2020年4月30日木曜日

違法ケシ

今朝、近所に違法なケシが咲いているとの情報を聞いた。現場に向かってみたところ、確かにアツミゲシが咲いていた。アツミゲシはアヘンの原料になるとされ、法令で栽培が禁じられている種の一つだ。とはいえ高々一本程度では大した量のアヘンにならないらしい。

アツミゲシ

春はポピーの季節である。道端で最もよく見かけるケシは、おそらく次のナガミヒナゲシであろう。こちらは育てても問題ない。

ナガミヒナゲシ

アツミゲシとナガミヒナゲシでは葉の様子が大きく違う。アツミゲシでは太い葉が茎を抱くように生えているのに対し、ナガミヒナゲシではうっすらと白い毛を帯びた細い形の葉が育つ。

ナガミヒナゲシの葉

園芸を趣味としている方もいらっしゃるだろうが、うっかり違法なケシを栽培しないよう今一度注意されたい。

2020年4月19日日曜日

ゆめカレシ

最近、3DSの「わがままファッションガールズモード よくばり宣言!」というゲームをやっている。セレクトショップの店長の女性になって、色々なファッションアイテムを仕入れたり、お客さんにコーディネートを提案したりするゲームである。さて、この記事ではそんなゲームのとあるモードを紹介したい。

「ゆめカレシ」である。

このモードを選ぶと、主人公は自室のベッドで眠り始める。夢に現れるのはモデル体型のスマートな男性。まずは彼をコーディネートすることになる。
ゆめカレシのコーディネート
そうして作り上げた理想の彼と、夢の中で妄想デートを楽しむ。そんなモードが「ゆめカレシ」だ。今回のデート先は海らしい。
ゆめカレシとの妄想デート
なんやかんやと会話して、最後には彼とツーショットを撮って妄想デート終了となる。
ゆめカレシとのツーショット
主人公が経営するセレクトショップには様々なカップルが来店するが、いくらゲームを進めたところで主人公に本当の彼氏ができることはない。主人公にいるのは、夢の中の彼氏だけである。
主人公の行動はプレイヤー次第である。来店したカップルは「これから公園に行こう」などと会話をしているのだが、その会話を盗み聞きした挙句、店をほったらかしてストーカーの如く公園に行き、デート中のカップルに平然と話しかけるプレイをしても構わない。そうしてそのカップルの彼氏さんのファッションを夢の中で再現し、夢の中でデートするのだ。泣いてなどいない。うらやましくなんてない。私には、大事な仕事、大事なお店があるのだから......(*1)。

ちなみに、主人公の髪型を姫カットに、ファッションをコテコテのロリータ系にしてこのモードをやると恐ろしさ倍増なのでおすすめである。

(*1)といいながら、店はバイトに任せっきりにして公園やカフェに行く毎日である。

2020年4月8日水曜日

おすすめの全年齢向け催眠音声

今回の記事は全年齢対象であり、年齢制限は設けない。

催眠音声と聞くと、私がこれまで紹介してきたようなアダルト作品を想像されるかもしれない。しかし、催眠それ自体がいかがわしいものであるかというと、決してそんなことはない。確かに催眠と性的快感は相性が良く、これまで数多くの成人向け催眠音声が作られてきたわけであるが、全年齢向け作品も質の面では全く負けてなどいない。催眠状態というのは音声に集中しながらも深くリラックスした状態であり、性的快感を抜きにしても十二分に心地いいのである。
そういうわけで、この記事では全年齢向け催眠音声をいくつか紹介していこうと思う。いずれも私が実際に聞き、いたく気に入った作品である。

[無料作品]
「安眠誘導」
癒しボイスで寝かしつけてくれる音声である。担当声優のみもりあいのさんは本当に可愛くて素晴らしい声をしており、もうすっかり虜になってしまった。読者の皆さんにも堪能してほしいところである。

「眠れない夜のための安眠音声」
こちらも甘くて可愛い声で寝かしつけてくれる。女の子の優しさが心に染み渡ってきて最高である。

「安眠音声C92」
上記2作と比べると少し大人っぽくて穏やかな声で寝かせてくれる。ささやき声の演出がいい。

[有料作品]
「サイニィコンディショナー」
無料作品枠で紹介した3作は主に男性向けの作品であるが、こちらは性別問わずおすすめできる作品である。催眠状態に誘導した後、白い光で浄化されるイメージを通して心をリフレッシュさせてくれる。

「ムゲントランス」
こちらも男女ともにおすすめできる作品である。催眠の深度をひたすら深めることを目的に、30分に渡る誘導で他の作品では味わえない境地まで落としてくれる。催眠の感覚を掴みたい人にもおすすめだ。

催眠の気持ち良さというのは、喩えていうなら日のあたる暖かい縁側でうとうとしているような感覚である。その癒しを手軽に味わわせてくれるのが全年齢向け催眠音声だ。ストレス解消にもうってつけであると思う。もし興味が湧いたら是非一度試してみてほしい。

自分の恋愛について考える回

恋愛に関して最近頭をめぐっている思考の内容を、とりとめもなく書く。

1.
マッチングアプリに登録したのは、「彼女」のことを想い続けることがいい加減辛くなってきたからだった。周りに異性がいないという環境が、ますます自分の中の絶望感を深めていた。だから、現状のドブ沼から這い上がるためには、まずは異性との接点を増やす必要があった。そのための手段がマッチングアプリだった。第一の目標は、異性と接する中で、自分の中の「彼女」の重みを少しずつ減らしていくことだった。もちろん、首尾よく交際につなげることができれば申し分ない。ただ、交際のための心の準備はできていないままマッチングアプリを始めることにはなってしまったし、今もなお心の準備が完了しているとは言い難い。
連絡先を交換している相手は数人いる。同年代の異性と繋がって、色々な話をするのは実際のところ楽しかった。交際のための素地が自分の中で整っていないことに関しては申し訳なさを覚えるものの、知り合った相手と過ごす時間は確実に私にとって癒しだった。私の試みは、少しずつ功を奏しつつあるように思われる。

