2022年12月26日月曜日

きらら同好会の方で関わった記事

東大きらら同好会の方で関わった記事をまとめておきます。

座談会に参加し、編集を担当しました。

寄稿の上、編集を担当しました。

執筆しました。

執筆しました。

執筆しました。

アンケートに回答しています。

執筆しました。

こちらもよろしくお願いします。

2022年12月8日木曜日

耳鼻科

私は重い花粉症を持っており、幼少期からずっと耳鼻科に通い続けている。地方は店も少なければ病院も少ない。実家に住んでいた頃は耳鼻科に選択肢などなかった。いかにも昭和らしい病院で、主治医がぶっきらぼうで怖かったのを覚えている。
上京して耳鼻科に選択肢ができたことに感動した。今通っている病院は、実家時代のかかりつけ医とは対照的に、清潔感があり、設備が充実していて、先生が優しい。Webで予約できるため待ち時間も短くなった。治療に関して、判断の根拠などを尋ねると丁寧に教えてもらえるのもよい。

膿を含む鼻水が出ているときに耳鼻科に行くと、かつては「これは鼻風邪ですね」と抗生物質が処方されていた。同様の状況で今の病院に行ったところ、抗生物質と抗ヒスタミン薬が処方された。「アレルギー性鼻炎で副鼻腔に鼻水が溜まり、そこに細菌やウイルスが繁殖したのだろう」という話だった。「ウイルス性なら抗生物質は効かないのでは」と尋ねると、「細菌性かウイルス性かは鼻鏡で観察しただけでは分からない。抗生物質を使ってみて、それが効いたら細菌性の鼻炎だということになる。一度試して、効かなかったらまた来てほしい」と教えてくれた。
私は治療方針に納得し、その通りに処方してもらった。結果、たちどころに治った。医者を信頼して薬を飲んだので、飲み忘れが減り、且つプラシーボ効果も得られたということだろう。

もう一点大きく違っていたのは、舌下免疫療法を始められた点である。これは花粉症の根治療法とされているが、処方には医師が所定の講座を受講していることが必要で、どの病院でもできるわけではない。実家の近くの病院ではできなかった。どこでも同じ医療が得られるわけではないというのをこのとき特に実感した。

今のかかりつけ医の先生は理知的かつ温和そうな雰囲気を纏っていて、診察されるたびに憧れを感じる。あのような歳の取り方をしたいと思っている。

2022年7月24日日曜日

カテキョあるある

私「じゃあ始めますか。前回は〜〜〜〜をやったところでした。ここの問題を宿題としていましたが、解けましたでしょうか?」
生徒「えーっと......」
生徒「申し訳ないです、やってません」
私「ああ、ええよええよ」
私(宿題やってなかったらやってなかったでその分給料と比べて相対的に俺が楽になるだけやし、ええに決まっとるよな.......)
私「じゃあ一緒にやっていきましょうか」
生徒「お願いします」

2022年7月10日日曜日

2022参院選で何を考えて投票したか

今日は参院選の投開票日だった。選挙区では共産の山添拓氏、比例では国民の矢田わか子氏に投票したのだが、誰に入れたものだかどうにも難しい選挙だった。
自民党の岸田首相のことは高く評価している。安倍氏が首相だった頃には(首相自身による)「ご飯論法」や虚偽答弁といった問題が騒がれたが、岸田氏については全く聞いたことがない。おそらく真摯に答弁されているのだろうと想像している。また、安倍氏が核共有の議論を進めるべきと主張したことがあったが、岸田氏はこれをはっきりと否定した。この判断は素晴らしいと思う。加えて、「分配」を掲げる基本理念も賛同している。

しかし、だからといって自民党に入れようとは考えなかった。第一に、自民党はジェンダー平等や人権尊重などに対する取り組みに消極的で、不満がある。第二に、岸田氏個人の資質による改善ではなく、自民党全体の根本的な体質改善を望むためには、やはり野党勢力の存在感を高め政権交代への現実的な圧力を滲ませる必要がある。そういうわけで、判官贔屓をしている自覚はあるが、これまでは概ね立憲に票を入れてきた。

