引っ越しを終え、卒業も確定し、勉強もせずに実家でゆったりと過ごしている。ゆったりとした時間は実に良い。タスクに追われていると気が滅入る。
安部公房の「壁」を買った。ある友人に「君の書く文章は安部公房の小説のようだ」と言われたことがきっかけである。安部公房の小説のようだと言われてもピンとこない。何しろ私が書いているのはエッセイであって小説ではない。私のエッセイのような小説というのがどういうものか気になって買った。
しかし、まだ読めていない。実家でゆったりしていると言っても、その間に消費したいコンテンツは山ほどある。コンテンツを消費していると、あんまりゆったりといった感じにならない。本は大量にあり、NHKスペシャルは大量に録画してあって、遊びきったと言えないゲームも大量にある。とてもじゃないが消費しきれない。最近、どうもコンテンツを消費するときの集中力が低下しているように思われる。コンテンツに対して時間が足りないことによる焦りのせいなのか、加齢のせいなのか、キャパを超えた勉強量で蓄積された疲労のせいなのか、ネット中毒のせいなのか、世界への関心が低下しているせいなのか......。
私はより面白い文章を書きたい。それは自分で面白がりたいというのが主な目的である。どうも最近の文章は表現や展開がパターン化しているような感じがする。それはインプットが足りないからではないだろうか。コンテンツを消費し、吸収して、アウトプットに活かしたい。それは研究においても同様であって、学び足りない分野は大学生活で学んだ分野のほぼ全てに該当する。
もう何年も前から繰り返し言っていることだが、半年くらい休学して、タスクのことを考えず本を読みながらゆったり過ごせれば何といいことだろうか。しかし、それをするには私には思い切りが全く足りておらず、読みたい本は延々と積み置かれたままになっているのである。
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