2019年3月17日日曜日

ゆったり

引っ越しを終え、卒業も確定し、勉強もせずに実家でゆったりと過ごしている。ゆったりとした時間は実に良い。タスクに追われていると気が滅入る。
安部公房の「壁」を買った。ある友人に「君の書く文章は安部公房の小説のようだ」と言われたことがきっかけである。安部公房の小説のようだと言われてもピンとこない。何しろ私が書いているのはエッセイであって小説ではない。私のエッセイのような小説というのがどういうものか気になって買った。
しかし、まだ読めていない。実家でゆったりしていると言っても、その間に消費したいコンテンツは山ほどある。コンテンツを消費していると、あんまりゆったりといった感じにならない。本は大量にあり、NHKスペシャルは大量に録画してあって、遊びきったと言えないゲームも大量にある。とてもじゃないが消費しきれない。最近、どうもコンテンツを消費するときの集中力が低下しているように思われる。コンテンツに対して時間が足りないことによる焦りのせいなのか、加齢のせいなのか、キャパを超えた勉強量で蓄積された疲労のせいなのか、ネット中毒のせいなのか、世界への関心が低下しているせいなのか......。
私はより面白い文章を書きたい。それは自分で面白がりたいというのが主な目的である。どうも最近の文章は表現や展開がパターン化しているような感じがする。それはインプットが足りないからではないだろうか。コンテンツを消費し、吸収して、アウトプットに活かしたい。それは研究においても同様であって、学び足りない分野は大学生活で学んだ分野のほぼ全てに該当する。
もう何年も前から繰り返し言っていることだが、半年くらい休学して、タスクのことを考えず本を読みながらゆったり過ごせれば何といいことだろうか。しかし、それをするには私には思い切りが全く足りておらず、読みたい本は延々と積み置かれたままになっているのである。

2019年3月14日木曜日

横浜: 磯子火力発電所ほか

友人「おく」と火力発電所に行こうという話になり、2月26日、横浜に行った。

午前9時30分、横浜市の磯子駅に集合した。ここからバスに乗って磯子火力発電所に向かう。
10時に発電所に到着し、見学ツアーを開始した。参加者は私とおくの2人のみだった。最初に小さな部屋に案内され、この発電所の概要を説明するビデオを見せてもらった。磯子火力発電所は石炭で動いている発電所で、コンパクト(*1)な都市型の発電所であることが特徴だという。石炭は資源埋蔵量や供給安定性の観点から天然ガスなどよりも優れているが、排気ガスに含まれる大気汚染物質が多いという問題を抱えている。この発電所では排気ガスの浄化に力を注いでおり、天然ガス火力発電所並みのクリーンさを達成しているそうだ。
模型を使って発電所全体の仕組みについて解説してもらったあと、いよいよ発電所の見学に出発した。船で運ばれてきた石炭は発電所内で一旦貯蔵された後、ボイラーで燃やされる。その熱で水を加熱し、生じた蒸気でタービンを回す。発電所のの心臓部であるボイラーを上から見た様子を写真1に示す。
写真1 ボイラー
ボイラーは宙吊りになっており、下は地面に接していない。石炭を燃やすと、ボイラーにクリンカと呼ばれる石炭灰が付着する。ボイラーは金属製で、内部の温度によって伸び縮みする。火力発電所では電力需要に応じて出力が柔軟に調整されるが、それにより付着したクリンカが底に落ちる。こうして回収されたクリンカは土壌改良などに用いられる。私が一番面白いと思ったポイントがここである。
建物の屋上に上ると、海が見渡せた。発電所には、一隻の船がとまっていた(写真2)。石炭を積み下ろしている最中のようだ。
写真2 セルフアンローダー船とベルトコンベア
この船は、自動積み下ろし装置を備えていることから「セルフアンローダー(self-unloader)船」と呼ばれる。発電所内では、石炭はベルトコンベアで運ばれる。騒音を低減するため、風で石炭を浮かせながら運んでいるそうだ。
屋上には煙突があった。この煙突の断面は円形ではなく、縦に潰れた形をしている。これは近くにある庭園「三渓園」からの景観に配慮するためだそうだ。係の人の説明によれば、「三渓園から見えにくい」ことと「風に強い」ことを両立するためには大きな苦労があったらしい。
発電所を一通り見て回ったが、我々の都市生活がどのようにして支えられているのか、その一旦が垣間見えたようで非常に面白かった。質問もたくさんできた(*2)し、無料でここまで遊べる場所はなかなかない。見学者2人のためにわざわざ係の人を3人くらいつけて下さって贅沢な体験であった。磯子駅は周辺に工場や交通量の多い道路があり空気が悪かったが、それさえ目をつぶれば(下水処理場と違って)デートスポットとしても優れていると言えるだろう。オススメである。

昼頃、発電所を出発し、横浜中華街を通って横浜税関資料展示室に行った。中華街は食べ放題の店と食べ歩き用の肉まんの店だらけでちょっとしたランチに向く感じではなく、中華街では何も食べずにみなとみらいでカレーを食べた。横浜税関資料展示室は、違法薬物の密輸の手口を模型で解説してあったり、偽ブランド品と本物を見分けるクイズコーナーがあったりしてなかなか面白かった。コンクリ塊を中空にして、そこに薬物を詰めていたという大掛かりな事例には特に驚かされた。ただ、私は覚せい剤目当てで行っていたため、本物の覚せい剤がなかった(置いてある"覚せい剤"は全て模造品)のはやや肩透かしであった。

