The Bacterial Cytoplasm Has Glass-like Properties and Is Fluidized by Metabolic Activity. Cell, 156 (1–2), pp. 183–194. https://doi.org/10.1016/J.CELL.2013.11.028

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2019年9月27日金曜日

続・私の院試体験(7)

・2018年8月~2018年9月中旬
私は北大と京大の試験を受け、その両方において第一志望の研究室に合格した(*1)。私は京大に進学することに決め、春からは理学研究科化学専攻の研究室に所属することになった。QM/MM法(*2)(*3)で生体内化学反応の機構を理論的に解明することを目指している研究室であった。

・2018年9月下旬~2018年10月上旬
私は院試に合格した旨を卒業研究の指導教員のK先生に報告し、卒研の方針について話し合った。大学院から取り組む予定の分子動力学シミュレーションはK先生の専門分野ではなかったが、K先生は自身の専門と分子動力学シミュレーションを接続するような分野を一緒に学んでいこうと言ってくれた。そうしていくつか提案してもらった候補の中から、私は自分の卒研のテーマとして液体論(*4)を選んだ(*5)。かくして、液体論の教科書 "Theory of Simple Liquids - with Application to Soft Matter 4th Edition" (Hansen & McDonald, 2013)を読み進め、勉強した内容を週に一回K先生の前で発表する、というスタイルで卒研を進めていくことになった。

・2018年10月中旬~2018年12月上旬
もうすぐ東京を離れることになったため、引っ越しまでに東京らしいことでもしておこうと思い、浅草でどぜう鍋を食べたり東京証券取引所に行ったりした。特に、東京証券取引所に行った旨をblogの記事に書いた(*6)ところ、友人「おく」が関心を示し、次は一緒に行こうという話になった。そうして、おくと一緒に国会や最高裁を訪れた(*7)。
卒研の内容である液体論は、K先生というよりA先生の方の専門分野だった。そこで、K先生と議論しても解決できなかった疑問点はA先生に相談しながら教科書を読み進めていくことにした。A先生の説明は明快で分かりやすく、A先生と議論するのは楽しかった。また、4年生のAセメスターではA先生の授業を受けていたが、これもまた刺激的で面白いものだった。A先生の授業を受けていると、失われかけていた物理を楽しむ気持ちが戻ってくるような感じがした。

・2018年12月14日
いつものごとく学生控え室に行ってみると、学科の友人T君とおくが現れた。T君は言った。「ちょっと【如才】君にも聞いてみよう。何の話かというと、結婚問題ですよ」
2人は、出会いがない中でどうやって結婚しようか、という問題を議論していたようだった。T君によれば、同級生の中には結婚をしたいという人もいれば、まだ何も考えていないという人もおり、結婚に対する態度は様々だということだった。T君は私に尋ねた。「それで、【如才】君はどうなの。結婚したいの?」
私「それは......具体的な一人を想定して、そうですね」
T君「具体的な一人を想定して、そう......。それはどういうこと。アニメキャラとかアイドルとかと結婚したいって言ったら◯すぞ」
私「いや、ある程度交流のある、生身の人......です」
私は、自分に好きな人がいることを自白した。そこから、なぜ私が片想いを続けているのかという話になり、更にその背後にある希死念慮の話になった。T君は、「なんか結婚どころじゃなくなってきたぞ」と言って、何やら黒板に図を書きながら自らの死生観を語り始めた。それは、私が理解した限りでは、「自殺すること前提で生きて、生きる上で活力になるものを自ら捨てていっていてはいざ自殺しないとなったときに後悔するだろうから、自殺しないことを前提にして人生を考えるべきだ」(*8)という内容だった。そして、この言葉が私の初恋における一つのターニングポイントになったのであった。(続く)

(*1)ref.「私の院試体験」
(*2)系を量子力学(QM: Quantum Mechanics)で扱う部分と古典的な分子力学(MM: Molecular Mechanics)で扱う部分とに分けた上で、分子の時間発展の様子を計算する手法。反応過程を議論するには量子効果を取り込む必要が出てくるが、全てを量子力学で計算すると膨大な計算コストがかかってしまう。QM/MM法は全てを量子力学で扱うよりも計算効率が良く、溶液中のタンパク質などの大規模な系のシミュレーションを可能にした。私は、量子力学の知識を要するこのQM/MM法に関する研究に携わることで、物理中心の教育を受けてきた強みを活かしつつ生命科学の発展に貢献することができるのではないかと考えた。
(*3)私は、4年のSセメスターでは「レーザーを照射された窒素分子の電子の波動関数の時間発展の計算」をテーマにしていた。これは全てを量子力学で扱う化学計算である。しかし、窒素分子は小さすぎて、生命現象という観点からはあまり面白いものではない。生物屋にとっては、もっと大規模な分子について計算できた方が嬉しいのだ。このように、QM/MM法の研究室にしたことには4Sでの研究室選択の結果が関わっている。
(*4)液体の構造を扱う統計力学の分野。その応用として、量子化学計算と組み合わせたRISM-SCF法(Ten-no, Hirata & Kato, 1994)がよく知られている。このRISM-SCF法は、溶液中の化学反応を計算する上で重要なツールとなっている。
(*5)これは『ゆゆ式 1』(三上小又, 2009. p. 71)の影響であった。ref.「卒業研究」
(*6)ref.「日記: 東京証券取引所と水再生センターの見学」
(*7)ref.「12/11 午後」
(*8)私のblog記事「初恋(1)」より引用。最終閲覧日2019/9/27。

[参考文献]
  • 三上小又, (2009). 「ゆゆ式 1」. 芳文社, 東京.
  • Hansen JP. & McDonald l. R., (2013). Theory of Simple Liquids - with Application to Soft Matter 4th Edition. Academic Press, Cambridge.
  • Ten-no S., Hirata F. & Kato S., (1994). Reference interaction site model self‐consistent field study for solvation effect on carbonyl compounds in aqueous solution. Chem. Phys. Lett., 100. pp. 7443-7353.

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2019年9月26日木曜日

続・私の院試体験(6)

・2012年4月~2014年12月
思い返せば、私はもともと京大志望だった。父は、時々京都に住んでいた大学時代の思い出を語ってくれた。私は京都という土地に憧れの気持ちを抱いていた。高校1年生の8月には、私は同じクラスの友達と京大のオープンキャンパスに行き、京大への憧れを強めて帰ってきた。ただ、自分に京大に行けるだけの学力があるとは、そのときは全く思っていなかった。
私が入った高校の卒業生で、私が入学するまでに京大に行った人は確か1人しかいなかったはずだ。東大には0人である。そして、高校1年生の頃の私は、学年1位の成績というわけでもなかった。京大に行くのが現実的な未来だとは思えなかった。
転機は高1の冬に受けた駿台模試だった(*1)。ここで、私は自分の成績が全国でも相当高いレベルにあることを知った。模試の結果は、この調子で行けば京大だろうと東大だろうと私が志望しさえすれば大体合格するであろう、ということを告げていた。私は驚愕した。 同時に、私は志望校を決めることができなくなった。折角だから、東大に行っておいた方がいいのだろうか。しかし、京大の自由の学風にも憧れるしなあ......。
そうして時は過ぎ、私は志望校を曖昧にしたまま高3の冬を迎えた。12月、担任の先生と母を交えて進路について話し合う三者面談があった。そこで担任が放ったのが、「どこ受けても通るやろうから、(志望校を決められないのであれば)サイコロ振って決めたらええ」という言葉だった。私はその言葉に感銘を受けた。今まで自分の進路を真面目に考えていたけれども、考えても答えが出ないのなら真面目に考えなくてもいいか。私はそういう気分になった。

・2015年1月~2015年3月(2)
結局、私は何となく東大を受けた。受験勉強に関しては、特に何に苦労したということもなかった(*2)。合格発表の当日、私は部屋探しのために東京に来ていた。自分の受験番号があることを前提にした行動だった。自らの合格を知った瞬間の私の胸に喜びはなく、ただ安堵だけがあった。
私は、本当にこの選択で良かったのだろうかという不安を胸に抱きながら、渋谷(*3)の街に降り立った。慌ただしい喧騒に包まれながら、私はどこか長閑さのある京都の鴨川の風景に思いを馳せていた。

・2018年7月下旬
さて、物理学のバックグラウンドを活かして生命の研究をするに当たっては、ざっくり分けて2パターンの方向性が考えられた。
1つは、熱力学のように現象論的なモデルを構築することを目指す研究である。ただ、この方向の研究は、目標と現状の乖離が非常に大きいように感じられた。トップダウン的に理論からアプローチするのには大いにセンスが必要そうであったし、ボトムアップ的に実験からアプローチするにしても有効なモデルを構築するのには程遠いのではないかと思われた。発想としては面白いのだが、どうにも自分に務まる気がしなかった。
もう1つは、生命現象のうち解析に物理学の知見が活かせるものを切り出して、そのメカニズムを詳細に調べるような研究である。第4回で述べた渡り鳥の磁気コンパスの研究もこれに当たる。ただ、生命現象を切り出してその仕組みを詳細に調べたとしても、生命というシステム全体のことは何も分からないのではないかと感じられることが気がかりだった。
悩んだ末に、私は両方の間の子のようなアプローチを取ろうと考えた。それは、情報熱力学の観点から生体内の化学反応を理論的に考察することで、生物における情報処理システムの一般論に迫ろうという作戦であった。化学反応の理論をテーマにするというのは、Sセメスターで化学の研究室に配属されたという流れを汲んだものだった。こうして、私は京大と北大の2つの大学の大学院を受験することにした。
北大はともかく、京大を受けることにしたのはもちろん意図的なチョイスだった。私は京都に住むための口実を欲していた。大学院受験は、私にとってまたとない機会だったのだ。私は、京大の中で一番私の思想に近そうな研究室を探し出し、そこを第一志望として出願した。(続く)

(*1)これ以前にも、高校で強制受験だったベネッセの進研模試は受けてきた。だが、低難易度かつ採点ミスの多い進研模試では、私の学力をまともに測れていなかった。
(*2)これは、大学入学後のキャパオーバーの遠因になった。いわば、私は頑張り方を知らなかったのだ。
(*3)新幹線が停まるJR品川駅から東大駒場キャンパスに行くときの乗換駅。人が多く、うるさく、動線が悪くて迷いやすい。

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2019年9月24日火曜日

続・私の院試体験(5)

