2018年10月31日水曜日

クイズパズル迷路本

確か小学四年生の頃だったか、12月最後の学級活動の時間でクリスマス会をやることになった。学級会での話合いの結果、教室でフルーツバスケットやら何やら遊んで、最後にプレゼント交換(*1)をする、というプログラムが決まった。
そうと決まればプレゼントを用意しなければならない。考えた結果、私は手作りの問題集を作ることにした。そのタイトルが「クイズパズル迷路本」略してQPMB(Quiz Puzzle Maze Book)である。コピー用紙を切って鉛筆で問題を書き、セロハンテープで冊子状にした大作だ。「クイズパズル迷路本」の通り、以下の内容から構成されていた。
クイズ: 漢字の読み取り(*2)。国語辞典(*3)をめくって、「単語は知っているが読み方はわからない」もの(*4)を発見してはメモし、難易度順に並べたもの。
パズル: 紙をハサミで切って作ったジグソー風パズル。袋とじを開けるとピースが出てくる。
迷路: 迷路。「ゴール」と見せかけた「ゴフレ」があるというトラップが特徴(*5)。
「問題数25問以上!」がウリだった。ただし、ほとんどが漢字の読み取り問題である。私はこの冊子をプレゼント交換の場に並べ、そしてそれは誰かに持って帰られた。それと交換に、誰かの手作りの飛び出るメッセージカードを受け取った。ちなみに、この場に手作りの問題集を用意した者は他にもいる。私が特に親しくしていた友人Iである。

クイズパズル迷路本vol.1が好評だったか不評だったかは不明だが、私はこの「プレゼントに問題集をあげる」という発想をいたく気に入って、続巻を色々作って前述の友人Iなどに贈っていった。巻を重ねるごとに問題の数とバリエーションは増加していき、内容も洗練されていった。特に国語辞典を駆使して作り上げたクロスワードは力作だった。他の内容はあまり覚えていないが、思いつく限りのギミックを詰め込んで作るのはとにかく楽しかった。学校の時間割に沿って教科にちなんだクイズに答えていくスピンオフ「クイズパズル迷路本 学校編」も作った。
そうして6年生になった。6年生の頃の思い出の一つが、「無人島ライフ」である。「無人島ライフ」は、私の友人Uが著した、無人島に漂着した主人公のサバイバル生活をコメディタッチで描いた小説である。「夏だ!海だ!遭難だ!」の書き出しと、主人公のペットの鳥の名前「島無(しまなし)」は今でも覚えている。この小説が特異だったのはその連載形態だ。教室の後ろに「先生の本棚」として先生オススメの本が並べられたコーナーがあったのだが、突如としてそこに「無人島ライフ」第1巻が追加されたのである。Uが自分で書いた本を勝手に並べたのだった。こうして衝撃の文壇デビューを飾った「無人島ライフ」は、(少なくとも私からは)好評を博し、先生の本棚に勝手に続巻が追加されていく形でその後も連載が継続された。そして、これに影響された私も「クイズパズル迷路本」の新作を作って先生の本棚に並べた。確かIも自作の本を並べたので、先生の本棚は最終的に無法地帯になってしまった。
6年生の最後には、「クイズパズル迷路本 永久保存版」と題して、今までの集大成となる最終作を制作しIにあげた。私とIは4月から別々の中学に通うのであった。こうしてクイズパズル迷路本は思い出の1ページにしまわれた。

しかし、クイズパズル迷路本は決して過去のものではない。私は今でも時々クロスワードを作る(*6)が、そのルーツはクイズパズル迷路本にある。QPMBの精神は、確かに今も私の中に存在しているのだ。

(*1)プレゼント交換は、椅子取りゲームの要領で次のようにして行った。
1, 各々がプレゼントを持ち寄る。
2. 椅子を円形に並べ、各椅子に一つプレゼントを置く。
3. 音楽と共に椅子の周りを回る。
4. 先生が適当に音楽を止める。進行を停止し、そこにあるプレゼントを受け取る。
(*2)恐らく、TV番組「ネプリーグ」の影響だと思う。
(*3)この国語辞典は、私の思い出の一冊「福武国語辞典」だ。ベネッセがまだ福武書店だった頃に作っていた大人用の辞書である。3年生の頃父から譲り受けた。私はこれを気に入ってよく読んでいた。夏休みの課題の一つに自分の夏休み中の生活について書く「生活作文」があったが、ある年はそのテーマをこの辞典にしたほどだ。国語辞典での遊び方にも色々あるが、中でも一番気に入っていたものは「国語のワークで漢字の書き取り問題(例: ききゅう→気球)があった時、同音異義語を調べてなるべく変な言葉を書いて提出する(例: ききゅう→危急)」という遊びだ。
(*4)鋏(ハサミ)、膃肭臍(オットセイ)、阿弥陀籤(あみだくじ)など。
(*5)小学校の頃の私は、紙を曲げて解く迷路など、ひねくれた作風の迷路を大量に作っていた。
(*6)「年賀状録: 2016-2018」など。