2.
後悔するのは避けたい。自分が後悔したくないというのもそうであるし、「彼女」にも後悔はしてほしくない。「彼女」自身が私からの一切を無視することを選んだのだから仕方あるまいという諦念と、このままでは「彼女」は後悔や迷いに苛まれ続けるのではないかという不安が自分の心に同居している。
私はまだ「彼女」のことを諦めることができないでいる。それは、「彼女」の心の中にまだ後悔や迷いが残っているのではないかと思えてならないからだ。もし、「彼女」が私のことをなんとも思っていない、私は全くタイプでない、だから私を振ったのだ、というのであれば、私は潔く諦めるつもりでいる。他に好きな人がいるというのであれば、それを応援するくらいの覚悟はできている。だが、彼女は私に何も教えてはくれなかった。彼女の本心がわからないまま、あれから一年が経とうとしている。私にはそれがたまらなく苦しい。
「(私)のことを恋人として見ることはできない」という言葉は、mayなのかcanなのかで大きく意味が変わってくる。私は、彼女が心のどこかで私のことを好いていたのではないだろうかという希望を捨てきることができていない。だから、振られたと言っても、あたかもずっと保留にされ続けているかのようなもどかしさと苦しさを感じている。
ずっと恋愛沙汰と無縁で生きてきた真面目な性格の「彼女」が、恋愛に慎重になるのは納得できるところである。だからこそ、私を振った後の彼女と、今後の関係について一度きちんと話し合いをしたかった。彼女が私を選ぶのか、あるいは他の誰かを選ぶのか、はたまた誰も選ばないのかは、結局のところ私にとって最重要の問題ではない。「彼女」は、私の初恋の人である以前に、尊敬すべき私の大切な友人である。彼女が迷いなくそれが本心であるというのなら、どんな選択であろうと尊重する。そのとき、彼女が私を選ばなかったとしても、きっと彼女は私を友達にしてくれるはずだ。「私はまだ「彼女」のことを諦めることができないでいる」というのは、「「彼女」と友達になることを諦めていない」という意味だ。
彼女が私を振ることは、彼女が1日で決めたことだ。彼女の中には、早く返事しないといけないという焦りがあったのではなかろうか。そして、「(私)を振ったからには(私)とは友達でいられない」と結論ありきの行動になってしまっているのではなかろうか。別に私は今更いくら傷ついたって構わないし、彼女にはそんな小さなことを気にしてほしくない。本当に私のことが嫌いだというのなら、「ゴキブリ以下の存在。二度と目にしたくない」とはっきり言ってもらっても構わないくらいだ。いや、むしろそう言ってもらえたらどれだけ私にとって救いとなることだろうか。
私は、彼女は自分に初めて告白してきた人なら誰でも振ったのではないかと踏んでいる。彼女が自分自身の内面とじっくりと向き合うことを促し、彼女の迷いを晴らすことは、初めて彼女に告白した男である私が果たさねばならない責務のように思われる。それを果たせていないことが、私の最大の心残りだ。

3.
「恋人」という概念は、一人の人間に役割を詰め込みすぎているように思われる。一緒にお話ししたい、一緒に趣味を楽しみたいという精神的な欲求であったり、手を繋ぎたい、接吻したいという肉体的な欲求であったり、結婚したい、何十年にも渡ってそばにいたいといった将来像であったりが、「恋」というラベルにマスクされる形で一人の生身の人間に押し付けられているのだ。かつては好き合っていた多くのカップルが結果として破綻に陥っているのもむべなるかなである。
恋をするとなんだかその対象が最高の相手のように感じられてくるわけであるが、結局のところそれは自分で自分を騙している欺瞞でしかない。いくら魅力的な異性といっても、生身の人間である以上、ある面で魅力的であっても他の面では魅力的でないというのが通常である。異性に対して感じる欲求の種類が複数ある以上、主として感じる欲求の種類も相手に応じて変わってくる。しかしながら、Aさんを選んだからといって、Bさんに感じていた欲求が消えて無くなるわけではない。異性との接点が増えてくると、このように並列化された異性の中で一体誰を選び取るのかというのが問題となってくる。最終的な決め手は容姿かもしれないし、趣味かもしれないし、言葉にできない雰囲気なのかもしれない。異性を選ぶ、誰か一人この人だと決めてしまうということは、異性を通じて自分の欲求を選び取ることでもある。選び取られなかった欲求は、せいぜい部分的にしか叶うことがない。
一度恋に落ちてしまえばこれは問題とならないのだろうし、多くの人はそうして問題を"解消"しているのだろう。だが、私のように思考先行で感情がじわじわじわじわついてくるというタイプの場合、これは重大な問題だ。何人いても問題とならない友人と違って、恋人は本質的に唯一の存在である。一方で私の中の欲求は唯一ではない。このギャップは必然的に葛藤を生む。感情の赴くままに任せきり、こういった葛藤から目を背けるというのは、後々に破綻を招くたちの悪い思考停止であるように感じられる。葛藤と向き合わない、葛藤の"解決"を放棄した恋というのは、なんだか欺瞞を欺瞞で上塗りして作りあげられた代物のように思われるのだ。