・2018年4月
4年生になった。大学院入試の出願先を決めること、大学院入試を突破すること、卒業研究を完成させること。この3つが4年生の1年間における最重要事項である。
さて、4年生になると授業のコマ数は3年生の頃よりも減る。その分を研究や院試に向けた自習に充てるのが常道である。ところが、この頃になると、私の憂鬱はいよいよ抑えがたくなっていた。私はほとんど必要最低限レベルの研究しかしなかったが、かといって自習を進めたわけでもなかった。私の勉強時間はただただ減っていく一方だった。私は疲れ切っていた。私は睡眠障害を発症し、睡眠導入剤を処方されるようになった。
私の希死念慮は日を追うごとに深まっていった。生きることに楽しさが感じられず、食事などをして生命活動を維持することが面倒に感じられてならなかった。しかし、いくら生きるのが面倒だったとしても、食事を取らなければ空腹になって耐え難い苦痛に苛まれる。私は、楽しむためでもなく、生きるためでもなく、ただ空腹の苦しみを回避するために食事をしていた。私は空腹と苦しみを紐付けた生命のシステムを恨んだ(*1)。私の肉体は、私に生きさせたいがために、快楽というアメと苦痛というムチを準備していた。私は、「生」という、自分の肉体に雁字搦めにされている状態に腹が立って仕方がなかった(*2)。早く死んで、この世の一切の苦しみから解放されたいと私は願った。だが、私がいくら願ったところで、自分がひとりでに死ぬなんてことは起こらなかった。
私は死にたかった。死ぬときに感じるであろう苦しみのことを想像すると今すぐ自殺しようとは思えなかったが、将来的には自殺することも視野の中に入れていた。ゆえに私は、自分は「彼女」と結ばれてはならないと考えた。自分が死んで悲しむ人を、いたずらに増やすわけにはいかなかった。私は、自らの恋を実らせるための努力を放棄することにした。

・2018年5月~2018年7月中旬
5月の中頃、卒業研究における研究室配属の希望調査票が配布された。Aセメスターの卒業研究では、Sセメスターで所属した研究室を引き続き志望してもよいし、他の研究室に変えてもよい。また、Sセメスターで選択できる研究室は実験系のラボ中心であるが、卒業研究では選択肢に理論系の研究室が大幅に追加される。このため、実験系志望の学生は研究室を変えず、理論系志望の学生は研究室を変えるということが多い。私は理論の研究室へと移ることにした。
駒場には生命の理論を扱っている研究室がいくつかある。これらは有力な候補だったが、先生が一癖も二癖もある少々変わった人たちであった。実績も人気もある強い研究室ではあったのだが、私はこのノリについていけない感じがした。そこで、生命ではなく物性の理論を扱っているラボに行くことを選んだ。結局、「言っていることの意味が分かりやすい(*3)」「研究テーマ選びが柔軟」「先生から情熱を感じる」といった理由で、K先生(仮名)の研究室にすることにした。
他にA先生(仮名)の研究室も検討したが、A研では大学院でA研に進学する人以外は本を読んでその内容をまとめるだけで終わりにする予定だという話だった。それではつまらない、自分で計算もやってみたい。私はそう思ってA研ではなくK研に出した。そして、希望通りK研に決まった。(続く)

(*1)言い換えれば、私は、自分が研究したい対象を憎んでいた。
(*2)ref.「美味い飯を食うと満足感が得られるの、俺の設計者が俺をそうやすやすとは死なせないために作り上げた快楽装置だと思うとムカついてきた」
(*3)当然のことながら、言っていることの意味が分かりやすい先生もいれば、分かりにくい先生もいる。

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2019年9月23日月曜日

続・私の院試体験(4)

関連記事:「初恋」 

・2017年1月~2017年3月
「彼女」(*1)は、そんな私の前に現れた。彼女は、誠実で、謙虚で、実直な人だった。彼女は成績優秀な学生だった。私は彼女に尊敬の念を抱いていた。だが、彼女は決して完璧な超人というわけではなかった。その成績は、彼女の並々ならぬ勤勉さによって支えられたものだった。彼女が私の前で吐露したのは、大学の勉強についていくことの大変さだった。彼女は、私の苦悩の一部を共有できた相手だった。彼女と話すのは楽しかった。ああ、こんなにも話の分かる人だったとは。私は心安らぐ思いがした(*2)。帰宅したとき、私は彼女にまた会いたいと感じた。それが恋心の萌芽だったとは、このときは想像だにしなかった。

・2017年4月~2017年12月
気付けば、私は「彼女」に友情以上の特別な感情を抱くようになっていた。それは初めての体験だった。私は、自分自身の内面の変化にどう対処すればよいのか分からなかった。私は時間をかけて自分の感情に向き合い、そしてその感情が恋愛感情であることをゆっくりと受け入れていった。両親の不仲により、私の中では恋愛への不信感が形成されていたのだが、彼女ならそれも融かしてくれるのではないかと思われた。
学年が上がって3年生になり、勉強は一層ハードさを増した。それと歩調を合わせるように、私の学問第一主義の思想も一層先鋭化していった。先鋭化された思想は私の行動を制限し、閉じられた人間関係の中で「彼女」以外の選択肢は覆い隠された。更に、絶望と憂鬱のスパイラルは、絡まり合って希死念慮という塊を作り上げた。かくして、私の心の中では恋愛感情と希死念慮の両方が日に日に膨張していった。

・2018年1月~2018年3月
4年生への進級を目前に控え、Sセメスター(*3)分の研究室配属の希望調査票が配られた。どこの研究室を志望するかは難しい問題だった。物理学を基盤として生命現象を理解したいといっても、具体的にどうすればよいのか、どういうことをすれば自分が今まで身につけてきた知識を活かすことができるのか、どうすれば生命現象を”理解”することができるのか、いくら考えても結論を出すことはできなかった。
私はこれまで物理学と数学を中心に勉強してきており、生物学には疎かった。そのため、自分には物理学色の強い研究の方が有利であるように思われた。しかし、そうした物理に立脚して生命の生命らしさを探っていくような研究は、私が想像していたよりも発展途上の段階にあった。天才の現れを待たない限り、物理寄りのアプローチをしても私が知りたいことは何も分からないのではないかと感じられた。一方で、生命寄りの実験に取り組むこともためらわれた。私は生命科学の基本的な実験操作に習熟しておらず、生命実験をする上で不利なように思われた。私は、今まで勉強してきた物理学をなるべく直接的な形で活かしたいと考えていた。 色々と悩んだ果てに、窒素分子にレーザーを当てたときの様子を調べている、「分子分光学」と呼ばれる分野の研究室を志望することにした。その主な理由としては、
  • 量子力学の世界を実験的に体感することで、より深く物理学を理解できると考えた。分子分光学の世界は固体物理の世界よりも起こっている現象とシュレーディンガー方程式(*4)との対応が分かりやすく、学習の素材として向いていると思われた。
  • 大学院からの研究テーマ候補の1つとして「渡り鳥の磁気コンパス(*5)の仕組みの解明」というものを考えており(*6)、分子分光学的研究における実験操作に習熟することはその研究をする上でプラスになると考えた。
  • 先生が優しく暖かい人柄をしていた。
といったものが挙げられる。他に同じ研究室を希望した学生はおらず、私の希望は自動的に叶えられた。こうして、生物学とは直接的には何の関係もない、化学(*7)の研究室に配属されることになった。(続く)

(*1)もちろん、「初恋」の「彼女」と同じ人物を指している。
(*2)この頃の私は、しばしば友人たちがお酒やバイトや異性の話で盛り上がっている場面に遭遇した。私はそういった輪にうまく入ることができず、その度に疎外感を覚えていた。
(*3)東大では、4月から9月にかけての年度の前半をSセメスター(夏学期)と呼ぶ。年度の後半はAセメスター(秋学期)である。いわゆる前期と後期なのだが、東大で前期・後期というと前期課程(1年生と2年生)・後期課程(3年生以降)のことを指すことが多い。
(*4)量子系の時間発展を記述する方程式。量子力学の基本原理である。
(*5)光受容性タンパク質「クリプトクロム」が渡り鳥の磁気コンパスに関与していると考えられている(Ritz, Adem & Schulten, 2000)。
(*6)溶液中でクリプトクロム内のラジカル対の様子を観察するための手法が2015年に東大で開発されている(Beardmore, Antill & Woodward, 2015)。
(*7)通常、分子分光学は化学の一分野に位置付けられる。

[参考文献]
  • Beardmore J. P., Antill L. M. & Woodward J. R., (2015). Optical absorption and magnetic field effect based imaging of transient radicals. Angew. Chem., 54. pp. 8494–8497.
  • Ritz T., Adem S. & Schulten K., (2000). A model for photoreceptor-based magnetoreception in birds. Biophys. J., 78. pp. 707-718.

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2019年9月22日日曜日

続・私の院試体験(3)

・2016年9月~2016年12月(2)
私の将来の夢は、子供の頃から一貫して、科学者になることだった。初めは、「生命の謎」を解くことだけが目的だった。知りたい謎があるから研究をする。それは科学者を志す理由として最も純粋で、最もシンプルで、最も自然なものだった。科学者の卵たるものかくあるべし。しかし、この動機は次第に変質していくことになる。
大学二年生になり、私は自らの人生設計を子供の頃よりも具体的に考えるようになった。このとき脳裏に浮かぶのは、心底つまらなさそうに仕事をする父の姿であった。父の仕事には、父を満足させるだけの知的刺激が欠けていた。
かつては私のどんな質問にも答えられた父も、私が成長して難しい質問を投げるようになるにつれて「昔勉強したけど、もう分からへんわ」と答えることが増えてきた。父は貪欲に学んできた(*1)はずなのに。私は、父の専門であった化学の知識が父の中ですっかり色褪せていることに気付くたびに、たまらなく悲しい気持ちになった。インプットとアウトプットのサイクルを回すことを止めたそのときから、頭の中に構築された学問の体系は錆び付き始めてしまうのだ。
私は、生涯に渡って知的刺激を受け続けながら生きていきたいと強く願った。そのためには、学問に関わる仕事に就くことが必要であった(*2)。そのような仕事として、私が思い付いた職業は研究者しかなかった。私は、研究者以外の仕事についても自分を満足させることはできないだろうと考えた。研究者になるしかない。どうしても研究者にならなければならない。研究者以外の道など考えられない……。かくして、私は研究者になるという夢に”呪縛”されることとなった。
言うまでもなく、研究を行うためには既存の学問体系をしっかりと理解することが重要である。物理学を理解できずして物理学の研究ができるはずもない。私は勉強しなければならなかった。知的好奇心を満たすために行っていたはずの勉強が、いつしか義務感によるものへと変化していた。私は知らなければならない。分からなければならない。しなければ。しなければ。勉強を、しなければ……。こうした考えに支配されていた私に、学外活動へ時間を割けるほどの精神的余裕などなかったのだ。
私は全てを勉学へと注ぎ込もうとした。しかし、それは結局叶わなかった。私は疲弊していた。勉強をすればするほど、勉強が楽しくなくなっていった。知的好奇心は擦り切れ、情熱の炎は燃え尽きていた。勉強の楽しさこそが、私を駆動していたエンジンだった。今や、そのエンジンが動かない。もう、何をすれば楽しいという気持ちが得られるのかすっかり分からなくなっていた。勉強も、学外活動も、家事も、ゲームで遊ぶことさえも、何も手につかない時間が増えていった。
夜になると、出口の見えない思考が頭の中を際限もなく巡った。私の寝付きは著しく悪くなった。それは集中力の低下をもたらし、勉強の効率を悪化させた。私は、思うように勉強を進められない自分自身を責めた。私が焦りを募らせるほどに理想と現実のギャップは開いていき、そのギャップに直面するたびに私の気分は重くなった(*3)。私は、自らの心臓部に根を張った呪縛に引きずられるようにして、絶望と憂鬱のスパイラルの中を落ちていった。(続く)