15時頃、赤レンガ倉庫に行った。有名だから何か見るものがあるのだろうと思っていたが、色々な店があるだけで特に何もなかった。その辺をぶらぶら歩いていると、衝撃的な看板が目に入った。

北朝鮮工作船展示!? あまりに攻めた展示に目を疑った。しかし、臨時休館で中に入ることは叶わなかった。
その後は、歩いて横浜駅に行った。途中、鉄道模型博物館など見所っぽいスポットが色々あったのだが、どれも閉まっていた。面白かったのは旧横浜船渠のエアー・コンプレッサーくらいだ。おくは「横浜何もないな。覚せい剤もないし。火力発電所しかない」と言っていた。横浜駅から東急に乗り、中目黒駅で解散した。

あとで調べてみて分かったのだが、海上保安資料館で展示されている北朝鮮工作船は覚せい剤取引に関与していた疑いが持たれているそうだ。税関は所詮FAKE、ホンモノはこっちということか。入れなかったのが悔やまれる。また横浜に行きたい、そう強く思った。

(*1)この発電所が最初に作られたときは広い用地があったそうだ。ところが、次第に東京-横浜都市圏が拡大し、発電所の周囲も都市化していった。更に、都市圏の拡大に伴い、首都圏の電力需要が逼迫するようになった。このため、敷地はそのままで炉を増やして出力を増加させる必要に迫られたのだ。既存の発電所を止めないようにして、電気を作りながらも現一号機と二号機の建設を進めたのだという。こうして、同じ敷地面積でありながら50万kWの出力を120万kWにまで引き上げた今の磯子火力発電所が作り上げられた。
(*2)ただ、その全てに答えてもらった訳ではない。私が答えにくい質問ばかりあまりに大量に投げかかけるので、係の人は株主用なのか何なのか分からない資料を棚から取り出して手渡してきた。これを読めということか。

2019年3月13日水曜日

思い出の石

転居に伴って、壊れたプリンタ、カビた布団、1960年代の左翼のビラのコピー、月刊「恒河沙」20冊ほどなど様々なものを手放した。中でも思い出深かったのが、アメリカで手に入れた石灰石だ。

東大の1年次のカリキュラムに「初年次ゼミナール」という授業がある。これは大学での学びのチュートリアルとして開講されるゼミ形式の授業で、1人の教員のもとに10〜20人程度の学生がつき、輪読やデータ解析などを行うものである。この「初年次ゼミナール」で、私はアメリカの地質に関する洋書を輪読するものを選択した。この授業の終了後、学んだ内容を実際に見て確かめるアメリカ巡検を先生が主催してくれるというのだ。そして、私はそれに参加した。
その巡検の中で、デスバレーという場所を訪れた。リンク先のU.S. National Park Serviceのウェブページにも書いてある通り、アメリカで最も暑く、乾燥していて、低い場所がデスバレーだ。湖が干上がってできたバッドウォーターが見所である。
さて、我々はこのデスバレー近くのDumont砂丘と呼ばれる場所(*1)を訪れた。ここはかつて地球全体が凍る「全球凍結」があったことを示しているというのだ。
写真1 Dumont砂丘。地層が露出している。下部にはレキの存在が確認できる。
写真1にDumont砂丘で観察した地層を示す。下部にある草の左に、大型のレキがあることが分かる。こうしたレキはドロップストーンと呼ばれる。磁気調査の結果、このレキは赤道近くから運ばれてきたものだとわかったそうだ。全球凍結があったとすれば、氷河がレキを運搬したとしてドロップストーンの存在をうまく説明できる。
全球凍結の証拠はこれだけではない。この地層の頂上に登り、地面を撮影したものを写真2に示す。この白い岩は石灰岩で、キャップカーボネートと呼ばれる。全球凍結説によれば、地球が凍っている間に海に溶け込めなかった二酸化炭素が全球凍結終了後に一気に海中に溶け込むことによって形成されたものだということである。
写真2 キャップカーボネート。全球凍結後に二酸化炭素が海中に溶け込むことで形成された石灰岩とされる。
この石灰岩をハンマーで叩いて割り、お土産として持って帰った。帰ってからは本棚に飾って時折眺め、地球の歴史に思いを馳せたものだった。

こうして石灰岩を眺めていたある日、これが本当に石灰岩なら酸で溶けるはずだ、だから溶かしてみようと思い立った。石灰岩に塩酸を加えてみると、果たして発泡しながら溶けていった。こうして思い出の石灰岩は泥水になった(写真3)。
写真3 持ち帰ったキャップカーボネートを塩酸で溶かしたもの。
これを濾過すると、透明な黄色の液体が得られた(写真4)。
写真4 写真3の液体を濾過した後の濾液。
ここにヘキサシアノ鉄(II)酸カリウムを加えると青色沈殿が生じた。このことから、この液体には鉄(III)イオンが含まれているはずである。多分これは縞状鉄鉱床の鉄だろう。

かくして、思い出の石はボロボロの濾物になった。私はこの濾物も袋に入れて大切に保管していたのだが、四年生になって改めて袋を開けてみると、どうでも良いただのゴミ......は言い過ぎにしても、空間を無駄に占有する残骸のように見えた。だから私は思い出の石を捨てた。

 (*1)国立公園に指定された地域の外。