東京選挙区で共産の山添氏に入れた理由はいくつかある。まず、パフォーマンス的な激しい糾弾に走りがちなイメージの蓮舫(蓮舫氏?)と比べ、山添氏の方が実直に、かつ鋭く国会質疑を行っているように感じられた。また、(結果的にこの考えは間違っていたようだが)当落線上にあると報じられた山添氏に対して蓮舫の当選は確実で、敢えて入れる意味は薄いと考えた。維新が目玉政策として掲げる「生活保護等を廃止しベーシックインカムに集約する」という政策は私の考えと完全に相反するものであり、維新の勢力拡大を防ぐためには当落線上にある議員を支援することが重要だろうと思ったのである。
私は、共産党自体には閉鎖的で柔軟性に欠けるという印象を抱いており、やや否定的に評価している。とはいえ、ここは山添氏の個人的資質を評価することにした。
なお、れいわの山本氏は嫌いだから一切検討しなかった。立憲の松尾氏については、落選を確実視し見捨てた。

比例は国民の矢田氏に入れた。最大の理由は、矢田氏が電機産業の人材育成を主要政策に掲げていたことである。矢田氏は電機メーカーの労働組合から支援を受けており、従って物性物理学の院生に対しても優しいに違いないと考えたのだ。
ただし、どこかで見たアンケートでは確か漫画などの表現規制について「女性への過激な暴力描写は自粛してほしい」のように答えていた覚えがある。これは明確に不満だが、飲みこむことにした。
観念的になりすぎる印象のある立憲や共産に対し、国民民主は市民の生活に根ざした政策を打ち出し続けている(気がする)。このような野党が存在することには大きな意味があるだろう。憲法改正に対しても「自衛隊を認めつつ同性婚も認める」という面白い案を打ち出していて、中道改革政党を自称するだけの矜持を感じた。原発再稼働に賛成しつつ、かつ選択的夫婦別姓にも賛成するなど、調べれば調べるほど私と考えが近いと感じられた。
国民民主党に対して最も不満があるのが環境政策だ。CO2排出量の削減目標が他党より低く、気候変動対策に消極的な印象を受けた。主要政策の「再エネ賦課金の徴収停止」に関しても、私は電気料金を安くせずに節電を促すべきという立場であるため、あまり評価していない。富裕層は電気料金が多少高くても生活できるのだから、貧困層に直接金銭的支援を行った方が効率がよいと思う。政策立案能力は十分だろうから、原子力発電の活用を認める党ならではの独自の気候変動対策を今後示してくれることに期待したい。

参院選の結果予測によれば、立憲、国民、共産は議席を減らす見込みということだ。共産と国民に入れるようなアクロバティックな投票行動をする人がどれほどいるのか分からないが、私にとって厳しい結果になりそうである。

2022年7月7日木曜日

投資信託とETFについて調べた結果まとめ

投資信託とETFに関していろいろ考えていた。私の場合、投資信託に主軸を置いた方がよいだろうというのが現在の考えである。今回検討したのは
・投資信託: SBI-SBI・V・S&P500インデックス・ファンド
・ETF: バンガード S&P 500 ETF(VOO)
だ。前者は信託報酬が年0.09%であるのに対し後者は経費率が年0.03%で、長く持つならETFの方が有利ということになる。また、上場している分、ETFは投資信託と比べて価格の透明性が高いという利点もある。
しかし、ETFは複雑なのが難点である。第一に、ETFは購入手数料こそ無料であるものの、売却手数料が0.45%かかる。先に挙げた投資信託は手数料が全て信託報酬に集約されており、買付手数料も解約手数料も無料である。第二に、ETFではドルの購入も自分で行わねばならず、為替スプレッドがかかる。この外貨両替の手数料を安くする方法も複雑で、住信SBIネット銀行の口座を開設し、一旦日本円をこちらに移して、住信SBIネット銀行で両替を行った後、これをSBI証券に戻すという手順を踏む必要がある。第三に、配当金の二重課税を防ぐために確定申告が必要となる。従って、配当金の再投資を実現するためには、銀行口座で受け取った確定申告の還付金を再びSBI証券に戻し、これを元手に手動でETFを買い付けねばならない。ついでに税金に関して言えば、どうやら譲渡益の計算の際に両替手数料が経費として入っていないように見受けられ、これも少々気に食わない。

ともかく、以上の点にさえ気を付ければ、理屈の上ではETFの方が良いはずだ。しかし、配当金は毎年発生するもので、今は確定申告ができたとしても、5年後、10年後ライフステージが変化した(本当に変化が生じるのかはおいておく)際にこなせる時間があるとは限らない。すっぽかしたとしても問題ないようにするには、やはり投資信託がよいだろうとの結論である。

ETFには、指値注文ができるという魅力がある。個別株は売りと買いでそれぞれ0.45%の手数料がかかるのに対し、上記のETFでは売却時にしかかからない。そこで、真面目な投資とは別の、短期で売買を繰り返して市場平均以上の利益を狙う遊びにETFを使おうと思う。要は丁半博打のようなものだが、胴元の取り分が0.45%だと考えれば、これほど割のよいギャンブルもないだろう。