(*1)父は、大学二回生のときに法学部から理学部へと転学部している。そうまでして学びたいことがあったということである。
(*2)学ぶことは楽しい。だが、怠惰な私を動かすためには、それだけでは動機付けとして弱すぎる。学問の苦しさを乗り越えるためには、仕事という形で一定の強制力を自分に与えることが必要であると思われたのだ。
(*3)気分の重さを解消すべく、その正体を探ろうとして私は内省をするようになった。ref.「整理」

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2019年9月21日土曜日

続・私の院試体験(2)

・2016年5月~2016年8月
様々な学科を検討した結果、後期課程は教養学部統合自然科学科に進学することにした(*1)。生物学と物理学の境界分野に関心を抱いていた私にとって、自分で自由にカリキュラムを設計できる統合自然科学科はうってつけの選択肢のように思われたのだ。

・2016年9月~2016年12月(1)
私は無事に統合自然科学科に内定し、専門科目の勉強を始めた。私は物理学の基礎の上に立って生物を研究しようと考えていたため、2年生のうちは物理学と数学を中心とした時間割を組むことにした。
進学選択に伴い、前期教養のクラスの友達とは離れ離れになった。代わりに顔を合わせる機会が増えたのが同じ統合自然科学科に内定した同級生であったが、彼ら彼女らとはなかなか仲良くなれなかった。最初の懇親会で自己紹介の時間があった(*2)が、人を覚えるのが苦手な私はすぐに誰が誰だか分からなくなってしまった。教室はいつも静かで、休み時間にも会話はほとんど発生しなかった。私は、周りの学生たちにどう声をかけてよいものか分からなかった。そうして、誰とも何も話すことなく過ごす日々が増えた。私は孤独感を覚えた。
その頃、中学の頃からのある友人に恋人ができた。聞けば、彼は学外活動の中でその恋人と出会ったのだという。私の目には、隣の芝生が青く映った。私と違って、彼は勉強だけでなくバイトやサークル活動も器用にこなして彩り豊かな大学生活を送っているように見受けられた。私は彼を羨み、自分の寂しい生活と彼の華やかそうな生活を比較して落ち込んだ。今のままでは、恋人どころか友人を作ることさえままならない。既にサークル(*3)に入ってはいるが、もっと他に色々学外活動をやってみたい。私はそう考えた。
しかし、その思いを実際に行動に移すことはできなかった。自らの知的好奇心を満たすこと、それが私の人生における第一の目的だったからだ。私は勉強に追われていた。
いや、違う。私は勉強に自分自身を追わせていた。私は、研究者になるという夢に"呪縛"されていたのだった。

・子供時代
私は、父から強い影響を受けて育ってきた。父は知を愛していた。本をよく読み、面白かった本を私と共有してくれた(*4)。私が何か疑問を口にすれば、広い知識を活かして答えてくれた。勉強の面倒もよく見てくれた。私が何かやりたい実験があると言えば、一緒に準備してくれた。私に学ぶことの面白さを教えてくれたのが父だった。私は父を尊敬していた。私が研究者になりたいと思い始めたのは、他ならぬ父の影響だった。
ところが、かつては才気溢れる学生だったのであろう父も、今や好きでもない仕事に汲々とするサラリーマンに過ぎなかった。父は、小学生の頃の私が「パパが今(*5)しとるのはどういう仕事なん?」と無邪気に尋ねるその度に、自分がやっているのは「しょーもない仕事」だと言って自嘲した。父が仕事にやりがいを感じているようには到底見えなかった。ついでに言えば、父と母の仲もあまり良くなかった。私は、仕事と家庭両面に関する父の嘆きに接しながら育ってきた。
私は、何でも教えてくれる優秀な父を尊敬していたが、その一方で、”優秀”な父に対し尊敬だけではない複雑な感情を抱いていた。自分が父に似ていること、自分が疑いようもない父の息子であることを、私はよく自覚していた。父の姿は「最もありえそうな未来」における私の姿であると同時に、「どうしても避けたい未来」における私の姿でもあった。 父は私の模範ではなかった。私は父のようになりたくなかった。
私は、父が「しょーもない仕事」をする中で出会った、後に折り合いが悪くなる母との間に生まれた子供だった。父の人生を否定することは、すなわち自己の存在を否定することだった。私は、父の嘆きにどう接してよいか分からなかった。こうして私は自己存在に関するわだかまり(*6)を抱き、そしてそれを抱えたまま成長していった。(続く)

(*1)ref.「私の進学選択(3)」
(*2)当然、私も自己紹介した。後に友人から聞いたところによると、その内容が変だった(「20年間人間という生き物をやってきました」「好きなことは、高い筆圧で文字を書くことです」など)ために私はしばらく"ヤバい奴"だと思われていたらしい。自己紹介がもっとまともだったら、もっと早く同級生たちと打ち解けられていたのだろうか......。
(*3)当時、私は東京大学キムワイプ卓球会の会長を務めていた。
(*4)その中でも、当時小学五年生だった私に「生命の謎」に関心を抱かせ、私の興味の方向性を決定づけた本が「生物と無生物のあいだ」である。ref.「私のオールタイムベスト10」
(*5)父は、しばしば仕事を家に持ち帰り、休日も仕事に忙殺されていた。
(*6)ref.「初恋(1)」

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2019年9月20日金曜日

続・私の院試体験(1)

リンク:「私の院試体験」

最近、また院試に合格した。
整理すると、昨日京都大学理学研究科を退学し、本日東京大学総合文化研究科に入学したということである。一体何がどうなってこのような事態になったのだろうか。この連載を通じて、その経緯をまとめておこう。

・2015年1月~2015年3月(1)
当時高校3年生だった私は、センター試験が終わってもなお、自らの志望校を決めることができていなかった。私は、東京大学理科一類に出願するか、京都大学理学部に出願するかで迷っていた。センター試験の結果は十分に良かった。あとは自分の気持ちだけだった。しかし、自分がどちらの大学に進学したいのか、考えても考えても結論は出ないのであった。
考えに考え抜いた結果、私は「考えても無駄」だという考えに至った。私はその場の気分で何となく東京大学理科一類に出願し、そして見事合格を勝ち取った(*1)。

・2015年4月~2015年7月
私は東京大学理科一類に入学した。
私が最も大きな関心を抱いていた対象は生命であった。それは、とりもなおさず、自分自身に対する関心であった。我々は、生まれ、生き、やがて死ぬ。では、生きるというのはどういうことなのだろうか。私は、この、根源的な「生命の謎」を解き明かしたいと強く思った。私は、何か現象を理解するとは、「物理の様式で現象を記述し、その構造を咀嚼すること」だと考えていた。私は、生命現象を物理の様式で記述したい、その研究のために自らの一生を費やしたいと思っていた。私は、「生命の謎」を解くためなら、どんな厳しい勉強も厭わないつもりだった。「生命の謎」は、私の世界の絶対的な中心であり、私の生きる目的だった。
私は、大学での学びに大きな期待を抱いていた。大学では、好きなことを好きなだけ学んで大学という環境を使い潰してやろうと意気込んでいた。大学で学ぶ学問は、高校までのものとは比べ物にならないほどの広さと深さを持っているように感じられた。そこは、もはや広大な学問の沃野と言ってよかった。それがどれだけの広さと深さを持っているのか、私は何も知らなかった。私は次第に授業を理解することができなくなっていった。
入学前に抱いた期待は、次第に絶望へと変化しつつあった。私は、いくら勉強しても自分には何も理解することができないという無力感に支配された。それはすなわち、自分が生きる意味を見失うということを意味していた。
絶望と苦しみの中で、自然に私は"もう一人の自分" ーーあのとき京都大学理学部へ出願していた世界の自分ーー に思いを馳せるようになった。果たして、"彼"は今頃幸せに暮らしているのだろうか......。

・2015年8月~2016年4月
私は理想と現実の狭間でもがいていた。私は、教わったことの表層だけをなぞって当座を凌ぐ一方で、そのような学習に終始している自分自身を許しがたく感じていた。私は、より深く勉強するためにもっと時間が欲しいと思い始めた。そこで浮上した選択肢が、京都大学理学部への仮面浪人だった(*2)。
しかし、この仮面浪人作戦は、手続き上の失敗によって未遂に終わった(*3)。私は、そのまま東京大学の2年生になった。進学選択(*4)の足音はもうすぐそこに迫っていた。(続く)

(*1)ref.「志望理由(1)」「志望理由(2)」
(*2)ref.「私の進学選択(1)」「私の進学選択(2)」
(*3)ref.「私の進学選択(3)」
(*4)東京大学の学部入学者は、まず教養学部に所属して教養教育を受けたあと(前期課程)、各々の選好(と成績)に応じた学部学科に進学して専門教育を受ける(後期課程)。進学選択とは、後期課程で所属する学部学科を決定するための制度のことである。

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2019年8月30日金曜日

2019年8月29日木曜日

堺: 古墳と工場

もはや恒例行事であるが、8月28日に友人「おく」と遊んできた。今度の行き先は大阪・堺だ。堺には廃木材からバイオエタノールを作っている工場がある。そこに見学に行こうという話になったのだ。ついでに古墳にも行くことにした。

前日、ご飯を炊こうと炊飯器を開けたところ、洗うのを忘れて放置していた釜がカビだらけになっていた。そこで、それを見なかったことにして、鍋をガス火にかけて米を炊いた。そうすると米が生煮えの状態になった。面倒だったのでそのまま食べた。その結果、何時間経っても米を消化することができず、夜中に気分が悪くなって嘔吐してしまった。そのせいで十分に眠ることができず、当日の朝は寝坊した。米はちゃんと炊いた方がいいらしい。

さて、当日電車に乗っていると、いつの間にか隣の席におくがいた。
私「うわ、びっくりした。俺が遅れるって言ったから合わせてくれたん?」
おく「うん」
私「優しい。おくの家からここまでどれくらいかかるん?」
おく「一時間半くらい」
私「......ん?じゃあ俺の寝坊とは別に君も遅刻しとったってこと?」
おく「そうとも言う」
おくは、私が気を使わなくて済むよう自分も遅刻したことにしておいてくれたようだ。これがおくなりの優しさである。

