2019年9月24日火曜日

続・私の院試体験(5)

・2018年4月
4年生になった。大学院入試の出願先を決めること、大学院入試を突破すること、卒業研究を完成させること。この3つが4年生の1年間における最重要事項である。
さて、4年生になると授業のコマ数は3年生の頃よりも減る。その分を研究や院試に向けた自習に充てるのが常道である。ところが、この頃になると、私の憂鬱はいよいよ抑えがたくなっていた。私はほとんど必要最低限レベルの研究しかしなかったが、かといって自習を進めたわけでもなかった。私の勉強時間はただただ減っていく一方だった。私は疲れ切っていた。私は睡眠障害を発症し、睡眠導入剤を処方されるようになった。
私の希死念慮は日を追うごとに深まっていった。生きることに楽しさが感じられず、食事などをして生命活動を維持することが面倒に感じられてならなかった。しかし、いくら生きるのが面倒だったとしても、食事を取らなければ空腹になって耐え難い苦痛に苛まれる。私は、楽しむためでもなく、生きるためでもなく、ただ空腹の苦しみを回避するために食事をしていた。私は空腹と苦しみを紐付けた生命のシステムを恨んだ(*1)。私の肉体は、私に生きさせたいがために、快楽というアメと苦痛というムチを準備していた。私は、「生」という、自分の肉体に雁字搦めにされている状態に腹が立って仕方がなかった(*2)。早く死んで、この世の一切の苦しみから解放されたいと私は願った。だが、私がいくら願ったところで、自分がひとりでに死ぬなんてことは起こらなかった。
私は死にたかった。死ぬときに感じるであろう苦しみのことを想像すると今すぐ自殺しようとは思えなかったが、将来的には自殺することも視野の中に入れていた。ゆえに私は、自分は「彼女」と結ばれてはならないと考えた。自分が死んで悲しむ人を、いたずらに増やすわけにはいかなかった。私は、自らの恋を実らせるための努力を放棄することにした。

・2018年5月~2018年7月中旬
5月の中頃、卒業研究における研究室配属の希望調査票が配布された。Aセメスターの卒業研究では、Sセメスターで所属した研究室を引き続き志望してもよいし、他の研究室に変えてもよい。また、Sセメスターで選択できる研究室は実験系のラボ中心であるが、卒業研究では選択肢に理論系の研究室が大幅に追加される。このため、実験系志望の学生は研究室を変えず、理論系志望の学生は研究室を変えるということが多い。私は理論の研究室へと移ることにした。
駒場には生命の理論を扱っている研究室がいくつかある。これらは有力な候補だったが、先生が一癖も二癖もある少々変わった人たちであった。実績も人気もある強い研究室ではあったのだが、私はこのノリについていけない感じがした。そこで、生命ではなく物性の理論を扱っているラボに行くことを選んだ。結局、「言っていることの意味が分かりやすい(*3)」「研究テーマ選びが柔軟」「先生から情熱を感じる」といった理由で、K先生(仮名)の研究室にすることにした。
他にA先生(仮名)の研究室も検討したが、A研では大学院でA研に進学する人以外は本を読んでその内容をまとめるだけで終わりにする予定だという話だった。それではつまらない、自分で計算もやってみたい。私はそう思ってA研ではなくK研に出した。そして、希望通りK研に決まった。(続く)

(*1)言い換えれば、私は、自分が研究したい対象を憎んでいた。
(*2)ref.「美味い飯を食うと満足感が得られるの、俺の設計者が俺をそうやすやすとは死なせないために作り上げた快楽装置だと思うとムカついてきた」
(*3)当然のことながら、言っていることの意味が分かりやすい先生もいれば、分かりにくい先生もいる。

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