2018年10月30日火曜日

ガムの噛みすぎのデメリット

ガムの噛みすぎには様々なデメリットがある。

(1)お腹がゆるくなる
キシリトールの取りすぎで下痢になる。私はこれを和らげるために乳酸菌製剤を飲んでいるが、それでも下るときは下る。
(2)味覚が引きずられる
食事の直前までガムを噛んでいると、ガムの味が口に残ってご飯の味と不協和音を奏でてしまう。
(3)カスが口の中に残る
口の中でガムの破片が残り、ガムを出しても微妙に味わいを主張し続けてくる。奥歯に挟まったりすると取るのが面倒だ。
(4)ガム代がかさむ
2週間くらいでなくなるガムの100gボトルは、約500円で売られていることが多い。地味に高い。
(5)舌が痺れる
ガムの強い味で舌を刺激し続けていると舌が痺れて痛くなり、味もよくわからなくなる。これをやりすぎると味覚障害になりそうで怖い。
(6)眠りに悪影響がある
黒いストロングタイプのガムにはカフェインが含まれていることが多い。私は、午後6時以降はマイルドなタイプのみを食べるようにしている。
(7)つい癖で口に入れてしまう
ティッシュや捨て紙を持っていないのについ癖でガムを口に入れてしまうことがある。この場合、味がなくなっても延々噛み続けることになる。
(8)顎が痛くなる
ガムを毎日大量にかんでいた頃は、顎の閉じ方を忘れてしまって、しまいには顎が痛くなってしまった。しばらく禁ガムしていたら治った。今では自制してそこまで行かないようにしている。
(9)禁断症状が出る
禁ガムしていると、口の中に何もないという事態をどう扱えば良いのかわからなくなってそわそわするようになる。そのうちガムのことばかり考え始め、ガムが欲しくて欲しくてたまらなくなる。ガムを食べずに作業することに慣れていないので、集中力が低下する。

ガムは美味しく適量に、を心がけていきたい所存だ。

2018年10月29日月曜日

秘匿の困難

一度、ある深夜番組に映ったことがあった。とはいえ、スタジオ出演ではなくVTRであり、有名人には会っていない。収録の日はわざわざ高田馬場まで行き、他のメンツと何時間かかけて撮影されて帰ってきた。体調がやや悪かったこともあってえらく疲れたものだった。
放送の日時は事前に知っていたが、関係者以外には伝えず一人で確認した。取材は数十秒に圧縮されていた。私は話すのが下手で滑舌が悪いし、ヒョロヒョロのイカ東なんて見ていて気持ちの良いものではないので、一回見てまあこんなものかと思ってテレビを消した。喋りが上手くテレビ映えする映像ならともかく(そうでないから大胆にカットされているのだが)、こういうものを知り合いや家族に見られるのはちょっと恥ずかしい。この時点では、深夜番組なので誰にも伝えなければ誰にも気付かれないだろうと思っていた。しかし、この短い映像は結果的に予想以上に周りに広まることとなった。
放送に即座に反応したのがTwitterのTLだ。高校の知人の複数名が私の出演に気付いたことを皮切りにTLがざわつきはじめ、誰かがテレビの録画を直撮りして(違法だが)アップロードしたことにより当該の映像が高校関係の人たちに広まっていった。更に、番組終了後には従姉妹から放送を偶然ちらりと見たと連絡が来た。これにより、放送翌日には家族全体に私の出演が知れ渡ってしまった。
放送の翌日は大学がある日だった。(私含め)大学の友人はバラエティ番組をあまり見ないようで、Twitterでもリアルでも反響は皆無だったが、午後の授業では、先生が「昨日テレビ出てた人〜?」と言いながら教室に入ってきた。これは本当に驚いた。完全にバレている。私は手を挙げ、放送の内容を少し話した。これにより、他の学生5人+TA2人が私の出演を知ることになった。
その後しばらくして菱田屋に行った。菱田屋はやや高いがそれ以上に美味い。東京で一番行った料理店はOaksか菱田屋のどちらかだろう。さて、そういうわけで顔を覚えられていたらしく、店の人に「この前テレビ出てたでしょ」と言われた。私は驚きながら肯定した。菱田屋はテレビからの取材も何度も受けているような有名店であることを思うと、何か変な感じがする。菱田屋の接客はぶっきらぼうという印象が強く、こうした会話は初めてだったためなおさら予想外の出来事だった。
学期が終わって帰省し、高校を訪ねてみると高校の先生方も知っていた。どうやら後輩経由で伝わったらしい。散髪屋のおっちゃんも知っていた。私の小学校時代の同級生の父親が放送を見ていたようで、その人から聞いたらしい。
とにかく、私の出演は予想外に広まっていて何度も何度も驚いた。深夜番組とはいえ、さすが全国ネットの人気番組だ。正直見くびっていた。悪い噂ではないので良いのだが、当人の与り知らぬところで次々と情報が伝わっていくのにはちょっと恐怖を覚える。天安門事件の情報を統制する中国当局もこういう恐怖を抱いているのだろうか。自身のテレビ出演をきっかけに、ふと海の向こうへと思いを馳せてしまった。