まずは大仙古墳に行った。おく曰く「近くから見てでっけーって言いたい」とのことなので、近くから見ることにした。百舌鳥駅で降りてしばらく歩くと、祝賀ムードが漂ってきた。
祝賀ムード漂う公園
おく「世界遺産になったからといってイキっていたらどうしようと思ったけど、これいいな」
私「素朴な良さがある」

うだうだ歩いていると古墳に着いた。
大仙古墳
私「いや、森やん。古墳感ない」
おく「でかすぎて、でかさがわからん」
私「でかくはないよな......。でかいというより、広い。その点ピラミッドは偉いよな。ちゃんと高さがあってでかいと思えるようになっている」
おく「古墳分かっちゃったな。広い」
私「古墳まとめ でかくない 広い」
おく「昔の人、「これでかすぎね?」って作っている途中で気付かなかったのかな」
私「みんな薄々気付いていたけど、一回偉い人が作るって言い出してしまったからもう誰も止められへんかったんやろうなあ」
おく「ユネスコの人たちも、ここ来たとき「え......何これ......」ってなったよね」

今も昔も日本には同じ病理が潜んでいるようである。

次はバイオエタノールを作っている工場に行った。最寄りのバス停から50分ほど歩いて工場に行った。
私「いや、これ遠い!」
おく「雨も降ってきたし普通に遠いし普通に遅刻する。連絡するか」
私「お願いします」
20分遅れると電話したが、OKとのことだった。
おく「これ向こうの人も歩いてくるとは思ってないよね。普通はタクシーか車で来る」
私「歩いて行くようなところではなかったな......」
おく「どこかでレンタカーを借りるのが正解だった」
私「そうやな......その正解、昨日気付きたかった」
おく「この気付きを次に活かしていこう」
私「これ、"次"あるの!?」
おく「それにしても、こうやって歩いているの警備員さんとかにどう思われているんやろう」
私「意味不明な怪しい二人組でしかない」

やっとのことで工場に着いた。まずはビデオとスライドで工場の説明を聞いた。バイオエタノール製造は儲からないので、木材チップを売ったり、廃木材を燃やして作った電気を売ったりして事業として回しているそうだ。
私「儲からないのにも関わらずバイオエタノールを作り続けているのは、CSRの観点からこの事業を行なっているということですか?」
工場の人「そうですね、CSRもありますし、広報という意味もあります。また、環境省の助成を受けて建設したプラントですので、そう簡単にやめられないということもあります。一度やめてしまうと再開するのが難しくなりますので、バイオエタノールが必要になる未来に向けて、細々とでも事業を継続しております」
私「廃木材のエネルギー利用としては、この工場でもされているように、直接燃やして電気にするという方法もあります。わざわざエタノールに変換することにはどのようなメリットがあるのですか?」
工場の人「一つは自動車の燃料になるというのがあります。ただ、自動車業界としても環境対策は電気自動車などの方向にシフトしてきておりまして、バイオエタノールの普及は今のところあまり進んでいないという状況です」

そのあとは工場を見学させてもらった。
工場の人「建築現場などで出た廃木材には釘などが含まれておりますので、刃ではなくハンマーで破砕してチップにしています」
しばらくすると工場の人から質問を受けた。
工場の人「今日はタクシーでここまで来られたんですか?」
私「いいえ、徒歩で」
工場の人「私も一度走って通勤しようとしたのですが、数日で断念しました」
後のことは特に覚えていない。工場を一周し、お礼を言って工場を出た。

おく「火力発電所のときほどじゃなかったけど、良かった」
私「火力発電所は神回だったからな。今回も良かったけど、惰性で事業を続けている感じがROCKじゃなくてちょっとマイナスだった」
おく「バイオエタノールの現状が見えたよね」
私「現実はいつもROCKじゃない、現実はいつもクソッタレ」
おく「あの案内してくれた人面白かったよね、あの......」
おく・私「走って通勤」
私「あれな、よく数日続いたよな。本当偉い」
おく「あとハンマーで潰すってのが良かった」
私「単純な暴力、良い」
おく「暴力は世界を救う

こうして世界は救われたのであった。めでたしめでたし。

[追記]
「おく」もこの日の出来事についてblogを書いている。
Voices Inside My Head: 08/28 堺市

2019年8月19日月曜日

私のオールタイムベスト10

私が愛読しているブログ「やまなしなひび-Diary SIDE-」さんの、次の記事を読んだ。

「一番好きな作品」って質問は困るけど、「オールタイムベスト10」なら楽しく答えられる

私も自分の「オールタイムベスト10」を選んでみようと思う。

[漫画・アニメ]
1. 漫画「帰宅部活動記録」
2. 漫画「山本アットホーム」
3. 漫画「スロウスタート」
4. 漫画「ステラのまほう」
5. 漫画「かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~」
6. アニメ「ゆゆ式」
7. アニメ「キルミーベイベー」
8. アニメ「氷菓」
9. アニメ「四畳半神話大系」
10. アニメ「この世界の片隅に」

  1. ギャグ漫画枠その1。どこかアナーキーな匂いが漂う知的なギャグの数々にはすっかり魅了されてしまった。帰宅部の者たちの破天荒な生き様は、私の模範となっている。私の有りようを象徴する作品として、これを外すことはできない。
  2. ギャグ漫画枠その2。濃密な異常世界、毒の効いたネタの数々、予想もつかせぬ発想の数々、まさに不条理ものの一つの完成形であり、金字塔を打ち立てたといっていいだろう。
  3. 日常系枠。ゆったりとした空気、たわいもないのに面白い会話、キャラの可愛さ、どれをとっても一級品で、癒し漫画の最高傑作だと思う。院試期間にどれだけこの漫画に助けられたことか。
  4. 青春枠。きららでありながら登場人物の思いが激しくぶつかり合うシリアスなストーリーが特徴である。キャラクターの性格の背景が重厚に描かれており、それぞれのキャラに深い魅力が感じられる。
  5. ラブコメ枠。ギャグとシリアスの両方を高い次元で実現したストーリー展開には作者の深い教養と鋭い知性が感じられる。告白への勇気をもらった恩もあり、選ばない手はない。
  6. 日常系枠。「何でもない日常が実は面白い」という日常系の思想を最も純粋で最もストイックな形で体現した、求道的なアニメである。このアニメの核は会話そのものの妙にある。このアニメでは、ストーリーのために会話があるのではなく会話のために会話があるのだ。独特の間合いで進む会話は、他の作品では決して見ることができない。作中内時間の経過に従ってサブキャラクターたちと次第に仲が深まっていくのだが、この描写も何もないようでいて実は少しずつ変化していく日常の豊かな旨味をうまく表現していて素晴らしい。
  7. ギャグアニメ枠。ハイテンポのバイオレンス4コマ漫画である原作をスローテンポのアニメにしたところ、出来上がったのは唯一無二の尖ったシュールアニメだった。登場人物が極端に少ない捨象された世界、どこか間が抜けたBGM、表現力豊かなやすなの演技、不可解な現象が度々起こる摩訶不思議な空間.......見る者を説明なしに間延びした時空へと引き込む怪作である。いかにシュールアニメといえど、他の作品の演出はもっと原作に忠実でもっとまともである。しかし改めて原作を読んでみると原作の良さを最大限にまで引き出しているのだから凄まじい。こんな訳の分からない作品はもう二度と作られることがないだろう。
  8. 青春枠。主人公の折木が「日常の謎」を解決していく推理ものである。地味になりがちな題材を京アニらしい演出によって華やかに仕上げている。「けいおん!」ほど明るくなく、カタルシスの中に苦味も感じられるストーリーであるが、その苦さが青春の美しさを際立たせている。高山の美しい風景描写も良い。
  9. 恋愛枠。原作を一話30分のアニメとして見事に再構成した優れたストーリーに惹きつけられた。主人公の冴えない感じも絶妙で、深く共感した。画面の色づかいも工夫が凝らされていて、京都の学生街としての側面をよく抽出しており素晴らしい。
  10. 最後は劇場アニメ「この世界の片隅に」。戦争が近づいてきてもそうやすやすとは変わらない日常の温かさをしっかり丁寧に描くからこそ、その日常を破壊する戦争の悲惨さが深く心に染みる。こんなに笑えて、こんなに面白くて、こんなにつらくて、でもこんなに優しい反戦映画がこの世に存在し得るなんて。初めて見たときの衝撃といったらなかった。とてつもない傑作である。


[書籍]
1.「われ笑う、ゆえにわれあり」
2.「完全教祖マニュアル」
3.「生物と無生物のあいだ」
4.「星新一YAセレクション 殺し屋ですのよ」
5.「へんないきもの」
6.「月刊恒河沙 200号」
7.「キクタン 【Super】 12000」
8.「チャート式 基礎からの数学III」
9.「1冊でマスター 大学の線形代数」
10.「統計力学I (新物理学シリーズ)」

  1. エッセイ枠。屁理屈で議論を引っ掻き回す独特のユーモアが最高にツボだった。私のblogはこの本に強い影響を受けており、ほとんどの記事はこの本のオマージュだと言ってもいいくらいである。
  2. 新書枠その1。宗教家として大成する方法を伝えるという体をとって、様々な宗教の歴史を紹介する本。思ったよりちゃんと宗教について勉強できるのに、著者の姿勢はとことん不敬でナメくさっているのが笑える。
  3. 新書枠その2。生命科学の基本的な知見を詩的な文章で伝えるベストセラーだ。小学生のころ夢中になって読み、生物の仕組みについて関心を抱くきっかけとなった、自分史の上で重要な本。
  4. 小説枠。星新一のショートショートがどれも面白いことは論を俟たないが、この本が私の中で特別なのは、一番のお気に入りの作品「処刑」が収録されているということだ。「処刑」で提示される価値観は、私の死生観の基礎となっている。
  5. 単行本枠。へんないきものたちを、ユーモア溢れる語り口で軽妙に語る本。これも小学生の頃夢中になって読んだ。雑談が多くていまいち勉強になった感は残らないが、その引き出し多彩な雑談が面白いのは確かだ。
  6. 同人誌枠。大学一年生の頃私が心酔していたサークル「時代錯誤社」の記事傑作選だ。自らの全身に小麦粉・卵・パン粉をつけ、食堂のおばちゃんに自分を揚げてもらえないかと頼みに行くという内容の「FLY Program」を始め、異常な記事がひしめいている。
  7. 大学受験参考書枠その1。リズミカルなCDで楽しみながら効率的に英単語を覚えられるのが特徴の英単語帳だ。このハイレベルな英単語帳の単語を徹底的に覚えたという自信が、試験場での自分を支えてくれた。
  8. 大学受験参考書枠その2。いわゆる青チャート。数学参考書の言わずとしれた定番である。レイアウトが整理されていて格好いい。多くの進学校では参考書に青チャートを使うのだが、私の学校では数IA, IIBの指定参考書が(青よりも易しい)黄チャートだった。青チャートに憧れを抱いていた私に対して、高2のころ学校から突如として配られたのが青チャート数学IIIだった。これから青チャートで勉強できるという事実を前に、私は教室の中で歓喜の声を漏らした。思い出深い参考書である。
  9. 大学の参考書枠その1。豊富な例題と見通しの良い明快な解説を通して、ベクトルの内積からJordan標準形まで線形代数の基本的内容を丁寧に教えてくれる良書。この本のおかげで線形代数に対する苦手意識を克服できた。
  10. 大学の参考書枠その2。統計力学の教科書といえばこれ、と言われる田崎先生の名教科書。物理の面白さをまっすぐに伝えてくれる熱い展開を前にして、教科書でありながらストーリー(?)の続きが気になって仕方がないという強烈なワクワク感を与えてくれた。統計力学IIも面白くてしょうがないほど面白いのだが、類書と比較したとき最大の見所と言ってもいい統計力学の基礎づけに関する内容が含まれるこちらを選ぶことにした。