※2022/08/13追記: SBI証券の投資信託では手持ちのクレジットカードで積み立てられることを知った。これならポイントが1%も貯まるから、明らかに投資信託の方が良い。ETFを買う理由は無くなった。それにしても、信託報酬が0.1%未満なのに1%(カードの種類によっては2%)もポイントを付与してどうやって儲けるつもりなのだろう。

※2022/08/18追記 クレジットカードでの積み立ては月5万円までの制限があるというカラクリだった。一方、S&P500インデックスファンドについて、年0.022%のポイントが付くということを知った。やはり、総合的に見て投資信託がお得と言っていいだろう。

2022年4月20日水曜日

熱力学における温度目盛りについて

加藤先生がこのようなツイートをされていた。

温度の目盛りの定義の話をしないまま、カルノーサイクルまで到達したとき、そこで絶対温度を定義したあと、理想気体についてなにか言えるのかな?

という問題である。ここに考えたことを書き留めておこう。

まず温度の目盛りがないという状況について整理する。この場合でも、熱的に接触させ熱平衡状態を作ることで「温度が同じ」は定義できる。また、「温度を上げる断熱操作の存在と、その不可逆性」から「温度の大小関係」は定まっている。

温度の目盛りの定義がない場合でも、理想気体について次の2点の実験事実が言える。
1. 温度Tを一定にした場合、圧力Pは体積Vに反比例する。
2. 圧力Pを一定にした場合、温度Tを上げると膨張する。
そこで、温度Tのみに依存する量θ=θ(T)を導入し、PV=Nθと書くことにしよう。θはTの増加関数である。

だが、上記の2点だけでは仮定が足りない。そこで、理想気体の内部エネルギーは体積に依存せず、温度と物質量のみに依存することも仮定する。よって、ある関数f(T)を用いて、U=Nf(T)とかける。このとき、等温準静操作において理想気体の内部エネルギーは変化しない。ゆえに、熱力学第一法則から、理想気体が等温準静過程(T, V_1)→(T, V_2)で受け取る熱Qは
Q = Nθ(T) log(V_2/V_1)
とかける。
一方、理想気体の断熱準静操作を考えれば、熱力学第一法則とU=Nf(T)及びPV=Nθより
f'(T)dT=-(1/V)θ(T)dV
である。この式においてθ(T)を移項して両辺積分することで、ポアソンの法則に相当するものが従う:
理想気体の断熱準静操作に関して、ある関数g(T)があって、g(T)V = const.

この結果をカルノーサイクルに適用しよう。理想気体を用いてカルノーサイクルを作り、高温熱浴の温度をT_H、低温熱浴の温度をT_Lとする。Q = Nθ(T) log(V_2/V_1)とg(T)V = constより、高温側の最大吸熱量Q_Hと低温側の最大吸熱量Q_Lは定数c_1, c_2を用いて次のようにかける。
Q_H = Nθ(T_H) log (c_2/c_1)
Q_L = Nθ(T_L) log (c_2/c_1)
その比はQ_H/Q_L = θ(T_H)/θ(T_L) となる。

カルノーの定理と絶対温度の定義より、最大吸熱量の比はQ_H/Q_L = T_H/T_Lである。従ってθ(T_H)/θ(T_L) = T_H/T_Lとなり、θ(T)/T = const. が得られる。すなわちθがTに比例することが結論づけられた。

ところで、θがTに比例することを仮定すると、理想気体の内部エネルギーは体積に依存しないことが熱力学的状態方程式より従う(熱力学的状態方程式の右辺で、θ(T)/T=constとPV=Nθを代入すればよい)。つまり、「理想気体の内部エネルギーは体積に依存しない」と「θはTに比例する」は同値な命題といえる。
このことを踏まえると、私の目には、理想気体を登場させずにカルノーの定理まで議論して、絶対温度を定義した後に、PV/T=const.によって理想気体を定義する(*1)やり方の方がすっきりしているように感じられる。このようにすれば、カルノーの定理を議論したことで新たに「理想気体の内部エネルギーは体積に依存しない」が言えるようになる。私は、これが最初の加藤先生のツイートに対する答えだろうと思っている。

(*1)この定数は、結果的には、理想気体の種類に依存しない定数であるボルツマン定数k_Bと粒子数Nの積となる。だが、これは粒子の存在を仮定しない熱力学の範囲から外れる内容であり、検証には別途ミクロな実験が必要となる。