2018年10月28日日曜日

駒場近辺のスーパー

駒場の近くに住み始めて以来、様々なスーパーを試してきた。そのうちいくつかの店の特徴を紹介しよう。

・マルエツ
PBの牛乳が安くて美味い。ヨーグルトもコスパが良い。乳製品が良いこと以外は普通のスーパーという感じがする。

・OK
ディスカウントストアだが、一人暮らしの私にはいまいち使い方がわからない。

・まいばすけっと
イオン系列の小型スーパーである。通路を狭くして商品をギチギチに詰めているため、小型とはいえここでそれなりに品を揃えることができる。駒場に2店、池ノ上に2店、下北沢に1店、東北沢に2店あり、利便性が高い。コンビニに近い形態であるが、価格はスーパーの中でも安いほうだ。これはトップバリューの商品が置いてあるのが大きい。特売などのセールはなく、価格は毎日安定している(消費期限が近い商品の値引きはある)。
まいばすけっとで好きな品としては、箱を省いたティッシュペーパー、トイレットペーパー、もやし、豆苗、豚汁の具の水煮、たけのこの水煮、卵、グリーンアイの豆乳、鯖の水煮缶、料理酒、みりん、ミントタブレットなどがある。豚こまは確か100g158円とやや高めだが、「うまみ和豚」の名に恥じない旨味の強さであり価格以上の価値が感じられる。まいばすけっとはオオゼキの次に使う頻度が高い。

・foodium ダイエー
下北沢のRecipeの一階と地下一階に店を構える大きめのスーパーである。ダイエーはイオンの子会社であり、ここにもトップバリューの商品がある。まいばすけっとで売っていないようなトップバリュー製品はここで買えば事足りる。1階にある4個セットのプリンが私のお気に入りだ。

・肉のハナマサ
肉のハナマサは食肉の販売に力を入れるスーパーである。駒場の近くでは代々木公園駅の南に店舗がある。しかし、肉は主に業務用らしく量が多すぎて一人暮らしでは手が出しにくい。
一人暮らしの学生にとって有用なのは、充実したプライベートブランドの加工食品である。特に、冷蔵パックのハンバーグ、冷凍の餃子、レトルトのカレーなど肉が活きる食品はどれも美味く、一度試してみる価値がある。私のおすすめは冷凍の小籠包だ。
また、ここのナンは電子レンジで温めるとふわふわのもちもちになる隠れた名作である。チルドであり、多少日持ちする。このクオリティのナンが気軽に食べられるのはちょっと感動的でさえあった。しかし、「本格的なインドカレーと相性が良い」との触れ込みでナンを売っているにも関わらず、レトルトのインドカレーを売っていないあたりは何を考えているのかわからない。カレーなしでも美味しいほど良いナンではあるのだが......。

私がメインで使っているオオゼキについては、またいつか独立した記事で触れたい。オオゼキの良さは別格である。

2018年10月26日金曜日

笑いの分析(2)

(7)「ゆゆ式」(三上小又)
・論理3 知識4 表現5 暴力3 皮肉1 不条理1
・下ネタ3 差別1
ギャグ漫画というより日常系であり、またしてもこのフォーマットには載りきらないのだが、敢えて数字にすればこんな感じになるだろうか。読んで笑えるという観点に限っても、妙な心理戦、(特にゆずこへの)鋭い制裁、検索結果の豆知識から発展するふざけの入ったやりとりなど、味わい深い点が多い。「チネラスカ州」のように、言葉遊びから教養ネタに発展するものが特に好みである。