[ゲーム]
1.「Splatoon」
2.「ガンスターヒーローズ」
3.「スーパーマリオギャラクシー2」
4.「朧村正」
5.「メイドイン俺」
6.「Ape Out」
7.「大乱闘スマッシュブラザーズ SPECIAL」
8.「けいおん!放課後ライブ!!」
9.「428 ~封鎖された渋谷で~」
10.「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」

  1. 私の大学生活前半を象徴するゲーム。「インクを塗ってインクに潜る」という革命的なシステム、スポーティーでキャッチーな世界観、爽快感と戦略性に溢れた戦闘に魅了され、何百時間も費やした。ネット対戦の面白さに気付かせてくれた、時間泥棒の罪なゲーム。
  2. レトロゲーム枠として、メガドライブのアクションシューティングゲーム「ガンスターヒーローズ」をチョイス。敵がとにかくよく作り込まれていて、巨大な敵が画面を縦横無尽に動き回るのは迫力満点である。難易度が高く一人ではクリアできなかったが、友達と協力プレイして何とかクリアすることができた。あのときの達成感といったらなかった。
  3. 中学生時代にハマったゲームの代表が「スーパーマリオギャラクシー2」だ。Wiiの機能を使いこなし、これでもかというほどアイデアを詰め込んだ超大作である。面白さを惜しみなく提示してくれるので、遊んでいて全く退屈することがない。最初から最後まで新鮮な気持ちで楽しめる、ゲームのお手本のような作品である。
  4. Wiiのサードパーティタイトルから「朧村正」を入れた。日本の自然の美しさを追求したグラフィックは、Wiiタイトルの最高峰である。戦闘はサクサク進んで爽快感がある。敵の化け物のデザインも良い。侍の魂に憑依された姫が主人公というのも私の嗜好にストライクだ。
  5. DS枠。ゲームを作るゲームであり、私に初めて創作の楽しさを体感させてくれたゲームだ。シンプルな機能の組み合わせなのに、様々なアイデアを実現できるシステムが良かった。友達と作ったゲームを交換し合うのが最高に楽しかった。
  6. インディーゲーム枠。ゴリラが人間を殺害しながら脱走するというゲームなのだが、とにかく作り手の高いセンスがビシバシと伝わってくる。モノトーンのグラフィック、ジャズ調のBGM、シンバルの爽快な効果音が絶妙に噛み合っていて、血みどろの殺戮ゲームでありながらオシャレで爽やかなゲームに仕上がっている。アクションはシンプルながらも奥深く、アクションゲームとしても良く練り込まれている。
  7. 小学生時代に最も遊んだゲームがスマブラであるため、スマブラのどれかは入れたかった。迷ったが、スマブラとしての圧倒的な完成度と圧倒的なボリュームを誇る最新作を選んだ。このようなゲームがこの世界に存在することが信じられない。
  8. PSP枠。高校生時代にハマっていた。キャラゲーだが、キャラクターのかわいいモデル、凝った演出、各パートの特徴を活かした譜面と、「けいおん!の音ゲー」としての理想形を実現した良作である。面白かったのに続編が出なかったことだけが欠点だ。
  9. アドベンチャーゲーム枠。5人のキャラクターが複雑に絡み合って一つの壮大なストーリーを織りなす展開には度肝を抜かれた。ゲームとして面白いサウンドノベルとはこういうものなのかと大変感銘を受けた。今でも、街に行くたびに「この街は様々な人の思いもよらぬ相互作用によって成り立っているのだろうなあ」と感慨を抱く。
  10. 世間で絶賛されている通りの超弩級傑作だ。探索、戦闘、謎解き、様々な遊びが緻密に配置された広大な世界。「ついつい行ってみたくなる場所」がそこら中に詰め込まれているため、当初の目的を忘れて場所から場所へとふらふらしてしまうこともしょっちゅうである。でもそのふらふらこそがラスボスを打ち倒すための秘訣なのだ。起動したその日から、全てが噛み合ったゲームデザインの虜になった。迷子になることがこんなに楽しいとは思わなかった。とにかく尋常じゃなく面白い。


[総合]
今の自分の思想を象徴的に表す10作品を選ぶとすれば、次のようになる。

1. 漫画「帰宅部活動記録」
2. 漫画「山本アットホーム」
3. アニメ「ゆゆ式」
4. アニメ「氷菓」
5. アニメ「この世界の片隅に」
6. 書籍「われ笑う、ゆえにわれあり」
7. 書籍「統計力学I (新物理学シリーズ)」
8. ゲーム「Splatoon」
9. ゲーム「428 ~封鎖された渋谷で~」
10. ゲーム「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」

  1. この漫画はROCKの体現者である。どうすれば退屈な日常を刺激に満ちたものにできるのか、この漫画を読めばたちどころにわかる。
  2. 「わけのわからないものが面白い」という思想がここに詰まっている。
  3. 私にとって、面白い会話とはゆゆ式的な会話のことをいう。平凡な毎日から面白さを見出す術を教えてもらった。
  4. 「ゆゆ式」が日常の明るい側面にスポットを当てるのに対して、「氷菓」はほの暗い側面に注目する。その渋さを自覚的に見出すことが実は旨味になっていくのだ。
  5. そんな尊い日常は、それを奪うものと対峙したときにどうなるのか。いつどこで全てが崩壊するかわからないこの世界をどのような心構えで生きていくべきなのか、それをこの作品から学んだ。
  6. あらゆる問題を屁理屈によって煙に巻き、あらゆる失敗を笑い飛ばす。飄々とした態度で様々な困難を柳のように受け流す、そんな柔らかい強さを与えてくれた。
  7. 「学問の面白さとはこういうものだ」「知的好奇心を満たすとはこういうことだ」を豪速球のストレートで投げつけてくるのが本書である。
  8. こんな小さな遊び場で、こんな予測もつかないことが起こるなんて。この作品は先が読めないことの面白さを伝えてくれた。
  9. ミクロな相互作用は全体として何をもたらすのか。私が興味を抱くキーワード「創発」にも繋がる、世界の見方が変わるストーリーがここにあった。
  10. まだ知らないところにいくことがいかにワクワクするものなのか、それをこの作品に気付かせてもらった。途中でたくさん迷うのだが、その迷いは実はこんなに楽しいもの、後に活きる糧となるものなのだ、私はそんなメッセージを読み取った。

自分の大好きな作品に接したときの感動を思い出すのはとても楽しかった。他の人のオールタイムベスト10も是非読んでみたい。

2019年8月17日土曜日

記事タイトルのナンバリング

記事タイトルのナンバリングは、一定の方針に従って付けるようにしている。

・「(2)」型
「私の院試体験」など、数多くの記事。(1)から順に最後まで読んでもらうことを前提にしている。最初の記事を執筆する時点で全体の構想が見えており、どこで完結するか考えた上で執筆する記事はこのタイプのナンバリングを与えている。

・「その2」型
「もうOculus goしかない」が該当する。各記事は並列されており、どちらから読んでも問題ない。同じ内容を主張する、バージョン違いの記事である。記事はそれ単体で完結する。

・「2」型
「悩みの相談」が該当する。第1作執筆時点では続きが予定されていなかったものの、続編となる記事を書きたくなったときはこのナンバリングを採用する。

2019年7月23日火曜日

さざれ石はいわおになるか?

「君が代」の歌詞は次のようなものである。
君が代は 千代に八千代に さざれ石の いわおとなりて 苔のむすまで
ここで、私の頭にある疑問が浮かんだ:

果たして、さざれ石(小さい石)は巌(大きな岩)になりうるのだろうか?なるとすれば、どのようなプロセスによってなるのか?

大きな岩が次第に風化して小さく削れていくというのなら分かる。しかし小さいものが大きくなっていくというのは一体全体どういうことなのか?ローマ帝国やモンゴル帝国じゃあるまいし......。
そこで、先ほどの疑問の回答として、私なりの仮説を3つほど立ててみた。以下、順に見ていこう。

1)ならない。
さざれ石はいつまで経ってもいわおにならない。だから「君が代」はいつまでも続く。「さざれ石がいわおになって苔が生える」のは、ありえないことの比喩である。

2)さざれ石は一回溶ける。
さざれ石はプレートに運ばれて沈み込み、地球内部でマグマになって他の場所で噴出することで巌になる。

3)地球の形成過程を表している。
宇宙空間に散らばった「さざれ石」は、万有引力によって次第に集まっていき、やがて巨大な岩の塊である地球を形成した。「苔」は地球の表面に(地球の直径と比べれば)薄く生えている植物を比喩的に表している。

色々考えてみたが、Wikipediaによればどれも違うらしい。地下水に溶け込んだ炭酸カルシウムなどの成分が、析出するときに小石と小石の間を埋めるからさざれ石は巌になっていくのだそうだ(*1)。このようにして堆積岩を作るはたらきは続成作用と呼ばれる(*2)。
へー、そうなのか。勉強になった。これから式典の際には続成作用のことを考えるようにしようと思う。

(*1)Wikipedia「さざれ石」https://ja.wikipedia.org/wiki/さざれ石 2019年7月23日閲覧。
(*2)Wikipedia「続成作用」https://ja.wikipedia.org/wiki/続成作用 2019年7月23日閲覧。

2019年6月19日水曜日

最近の食事

最近舞茸をよく食べている。舞茸は味が良いのは勿論のこと、値段も手頃で、その上石づきがなく調理も簡単である。これは一人暮らしの大学院生にはありがたいアドバンテージだ。天は二物を与えるとはこのことである。
ちょっと前までは、舞茸なんて地味だしもういっか、正直飽きたな、と感じていた。黒あわび茸とヒラタケとヤマブシタケとキクラゲをローテするのこそが正義だと思っていた。ところが、京都にはオオゼキ(*1)がないため、こういったマイナーなキノコは手に入りにくい。そこで何ヶ月ぶりかに舞茸に手を出してみたというわけである。久しぶりに食ってみると良い出汁が出てこれが美味い。すっかりハマってしまって舞茸ばかり食っている。舞茸は子供の頃から食べていて思い入れも強い。私のキノコに関する原体験が舞茸である。ここ最近の舞茸ブームは、いわば母川回帰だ。