2022年2月24日木曜日

AIに自己紹介の続きを考えてもらおう

自己紹介の新ネタが何も浮かばないので、AIのべりすとに代わりに書いてもらった。
「私は大手商社に勤務しており、年収が1000万円あります」と言うと、「すごいですね」と思われるかもしれません。しかし、実態はそれほどすごいものではありません。なぜならば、私は大手商社に勤務していないからです。本当は東大の院生です。収入は少ししかありません。その代わりと言っては何ですが、牛乳でよければ冷蔵庫の中に1Lほど入っています。ちなみに、牛乳というのは美味しい飲み物の一種です。飲んだことがなければ、是非一度飲んでみてください。牛乳が飲み物の一種であることが分かるでしょう。(以下、AIが執筆) 
ではなぜ、そんな嘘をつくのか? それは、あることをする為です。つまり、私の「学歴詐称」というやつをね。 「学歴詐称」という言葉を聞いたことがあるでしょうか? この言葉は、インターネットで検索するとすぐにヒットします。調べてみると、この世には実に様々な詐欺が存在しています。たとえば、株の取引きによる儲け話を持ちかけてくる詐欺師もいれば、政治家に賄賂を渡して政治献金をしてもらおうとする輩も存在します。また、自分の子供を引き取って育ててくれる人を募集するという奇妙な広告を出している人までいる始末です。これらの詐欺は、ネット上に無数に存在するホームページにひっそりと書き込まれており、一見しただけでは気づかないようになっています。しかし、私のような人間にとっては非常に分かりやすい存在なのです。何故なら、彼らは「学歴」を餌にして人を騙そうとしてくるのですから。 
私が学歴を詐称するようになったきっかけについてお話ししましょう。 あれは大学4年生の夏でした。私はその当時付き合っていた彼女とドライブに出掛けました。2人とも運転免許を持っていなかったのですが、彼女の方が運転に慣れていたので、彼女が運転してくれていました。そして彼女は、「今度の休みに免許を取りに行くから一緒に行こう」と言い出したのです。私は最初断っていましたが、彼女の熱心な説得により、結局折れてしまいました。その後、夏休み中に免許を取得した私たちは、毎日のように車に乗っていろいろな場所に行きました。最初は、遊園地に行ったり、映画を見に行ったりとごく普通のデートをしていました。 
しかし、次第に私たちの関係にも変化が生じてきました。何となくお互いの距離感を掴み始めた頃だったと思います。ある日、彼女が急にこんなことを聞いてきたんです。「ねぇ、卒業したらどうするつもり?」って。その時、私は答えられませんでした。正直言って、何も考えていなかったからです。だからといって、別に何かやりたいことがあったわけでもありません。ただ漠然と、このまま就職してサラリーマンになるんだろうか……なんてことを考えていたくらいです。そうこうしているうちに、時間はどんどん過ぎていきました。焦った私は、彼女にこう言いました。「卒業までに決めればいいんじゃないかな」って。それに対して彼女は、こう返してきました。「じゃあ、それまで待ってくれるの?」って。当然のことながら、私は「待つ」と答えました。そこで話は終わったと思っていたのですが……。 
それから半年後、再び同じ質問をされました。「まだ考えてなかったの?」って。そこで初めて、自分がとんでもない過ちを犯してしまったことに気づきました。いや、正確には気づいていたけど目を逸らしていたと言った方が正しいかもしれません。とにかく私は慌てていました。何とかしなければと思いつつも、何をすればいいか分からず途方に暮れていました。 
そんな時、ふと思ったんです。そうだ、自分は大学院に行って研究者になろうと。幸いなことに、私は数学が得意でした。しかも、自分で言うのもおこがましい限りですが、かなり頭の良い部類に入る自信がありました。だから、大学院で研究を続ければきっと世の中に貢献できるような結果を出すことができるだろうと思っていました。そんな感じのことを彼女に説明しました。 すると彼女は、「すごいね! 頑張れ!」と言ってくれました。正直ホッとしました。だって、この先の人生設計について何も決まっていないなんて恥ずかしくて言えなかったからです。そして同時に思いました。やっぱり学歴は大事だなって。それで、次の日さっそく履歴書を買ってきて書き始めました。志望動機とか自己PRといった欄があるやつです。もちろん、東京大学の修士(理学)の学位を持っていることも記入しました。こうして、私の「学歴詐称」は始まりました。 
ここまで読んでくださっているあなたは聡明なお方だとお見受けしますので、もうお気づきでしょう。そう、私がこれからしようとしていることは「嘘」をついて人を騙してお金を儲けることです。これは立派な詐欺行為であり犯罪です。絶対にやってはいけないことです。しかし、今の社会はあまりにも不公平に出来ています。特に若い人たちの間では、学歴偏重の風潮が強く、東大生というだけで無条件で尊敬される傾向にあります。つまり、それだけ学歴が高い人は、そうでない人よりも多くのチャンスが与えられるということです。 
それならば、もっとはっきり言えばいいじゃないかと思われるかも知れません。確かにそうなのでしょう。しかし、それは世間一般では通用しない論理です。例えば、仮にあなたの会社で東大卒の人が部長になったとしましょう。しかし、その人の仕事ぶりはたいしたことがなく、部下に指示することも下手くそだったとしたら? おそらく、他の社員たちはあなたに「部長は東大卒なのに仕事ができない人ですね」と言うでしょう。これと同じことが現実には起こりうるのです。もし、そのような状況で「君たちの方が優秀なのになぜ昇進できないんだ」などと偉そうに言ったりしたらどうなるでしょうか。間違いなく、あなたは上司から叱責を受けることになるはずです。なぜならば、学歴というフィルターを通して見た場合、東大卒でない人間は優秀とは判断されないからです。 だからこそ、学歴を偽ることは必要なのです。学歴を詐称すれば、その分だけ他人からの尊敬を勝ち取ることができます。それに、学歴を詐称したところで誰も傷つきはしません。むしろ、学歴を詐称した方が好感度が上がることさえあるのです。 
しかし、私はここで一つ大きなミスを犯してしまいました。「学歴を詐称すること」そのものではなく、「学歴を詐称する理由」について考えが及んでいなかったことです。私はただ単に、お金を稼ぐために学歴を利用するつもりだったのです。だから、将来自分がどのような職に就くつもりなのかについても深く考える必要がありませんでした。まぁ、今さら後悔しても遅いのですが。 そんなこんなで、私は完全に騙されて学歴を詐称してしまいました。そして、今に至るわけです。正直言って、罪悪感がないと言えば嘘になります。しかし、もう後には引けません。このまま突き進むしかありません。私がこれから行おうとしている行為は、決して許されることではありません。 しかし、私はどうしてもお金が必要なんです。欲しいものがあるんです。そのためになら、どんな汚い手を使ってでも稼ぐつもりでいます。だから、どうか許して欲しいなんて言いません。ただ、こんなことを頼める立場ではないことは分かっておりますので、代わりにお願いしたいことがあります。 もしも、誰かが私の嘘を暴いた時、その時はどうか私の命を奪ってください。それが一番の贖罪でしょう。そして、私は地獄に落ちるべき人間なのです。 
以上を持ちまして、この手紙の締めとさせていただきます。最後まで読んで下さったあなたに感謝しています。本当にありがとうございました。 
※このページの内容はフィクションです。実在する人物・団体等とは一切関係がありません。

