・2019年5月6日~2019年5月15日
とりあえず、予定通り京都に戻ることにして電車に乗った。だが、次第に気分が悪くなってきたため、中書島駅(*1)で降りてトイレに行った。洗面台に向かい、身を屈める。胃が収縮し、胃液が食道を逆流する。私は、ついに嘔吐した。もう限界だと思った。私は、失恋の打撃がいかに大きなものであったかを悟った。私は止めを刺されたのだ。
私は、A先生にメールを送り、京大を退学してA研に行こうか悩んでいるという旨を伝えた。ひとまず、5月16日に研究室とゼミの様子を見せてもらえることになった。加えて、もらっていた診断書をスキャンし、京大の方の研究室の先生にメールで送った。私は、療養のための半年間の休みをもらった。私は大学に行くのをやめた。
それからは、家でひたすら「初恋」を執筆した。文章を書いていくに従って心境は次第に前向きになっていき、「初恋」は最初に考えていたよりもかなりポジティブな形で締めくくられた。出来上がった文章を読んで、私は達成感に包まれた。自分を絞り出すように書いた渾身の一作だった。これは傑作だ。振られた結果としてこんなに良い文章が書けたのなら、そんなに悪い体験でもなかったかもしれないな。私はそう感じられるようになった。
・2019年5月16日~2019年5月31日
私は東京に行き、A研のゼミに参加した。面白かった。やはり、理論化学よりも物理の方が性に合っているように思われた。A先生にも進路の相談に乗ってもらって、入学してからA研で取り組む研究テーマについて話し合った。また、A先生は総合文化研究科には秋入学の制度があるということも教えてくれた。
その後は、大学時代の友達に会って店の中で話し込んだり、一緒に五月祭(*2)に行ったりした。友達の何人かは「初恋」の記事に言及して、私を励ましてくれた。嬉しかった。
この間、私の調子は乱高下していた。A先生と議論したり、友達と話したりするのは楽しかった一方で、一人になると孤独感に苛まれ、吐き気に襲われることもしばしばだった。友達の前では努めて調子の悪いところを見せないようにしていたが、唯一僕を泊めてくれていたH君には吐こうとする声を聞かれてしまい、大きな心配をかけてしまった。
20日の朝、私は夜行バスで京都の街へと戻ってきた。それからは、家に引きこもって特に何もしない日々が続いた。
・2019年6月上旬~2019年6月中旬
私は、早く「彼女」の友達という地位に復帰したかった(*3)。6月1日、総合文化研究科の院試の出願に使うべく、大阪にTOEFL iBTを受けに来ていた。大阪からの帰り道、一月ほど経ったからそろそろ良いだろうとの判断のもと、私は彼女にメッセージを送った。そしてその結果、私は彼女に絶縁された(*4)。
彼女と音信不通になったことは大きなショックだった。恋愛感情も抱いていたとはいえ、その基盤にあったのは彼女に対する友情だった。彼女は、異性の中では一番親しい友達だった。それなのに、もう私は彼女の友達でない。喪失感が大きかった。大切な友達だと思っていたのは私だけで、彼女にとって私は簡単に切り捨てられるどうでも良い存在だったのかもしれない。いや、多分向こうにとっても私は異性では一番の友達だったはずだ。だったらなぜ、一体どうしてこんなことに......。執筆と休養によってポジティブになりかけていた心境は、再びネガティブの沼へと逆戻りした。
ただ、これによって総合文化研究科に出願するための決心はついた。こうなってしまえば、もうどう抗おうとも彼女の恋人になれないことは明白だった。彼女とは物理的にも距離を置いた方がいいのかもしれない。私は院試の願書を書き始めた。A研に落ちたら、今の研究室に残ればいい。私はA研単願にした。
しばらくすると、TOEFL iBTの結果が届いた。私は院試に出願した。
・2019年6月下旬~2019年7月中旬
6月中旬までは、塞ぎ込んでほとんど家に引きこもっていた(*5)。
6月24日、友人「おく」と造幣局を見学した。造幣局自体はさほど面白いものでもなかったが、友達と会ったことで多少なりとも元気が出た。翌日から、私は銭湯に行ったり植物園に行ったりして京都で色々遊ぶようになった。
そんなことをしているうちに、気付けば院試の筆記試験は目前に迫っていた。とりあえず過去問でも解くかと思い、時間を計らずに過去問を1年分解いた。えっちらおっちら解いていると、いつの間にやら院試の前日になっていた。結局、過去問1年分しかまともに勉強できなかった。
私は、前泊させてもらえるよう頼んでいた友達の家に行った。夕食としてスーパーで買ったプチトマトと木綿豆腐とバナナを食べ、軽くシャワーを浴びて眠りに就いた。(続く)
(*1)京阪本線の駅。私は、京阪線で京都大学の最寄駅である出町柳駅へと向かっていた。
(*2)第4回キムワイプ卓球研究会に参加するため、私はA先生に会った後も数日間東京に留まり続けていた。
(*3)私は、彼女にとって何でも相談できる相手 ーー彼女の親友ーー になりたかった。ref.「縦糸」
(*4)ref.「決意」
(*5)ref.「9/9: 銀行」
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