最近ハマっているといえば、青汁である。コップにプレーンヨーグルトとオリゴ糖シロップと青汁と豆乳をぶち込んでかき混ぜて飲むと美味い、ということを発見したのだ。青汁の苦味が良いアクセントになる。緑茶と違ってノンカフェインなので夜でも安心してどかどか飲める。健康のためには1日2袋を目安に続けるのが良いらしいが、別に健康のために飲んでいるわけではない。美味いから飲んでいるだけのことである。今日は6袋くらい使った。昨日は0袋である。青汁を飲みまくると食物繊維で腹を壊すので、毎日ビオフェルミンを飲むようにしている。これは健康のためにやっている。

青汁といえば、ゴーヤーである。青汁の原料の一つがゴーヤーなのだ。一ヶ月ほど前まで、ゴーヤーは近所のスーパーで198円であった。それが最近は概ね158円、セールの日には98円で売られるようになってきた。ゴーヤーの季節になってきたということである。私は喜び勇んでゴーヤーチャンプルーを作って食べた。今の食卓は舞茸と豆苗だらけだが、これがゴーヤーだらけになる日も近いだろう。

(*1)ref.「オオゼキ下北沢店」

2019年4月25日木曜日

麻酔博物館

例によって例の如く、友人「おく」と麻酔博物館に行ってきた。

三宮で待ち合わせをし、昼食を食べた。麻酔博物館に行くにはポートライナーに乗って医療センター駅で降りれば良い。三宮駅のホームでポートライナーを待っていると、スマホで行き方を調べていたおくが何かを発見した。
「麻酔博物館が入っているビル、キメックスセンタービルっていうらしい」
「キ......キメックス!? え、キメックス? そんな名前のビルに、麻酔薬が!?」
「隠喩かな」
「隠喩っていうか、かなり直接的やんね......。キ○ミーベイベー?」
本当かよ、と思って調べてみると、本当はキメックセンタービルという名前であった。
「勝手にスを入れるな」
「キメックの次がセンターだから、実質スが入っているようなものじゃん」
「なるほど!子音だけ取り出せばってことか!」
おくは頭がいい。

ポートライナーに乗ると、MDRT日本会という組織の広告があった。MDMAみたいだなあ、と思いながら眺めていると、おくが話しかけてきた。
「このMDRTっていう文字列を見て、何か思わない?」
「......MDMA?」
「そう。MDMAみたい」
「それ思ったけど、言ったら狂人だと思われるんじゃないかと思って言わなかった。四文字中二文字しか一致してないし」
「こういうのは文字数が同じってことが重要なんだよ」
確かに。おくは頭がいい。

そんな話をしているうちに麻酔博物館に着いた。受付があるが、誰もいない。どのみちタダであるので勝手に入ると、中には麻酔機器や手術室の様子の展示があった。とりわけ目を引いたのが、麻酔薬の展示だ。
麻酔薬
モルヒネだ!!!見ていると、おくがあることに気付いた。
「他の箱には「空包装」って判子が押してあるけど、これにはない。もしかして、まだ入っている......?」
さすが港町。神戸にはロマンがある。

麻酔の歴史の展示も面白かった。
麻酔法の歴史
「おくこれ見て、頭部殴打や頸部圧迫って」
「一番ロックじゃん。こう、ちょうどいい具合に殴ってくれる、殴るのが上手い人がいたんだろうな。やりすぎると死んでしまうから」
中世時代なんて催眠海綿の吸入が流行してしまっている。とんでもない時代である。

一通り見終わって、展示室を出た。展示室の入り口には、人が通ると光が遮られて通ったことがわかるカウンターが付いていた。私は、来館者数を水増ししようと思い、センサーの前でパンフレットを繰り返し上げ下げした。そうやって遊んでいたところ、職員の人に「来館者の方ですか?」と尋ねられた。「はい」と答えると、職員の人はお土産をくれた。
クリアファイル
職員の人は去っていった。私は言った。
「これこれ、これなんよなあ。麻酔を仕掛けてくるハローキティ」
「絶妙な力加減で殴る人」
「こいつ割礼してくるの!?めちゃめちゃ嫌だなそれ」

この後、おくは京都に来た。河原町から京大方面まで一緒に歩いた後、私の部屋でゆゆ式tenを見て帰っていった。

2019年3月17日日曜日

ゆったり

引っ越しを終え、卒業も確定し、勉強もせずに実家でゆったりと過ごしている。ゆったりとした時間は実に良い。タスクに追われていると気が滅入る。
安部公房の「壁」を買った。ある友人に「君の書く文章は安部公房の小説のようだ」と言われたことがきっかけである。安部公房の小説のようだと言われてもピンとこない。何しろ私が書いているのはエッセイであって小説ではない。私のエッセイのような小説というのがどういうものか気になって買った。
しかし、まだ読めていない。実家でゆったりしていると言っても、その間に消費したいコンテンツは山ほどある。コンテンツを消費していると、あんまりゆったりといった感じにならない。本は大量にあり、NHKスペシャルは大量に録画してあって、遊びきったと言えないゲームも大量にある。とてもじゃないが消費しきれない。最近、どうもコンテンツを消費するときの集中力が低下しているように思われる。コンテンツに対して時間が足りないことによる焦りのせいなのか、加齢のせいなのか、キャパを超えた勉強量で蓄積された疲労のせいなのか、ネット中毒のせいなのか、世界への関心が低下しているせいなのか......。
私はより面白い文章を書きたい。それは自分で面白がりたいというのが主な目的である。どうも最近の文章は表現や展開がパターン化しているような感じがする。それはインプットが足りないからではないだろうか。コンテンツを消費し、吸収して、アウトプットに活かしたい。それは研究においても同様であって、学び足りない分野は大学生活で学んだ分野のほぼ全てに該当する。
もう何年も前から繰り返し言っていることだが、半年くらい休学して、タスクのことを考えず本を読みながらゆったり過ごせれば何といいことだろうか。しかし、それをするには私には思い切りが全く足りておらず、読みたい本は延々と積み置かれたままになっているのである。

2019年3月14日木曜日

横浜: 磯子火力発電所ほか

友人「おく」と火力発電所に行こうという話になり、2月26日、横浜に行った。

午前9時30分、横浜市の磯子駅に集合した。ここからバスに乗って磯子火力発電所に向かう。
10時に発電所に到着し、見学ツアーを開始した。参加者は私とおくの2人のみだった。最初に小さな部屋に案内され、この発電所の概要を説明するビデオを見せてもらった。磯子火力発電所は石炭で動いている発電所で、コンパクト(*1)な都市型の発電所であることが特徴だという。石炭は資源埋蔵量や供給安定性の観点から天然ガスなどよりも優れているが、排気ガスに含まれる大気汚染物質が多いという問題を抱えている。この発電所では排気ガスの浄化に力を注いでおり、天然ガス火力発電所並みのクリーンさを達成しているそうだ。
模型を使って発電所全体の仕組みについて解説してもらったあと、いよいよ発電所の見学に出発した。船で運ばれてきた石炭は発電所内で一旦貯蔵された後、ボイラーで燃やされる。その熱で水を加熱し、生じた蒸気でタービンを回す。発電所のの心臓部であるボイラーを上から見た様子を写真1に示す。
写真1 ボイラー
ボイラーは宙吊りになっており、下は地面に接していない。石炭を燃やすと、ボイラーにクリンカと呼ばれる石炭灰が付着する。ボイラーは金属製で、内部の温度によって伸び縮みする。火力発電所では電力需要に応じて出力が柔軟に調整されるが、それにより付着したクリンカが底に落ちる。こうして回収されたクリンカは土壌改良などに用いられる。私が一番面白いと思ったポイントがここである。
建物の屋上に上ると、海が見渡せた。発電所には、一隻の船がとまっていた(写真2)。石炭を積み下ろしている最中のようだ。
写真2 セルフアンローダー船とベルトコンベア
この船は、自動積み下ろし装置を備えていることから「セルフアンローダー(self-unloader)船」と呼ばれる。発電所内では、石炭はベルトコンベアで運ばれる。騒音を低減するため、風で石炭を浮かせながら運んでいるそうだ。
屋上には煙突があった。この煙突の断面は円形ではなく、縦に潰れた形をしている。これは近くにある庭園「三渓園」からの景観に配慮するためだそうだ。係の人の説明によれば、「三渓園から見えにくい」ことと「風に強い」ことを両立するためには大きな苦労があったらしい。
発電所を一通り見て回ったが、我々の都市生活がどのようにして支えられているのか、その一旦が垣間見えたようで非常に面白かった。質問もたくさんできた(*2)し、無料でここまで遊べる場所はなかなかない。見学者2人のためにわざわざ係の人を3人くらいつけて下さって贅沢な体験であった。磯子駅は周辺に工場や交通量の多い道路があり空気が悪かったが、それさえ目をつぶれば(下水処理場と違って)デートスポットとしても優れていると言えるだろう。オススメである。

昼頃、発電所を出発し、横浜中華街を通って横浜税関資料展示室に行った。中華街は食べ放題の店と食べ歩き用の肉まんの店だらけでちょっとしたランチに向く感じではなく、中華街では何も食べずにみなとみらいでカレーを食べた。横浜税関資料展示室は、違法薬物の密輸の手口を模型で解説してあったり、偽ブランド品と本物を見分けるクイズコーナーがあったりしてなかなか面白かった。コンクリ塊を中空にして、そこに薬物を詰めていたという大掛かりな事例には特に驚かされた。ただ、私は覚せい剤目当てで行っていたため、本物の覚せい剤がなかった(置いてある"覚せい剤"は全て模造品)のはやや肩透かしであった。

15時頃、赤レンガ倉庫に行った。有名だから何か見るものがあるのだろうと思っていたが、色々な店があるだけで特に何もなかった。その辺をぶらぶら歩いていると、衝撃的な看板が目に入った。

北朝鮮工作船展示!? あまりに攻めた展示に目を疑った。しかし、臨時休館で中に入ることは叶わなかった。
その後は、歩いて横浜駅に行った。途中、鉄道模型博物館など見所っぽいスポットが色々あったのだが、どれも閉まっていた。面白かったのは旧横浜船渠のエアー・コンプレッサーくらいだ。おくは「横浜何もないな。覚せい剤もないし。火力発電所しかない」と言っていた。横浜駅から東急に乗り、中目黒駅で解散した。

あとで調べてみて分かったのだが、海上保安資料館で展示されている北朝鮮工作船は覚せい剤取引に関与していた疑いが持たれているそうだ。税関は所詮FAKE、ホンモノはこっちということか。入れなかったのが悔やまれる。また横浜に行きたい、そう強く思った。

