2020年2月26日水曜日

芸能人の薬物使用報道に思うこと

誰それが薬物使用の疑いで逮捕されたといった類の報道が起こるたび、その人物をネタとして消費する動きが湧き上がる。しかし、それがどぎついブラックジョークであることを認識しながらやるのならまだしも、基本的には軽々しい気持ちでネタにしてよいものではないはずだ。本当に薬物をやって依存症になってしまったら、それは笑い事では済まない。一人の人間の人生が、人格が侵されているのだ。
一人の人間を「ネタ」として表層的に消費する姿勢の背景には、自分と彼ら彼女らは違う、彼ら彼女らは社会的「悪」だ、自分ならああはならない、といった意識があるように感じられてならない。画面の向こう側にいる人間と自分との間に線を引き、その向こう側を悪魔化する。しかし、薬物に依存してしまうような心の弱さは、誰もが持っているものである。逮捕された人が特別なのではない。たまたま近くに誘惑があった、誘惑に抗えない環境だったというだけの話である。「自分は大丈夫」だと思っている人こそが詐欺にかかりやすいのと同じ話で、薬物の被害に合わないためには、その危険を身近なものとして意識することが重要である。そして、いざというとききちんと断れるようにするためには、各々が自分の中にある心の弱さを自覚しておくべきだろう。
私は、他人を笑って後ろ指を指すのではなく、更生を応援する姿勢を取れる人間でありたいと思う。なぜなら、自分も一歩間違えればああなるかもしれないという危惧が常に心にあるからである。私が薬物を題材にした漫画を描いて架空の薬物使用者をネタにしているのも、自分の中の心の弱さをネタにして笑おうという姿勢の表れである。薬物を使ってしまった実在の人ではなく、こうした漫画の登場人物や、あるいは実際には薬物を使用していない私なんかがネタとして消費されるようになれば、もう少し社会は優しくなるのではないかと思うのだ。

......そうはいいつつ、あぎりさんの一件はキルミーベイベーの作風だけにどうしても笑ってしまうのだが。