2022年2月9日水曜日

そこそこ止まり

これまで色々な文章を書いてきた。それなりに面白く読み応えのある文章を書いてきたものと自負しているし、実際、何人かの友達は私の文章を評価してくれた。しかしながら、自分ではこの面白さは「そこそこ止まり」に過ぎないものと感じている。もっと面白いものは他にいくらでもあるのだ。私の文章にファンがいると言ってもごく限られた人数であり、到底これで食べていくには及ばない。そこそこ面白いが、お金になるほど面白い文章ではないわけだ。
文章が私に金銭的利益をもたらしたことはない。おそらく今後もないのだろう。では私は一体何のために書いているのか。その理由の一つに、思いついてしまうというものがある。そこそこ止まりの才能しかないのに、そこそこ止まりの才能ならある。だから、ふとアイデアが浮かんでくるときがあるのだ。自分なりにこれを形にすればそこそこ面白いものになるだろうという直感が働くだけに、これをアイデアのまま自分の記憶の彼方に消してしまうのはもったいないと感じてしまう。具体的な文章としてこの世界に残しておきたいという欲望が生じる。そのとき、私は文章を書かずにはいられなくなる。
私の時間は有限だ。本当はロクに需要のないブログなんか書いてないで勉強や研究をするべきだ。自分にそこそこ止まりの才能しかないのに、自分にはそこそこの才能があるという自負が私に文章を書かせてしまう。
このそこそこの才能は果たして自分を幸せにしているのだろうか。なかった方が私は幸せだったのではないだろうか。鶏鳴狗盗というのは、くだらない才能でもたまには役に立つという意味の四字熟語だ。そうであってほしいと願っている。