(*1)この発電所が最初に作られたときは広い用地があったそうだ。ところが、次第に東京-横浜都市圏が拡大し、発電所の周囲も都市化していった。更に、都市圏の拡大に伴い、首都圏の電力需要が逼迫するようになった。このため、敷地はそのままで炉を増やして出力を増加させる必要に迫られたのだ。既存の発電所を止めないようにして、電気を作りながらも現一号機と二号機の建設を進めたのだという。こうして、同じ敷地面積でありながら50万kWの出力を120万kWにまで引き上げた今の磯子火力発電所が作り上げられた。
(*2)ただ、その全てに答えてもらった訳ではない。私が答えにくい質問ばかりあまりに大量に投げかかけるので、係の人は株主用なのか何なのか分からない資料を棚から取り出して手渡してきた。これを読めということか。

2019年3月13日水曜日

思い出の石

転居に伴って、壊れたプリンタ、カビた布団、1960年代の左翼のビラのコピー、月刊「恒河沙」20冊ほどなど様々なものを手放した。中でも思い出深かったのが、アメリカで手に入れた石灰石だ。

東大の1年次のカリキュラムに「初年次ゼミナール」という授業がある。これは大学での学びのチュートリアルとして開講されるゼミ形式の授業で、1人の教員のもとに10〜20人程度の学生がつき、輪読やデータ解析などを行うものである。この「初年次ゼミナール」で、私はアメリカの地質に関する洋書を輪読するものを選択した。この授業の終了後、学んだ内容を実際に見て確かめるアメリカ巡検を先生が主催してくれるというのだ。そして、私はそれに参加した。
その巡検の中で、デスバレーという場所を訪れた。リンク先のU.S. National Park Serviceのウェブページにも書いてある通り、アメリカで最も暑く、乾燥していて、低い場所がデスバレーだ。湖が干上がってできたバッドウォーターが見所である。
さて、我々はこのデスバレー近くのDumont砂丘と呼ばれる場所(*1)を訪れた。ここはかつて地球全体が凍る「全球凍結」があったことを示しているというのだ。
写真1 Dumont砂丘。地層が露出している。下部にはレキの存在が確認できる。
写真1にDumont砂丘で観察した地層を示す。下部にある草の左に、大型のレキがあることが分かる。こうしたレキはドロップストーンと呼ばれる。磁気調査の結果、このレキは赤道近くから運ばれてきたものだとわかったそうだ。全球凍結があったとすれば、氷河がレキを運搬したとしてドロップストーンの存在をうまく説明できる。
全球凍結の証拠はこれだけではない。この地層の頂上に登り、地面を撮影したものを写真2に示す。この白い岩は石灰岩で、キャップカーボネートと呼ばれる。全球凍結説によれば、地球が凍っている間に海に溶け込めなかった二酸化炭素が全球凍結終了後に一気に海中に溶け込むことによって形成されたものだということである。
写真2 キャップカーボネート。全球凍結後に二酸化炭素が海中に溶け込むことで形成された石灰岩とされる。
この石灰岩をハンマーで叩いて割り、お土産として持って帰った。帰ってからは本棚に飾って時折眺め、地球の歴史に思いを馳せたものだった。

こうして石灰岩を眺めていたある日、これが本当に石灰岩なら酸で溶けるはずだ、だから溶かしてみようと思い立った。石灰岩に塩酸を加えてみると、果たして発泡しながら溶けていった。こうして思い出の石灰岩は泥水になった(写真3)。
写真3 持ち帰ったキャップカーボネートを塩酸で溶かしたもの。
これを濾過すると、透明な黄色の液体が得られた(写真4)。
写真4 写真3の液体を濾過した後の濾液。
ここにヘキサシアノ鉄(II)酸カリウムを加えると青色沈殿が生じた。このことから、この液体には鉄(III)イオンが含まれているはずである。多分これは縞状鉄鉱床の鉄だろう。

かくして、思い出の石はボロボロの濾物になった。私はこの濾物も袋に入れて大切に保管していたのだが、四年生になって改めて袋を開けてみると、どうでも良いただのゴミ......は言い過ぎにしても、空間を無駄に占有する残骸のように見えた。だから私は思い出の石を捨てた。

 (*1)国立公園に指定された地域の外。

2019年2月22日金曜日

駒場祭の打ち上げ

今日の昼間はサークルのメンバーと駒場祭の打ち上げをした。場所はTucano's 渋谷店だ。ここが高コスパな美味しい料理を提供してくれることは、以前訪れた(*1)ことで保証済みである。
Tucanoはシュラスコ食べ放題の店であり、今回も90分間ひたすら肉を食べ続けた。酒こそないが、代わりにデトックスウォーターが飲み放題である。集まったのは皆二十歳前後の男性であり、全員かなりの量を食べた。これで2,500円だから相当な高コスパといえよう。

さて、ここの予約をするときは来店の動機に関するアンケートに答えなけらばならない。選択肢は以下の通りである:

お仲間との飲み会
デート
会社のご宴会
女子会
誕生日
結婚記念日
その他の記念日
友人からの紹介
口コミをみて
初!ブラジル料理!

「その他」はなかった。迷った末、「女子会」を選択した。

(*1)このツイートの影響である。

2019年2月15日金曜日

卒業研究

今日は卒業研究報告書を提出した。内容は液体-気体の相転移に関してである。気液相転移を導くようなモデルを用意し、これを動径分布関数を通じて議論した上で平均場近似による結果と比較した。動径分布関数は、ある一粒子に注目してその周りにある粒子の分布の度合いを距離の関数として表したものである(参考: Wikipedia)。
報告書は、最初にモデルを提示して、「このモデルの相転移を知りたい→平均場近似で議論→平均場近似は不十分→その不十分さを克服するため動径分布関数を使った理論を用意→計算→平均場近似と比較」という流れで書いた。しかしこれは完全に後付けである。まず最初にあったのはアニメゆゆ式3話の「水ってなに?」だ。確かに水はたぷたぷぴちゃぴちゃしていて不思議である。そこで液体の本質とは何だろうと思い、液体の本質が学べそうな名前の「液体論」の教科書を読み進めていくことになった。
そうこうしているうちに、統計力学Iの授業で気液相転移を導くモデルが登場した。剛体球に有限深さの井戸型引力相互作用を導入したモデル[1]である。この授業で登場したのが平均場近似による議論であった。そして、授業を聞いていて、これはちょうど動径分布関数でより精密に解けそうなモデルになっているなと感じた。つまり、モデルの相転移を知ろうと思って液体論を勉強したのではなく、液体論という手法で解けそうな問題を探してきて、それがたまたま気液相転移だったというわけである。私は本来2年生のうちに学んでおくべき基本的な授業である統計力学Iを最後の最後まで残していたわけだが、これは結果的には正解であった。2年生のときにこの話を聞いても何も思わなかったであろう。チャンスは準備された心に降り立つのである。
ともかく、私はこのモデルを解くことを心に決めた。これが12月末の出来事である。相転移の話になったのは偶然であったが、これは当初の目的にも叶うものであった。というのも、これはパラメータを変えるだけで液体状態と気体状態の両方を生み出せるモデルになっているわけである。従って、この設定を使えば1つのモデルで気体の動径分布関数と液体の動径分布関数の両方を生み出すことができる。そこでこの2つの動径分布関数を眺めれば、その差分から液体の本質が立ち現れてくるのではないかと思われたのだ。
そうして計算を進めたことで、無事液体論に基づく手法によっても相転移を導くことができた。そうして手元には二種類の動径分布関数が得られた。見比べてみたが、そこから液体らしさは何も感じることはできなかった。
密度をρ=0.7に固定して、β=0.001の高温条件(緑)とβ=0.7の低温条件(紫)で動径分布関数をプロットしたもの。私の研究によれば、この間に相転移が起こっているはずである。
形は確かに全然違う。しかし気体はしゃびしゃびで液体はたぷたぷしているという手応えはここからは伝わってこない。てっきり液体の方が相関長が長くなっているものだと思っていたがそうでもないらしい。あの水の感覚は、分子レベルには一体どういう形で現れているのだろうか。水は異常な物質だとよく聞くが、そういう特異性を考慮してモデルを設定するべきなのだろうか......?

液体まとめ
よくわからない

参考文献
[1]Tago, Y (1974). Equation of state of the square-well fluid. J. Chem. Phys. 60, 1528; https://doi.org/10.1063/1.1681226

2019年1月28日月曜日

「交」考

この記事には、性的な記述、及び「かぐや様は告らせたい」原作2巻・アニメ3話までのネタバレが含まれている。閲覧には注意されたい。

2019年1月20日日曜日

もうOculus goしかない

昨日、運動不足を改善するためジムに行った。最大の目当てはエアロバイクである。エアロバイクは、有酸素運動でありながら膝への負担が小さい。これは踏み台昇降など他のトレーニングにはない利点である。
エアロバイクをするにあたって問題となるのが、漕いでいる間手持ち無沙汰になることだ。幸い、エアロバイクは通常の自転車と異なり交通事故の危険がない(*1)。従って、運動中に映像を視聴することは有効な対処法になると考えられる。
そこで、昨日その仮説の検証作業を行った。方法は以下の通りである。
1. fireタブレットにゆゆ式をダウンロードした。
2. イアホンを装着し、ゆゆ式を再生した。
3. ゆゆ式を視聴しながらエアロバイクを漕いだ。
その結果、深夜アニメを見なさそうな人たちに囲まれて深夜アニメを見るのは恥ずかしいということが判明した。
結局、fireなんかに頼っていてはダメということである。Oculus goを買い、Oculus goを装着しながらエアロバイクを漕ぐ。残された道はこれしかない。

(*1)暴走したトラックがガラスを破って突っ込んできた、などの特殊な事態を除く。

2019年1月13日日曜日

「有機化合物かるた」読み札

3年ほど前、「有機化合物かるた」を作成した。

その読み札を公開する。化合物名だけ読んでも、解説文だけ読んでも、化合物名→解説文でも良いだろう。

あ 安息香酸 ベンジルアルコールをMnO2で穏やかに酸化すると安息香酸が得られる。
い イソプレンゴム 2-メチル-1,3-ブタジエンを付加重合することでイソプレンゴムが作られる。
う ウラシル ウリジンホスホリラーゼのはたらきによりウリジンからウラシルが作られる。
え エタノール 高温,高圧条件下でエチレンに水蒸気を付加するとエタノールが得られる。
お オゾニド 一般に、オゾン分解においては、アルケンにオゾンを反応させることでオゾニドと呼ばれる不安定な化合物を生成させる。
か カルボン酸 一般に、アルデヒドを酸化させるとカルボン酸が得られる。
き ギ酸 ホルムアルデヒドを酸化させるとギ酸が得られる。
く クメン 酸触媒のもとベンゼンとプロペンを反応させることでクメンが作られる。
け ケトン 一般に、第二級アルコールを酸化させるとケトンが得られる。
こ コハク酸 琥珀の乾留によってコハク酸が得られる。
さ サリチル酸 ナトリウムフェノキシドに高温高圧下で二酸化炭素を作用させ、強酸で処理するとサリチル酸が得られる。
し シクロヘキサン 白金触媒を用い高圧下でベンゼンに水素を付加するとシクロヘキサンが得られる。
す スクロース グルコースとフルクトースがα-1,2-グリコシド結合した糖はスクロースである。
せ セルロースキサントゲン酸Na セルロースを濃NaOH溶液で処理し二硫化炭素と反応させるとコロイド溶液としてセルロースキサントゲン酸Naが得られる。
そ ソーダ石鹸 油脂を水酸化ナトリウム溶液でけん化することでソーダセッケンが作られる。
た ダイオキシン 廃棄物の焼却処理の過程ではダイオキシンが発生しうる。
ち チオフェノール フェノールの酸素原子が硫黄原子に置換した構造を持った化合物はチオフェノールと呼ばれる。
つ ツジョン
て テレフタル酸 p-キシレンを酸化させるとテレフタル酸が得られる。
と トルエン 塩化アルミニウム触媒のもとベンゼンをクロロメタンでアルキル化するとトルエンが得られる。
な ナフタレン 2つのベンゼン環が1辺を共有する形で連結した構造をもつ芳香族炭化水素はナフタレンと呼ばれる。
に ニトロベンゼン ベンゼンを混酸でニトロ化するとニトロベンゼンが得られる。
ぬ ヌクレオチド DNAやRNAの構成単位である、塩基と糖とリン酸が結合した形の化合物は、一般にヌクレオチドと呼ばれる。
ね 熱可塑性樹脂 ポリエチレンテレフタラートやポリスチレンなどのように加熱によって変形しやすくなる樹脂は熱可塑性樹脂と呼ばれる。
の ノナン 炭素鎖9の直鎖アルカンはノナンと呼ばれる。
は p-ジクロロベンゼン 塩化鉄(III)触媒のもとクロロベンゼンと塩素を反応させると主にp-ジクロロベンゼンが生じる。
ひ ピクリン酸 フェノールを混酸でニトロ化するとピクリン酸が得られる。
ふ フェノール クメンを酸化させてできるクメンヒドロペルオキシドを希硫酸で分解することで、アセトンとともにフェノールが得られる。
へ ベンゼン アセチレンを高温条件下で三分子重合させるとベンゼンが生成する。
ほ ホルムアルデヒド メタノールを穏やかに酸化するとホルムアルデヒドが得られる。
ま マレイン酸 フマル酸の幾何異性体として、シス型のマレイン酸がある。
み ミセル セッケンなどを水に溶かすと、親水基を外側に、疎水基を内側に向けて会合し、ミセルを形成する。
む 無水酢酸 酢酸同士の脱水縮合により無水酢酸が生成する。
め メタン 酢酸Naの無水物をNaOHとともに加熱するとメタンが得られる。
も モルヒネ 強力な鎮痛作用があることから、ケシの実から得られるアヘンの成分であるモルヒネは医療に用いられる。
や 軟らかい酸、軟らかい塩基
ゆ ユリア樹脂 尿素とホルムアルデヒドの付加縮合によりユリア樹脂が作られる。
よ ヨードホルム アセトアルデヒドにNaOHとヨウ素を加え加温すると黄色沈殿としてヨードホルムが生成する。
ら ラクトース β-ガラクトースとβ-グルコースが結合した形の二糖はラクトースである。
り 硫酸ドデシルNa 1-ドデカノールを硫酸によりエステル化して生じる硫酸水素ドデシルをNaOHで処理すると硫酸ドデシルNaが得られる。
る ルミノール 過酸化水素とともに用いると血液を検出できることから、ルミノールは科学捜査に用いられる。
れ レーヨン セルロースを化学的に処理して溶かし、再びセルロース繊維として紡糸した再生繊維をレーヨンと呼ぶ。
ろ 6,6-ナイロン アジピン酸とヘキサメチレンジアミンを縮合重合させると6,6-ナイロンが得られる。
わ ワインレブアミド ワルファリンカリウム
作ったはいいが、私は未だにこれで遊んだことがない。遊び相手を募集中である(最低でも私の他に2人は必要)。

2019年1月2日水曜日

オオゼキ下北沢店

私が東京で最もよく使っているスーパーがオオゼキ 下北沢店である。ここは、特に生鮮食品の販売に力を入れているスーパーである。店員さんがそう言っていたため間違いない(*1)。では、具体的にどう力が入っているのかを紹介しよう。

[1]精肉コーナー
精肉コーナーでは、100g48円(*2)の鶏むね肉から高級霜降りステーキ肉まで幅広い価格帯の商品を取り揃えている。このような優れた品揃えは、肉を一頭買いすることによって実現しているらしい。
私は基本的に鶏むねか豚こまを買っている。たまに霜降り肉の切り落としやステーキ肉を買うこともある。このような高級肉を1パック1000円ほどで扱っているスーパーは、付近ではここだけだと思う。また、最近はハーツ付きレバーにもハマっている。心臓の食感が面白い。これも珍しい商品だ。
たまに霜降り肉の試食をやっている。

[2]鮮魚コーナー
オオゼキの魚は他のスーパーよりも鮮度が良いと思う。全体的に美味しい。オススメは刺身切り落としだ。様々な魚の刺身がごちゃ混ぜになっているものだが、バラエティ豊かでボリュームもあり満足度が高い。均一セール(400円)の日に買うのが良いだろう。
秋頃はしょっちゅう秋刀魚を買っていた。秋刀魚は一匹丸ごとで売ってあるが、三枚おろしにしてもらうこともできる。三昧におろしてもらった秋刀魚の皮をむき、包丁で切って2日ほど冷凍させれば刺身として食べることができる。これが美味い。もちろんそのまま焼いても美味い。
最近はナメタガレイやぶりを買っている。ナメタガレイは子持ちである。スーパーで子持ちのナメタガレイを売ってあるのは初めてみた。とても良い出汁が出る。
鮭を買って粕汁に投入するのも良い。
たまに刺身の試食をやっている。

[3]青果コーナー
オオゼキでは大田市場から直接仕入れており、とにかく野菜が美味い。旬の野菜が安くなっているので、安いものを買っておけばまず外れがない。
オオゼキの青果は本当に品揃えがよい。数えてみたところ、ねぎだけで10種類あった。夏場は産地や大きさなどが違うトマトが20種類もあった。明らかに野菜大好きな人が仕入れをやっている。私の大好物ゴーヤーも、色艶がよく、大きくて食べ応えのあるものが揃っている。
他ではなかなか買えないニッチな野菜も安く売っている。例えば、きくらげ、雪うるい、つまみ菜、リーキ、ターツァイなどだ。特にリーキはおすすめだ。コンソメスープで煮込むとトロトロになり甘味が出る。
キャベツや大根の1/2カットが売ってあるが、店員さんに声をかければ1/4カット(値段は半分)にしてもらうこともできる。一人暮らしにも優しいスーパーである。

オオゼキでは現場の店員の裁量を大きくして、仕入れを現場に任せているそうだ。それゆえ、日によって顔ぶれが変わっていき、様々な美味しい食材に触れることができる。このようなスーパーは他に見たことがない。他のスーパーでは(たぶん)偉い人が仕入れ量と価格を決めているため、スーパーに行けばチラシにある目玉商品がチラシ通りの価格で売ってある。いわば予定調和だ。しかしオオゼキ下北沢店は違う。チラシにはなかったお買い得商品がドカドカ並んでいるのだ。その日良かったものを仕入れているからだろう。オオゼキには、そこに行かなければわからない出会いがあるのだ。なぜかチラシよりも安いことさえしばしばである。これにワクワクせずにいられようか。
オオゼキは、食材の豊富さ、質の高さ、価格の安さをいずれも高い次元で実現している。近くには他にも色々スーパーがあるが、オオゼキでの買い物は群を抜いてエンターテインメント性が高い。オオゼキは、私に新しい食材に触れる喜びと自炊の楽しさを教えてくれた。オオゼキがなければ、私の食生活はもっともっと味気ないものになっていただろう。

オオゼキ下北沢店は、私の知る限り最高のスーパーである。

(*1)見学に来た小学生の集団に説明しているのが聞こえた。
(*2)オオゼキでは価格が日によって変動する。基本的に「超特価」となっているものを買えばいい。価格が変わることによって私が使う食材にもバリエーションが生まれている。

2018年に見たアニメ

2018年に見たアニメを思い出せるだけリストアップしておく。

・からかい上手の高木さん
とにかく甘かった。あまりの甘さに、数分に一回休憩を挟まないと視聴することができなかった。 

・スロウスタート
最高に可愛かった。 気弱ながらも優しい性格の一之瀬さんにはとても好感が持てた。全てにおいて世界が優しく、見ているときの心地良さは最高級だった。前半のぬるぬるした最高の作画を後半まで保てなかったのは惜しかった。

・ポプテピピック
ボブネミミッミだけ見ていた。真っ当にシュールギャグをしていて面白かった。それ以外はピンとこなかったため、途中から見なくなった。

・三ツ星カラーズ
原作を読んでいたためアニメ化が楽しみだった。しかしクソガキである。

・ゆるキャン△
おしゃれなOP、段々仲良くなっていくリンとなでしこ、美しい自然描写、最終話での二人の邂逅と素晴らしい内容だったと思う。人気が出るのも納得だ。

・こみっくがーるず
最終話付近の展開はかおす先生にすっかり感情移入して泣きそうになってしまった。最初の数話は面白さがよくわからなかったが、まさかこれほどハマるとは。

・ヒナまつり
ギャグの切れ味がよく面白かった。ヒナは良いキャラしていると思う。時々挟まる感動回もなんかよかった。

・Aチャンネル
夏祭りで延々型抜きをし続けるナギさんがよかった。OP曲はリストアップしたアニメの中で一番好きである。しかし、もう少し原作ストックが溜まってからアニメ化した方がよかったのでは。毎回キャラソンが入るのはちょっと......。

・ステラのまほう
尺が足りないため仕方ないといえば仕方ないのだが、やはりキャラの暗部にもっと踏み込んで欲しかったと思わざるを得ない。物足りなかったが面白くはあった。

・あそびあそばせ
「これどうやって終わるの!」で終わる。これがあそびあそばせである。さすがだ。

・はたらく細胞
最終話の展開がポスト3.11作品群っぽいなあと思った。

・アニマエール!
これも初めはノレなかったが、ひづめの真面目ボケと虎徹の毒舌の面白さが出てきてからはすっかりハマって、毎週楽しみだった。

・となりの吸血鬼さん
安定した内容で毎週安心してみれる王道的な日常アニメだった。良かった。

一番のお気に入りはスロウスタートである。