(8)「有害指定同級生」(くろは)
・論理5 知識4 表現5 暴力2 皮肉4 不条理1
・下ネタ5 差別1
ド下ネタの連発であるが、この作品は面白かった。それは下ネタを連発する都城さんのスタンスにある。彼女は社会の常識を、淫らであってはならないという常識をぶち破るために下ネタを言っているのだ。下品ではあるが、面白さの核心は下品さに包まれた高度な論理性にあると思う。「援助交際をしていると見せかけるためにお小遣いで高級な財布を買う」くだりはもはや痛快である。

(9)「鬱ごはん」(施川ユウキ)
・論理2 知識3 表現4 暴力1 皮肉5 不条理1
・下ネタ1 差別1
食に興味のない一人暮らしの男が鬱々とご飯を食べるという漫画である。テレビなどで見る食レポでは芸能人がご飯を美味しそうに食べているが、この漫画の主人公は徹底的に不味そうに食べる。第一話から、豚焼肉定食を見て「堕ちていく飛行機で出される機内食だ」と評する始末だ。その皮肉がこもった独特の表現が笑える。

(10)「うさかめ」(ルーツ・桐沢十三)
・論理2 知識2 表現5 暴力1 皮肉1 不条理2
・下ネタ2 差別1
テニス部4人の日常を描く、日常系とギャグの合いの子とでもいうべき作品だ。田中きな子の妙ちくりんな言い回しが最高である。派手さがなくてかなり評しにくいので、リンクを貼っておく。

(11)「よいこの君主論」(架神恭介・辰巳一世)
・論理5 知識5 表現4 暴力4 皮肉4 不条理3
・下ネタ1 差別1
マキャベリの「君主論」を、子供達にも読みやすいストーリー仕立ての学習書にした......という体を取り、ひろしくんがリーダーとしてクラスを制圧する覇道ストーリーを展開する無茶苦茶な内容の本である。「君主論」ベースの知識ネタ、異常な人間で構成された異常なクラス、解説パートのはなこちゃんの暴力的な思想など、語るべき点は枚挙にいとまがないが、こういう本を作ろうと思ったこと自体、論理5に値する偉業である。

(12)「完全教祖マニュアル」(架神恭介・辰巳一世)
・論理5 知識5 表現5 暴力1 皮肉5 不条理1
・下ネタ1 差別1
過去に興った宗教の歴史を解説しつつ、新興宗教の教祖として大成するにはどうすればよいかをマニュアルとしてまとめたという、これまた無茶苦茶な本である。文体には皮肉とふざけが散りばめられているが、それは著者たちの知識に裏打ちされた皮肉とふざけであり、一級品の笑いだけでなくちゃんとした知識も与えてくれる点に著者たちの力量を感じる。

(終わり)

2018年10月25日木曜日

笑いの分析(1)

昨日の記事を踏まえて、好きな漫画や書籍を12作品挙げて(記憶と感覚に従って)分析しようと思う。各要素の強さを1~5の5段階で表す。パロディはあっても気付かないので除外する。なお、点数の合計が高いほどお気に入りの作品とは限らない。

(1)「不思議なソメラちゃん」(ちょぼらうにょぽみ)
・論理5 知識2 表現2 暴力5 皮肉1 不条理5
・下ネタ4 差別1
最大の特徴は不条理だが、この作品は単に意味不明なだけでは終わらない。ストーリーを不条理へとドライブする主人公のいかれた論理と、何のためらいもなく先生に薬物を吸わせようとしたり友人をウナギのタレの底に沈めようとする暴力性が、不条理を強烈な面白さに昇華しているのである。

(2)「キルミーベイベー」(カヅホ)
・論理3 知識1 表現1 暴力5 皮肉1 不条理2
・下ネタ1 差別1
殴る、蹴る、絞める、関節技をかけるなど、直接的な暴力が目立つ暴力にストイックな漫画である。暴力が面白いのはもちろんだが、やすなの煽りは地味に高度な論理が使われている。自分のことを棚にあげてソーニャにマジレスするシーンなどはその真骨頂だろう。

(3)「山本アットホーム」(山本アットホーム)
・論理5 知識5 表現5 暴力5 皮肉4 不条理5
・下ネタ1 差別1
この漫画はすごい。好きな要素がひたすら詰め込まれている。一読して衝撃を覚えた。これだけ見れば一番好きな漫画といえそうなところだが、帰宅部活動記録の方が好きである。ほぼ全ページに渡って好きな要素てんこ盛りではあるのだが、それが笑いに結びつかないページもたまにある。ツッコミの弱さが原因だろうか。自分の感覚がよくわからない。

(4)「かぐや様は告らせたい」(赤坂アカ)
・論理3 知識4 表現2 暴力1 皮肉1 不条理1
・下ネタ4 差別1
初期は頭脳戦要素が強かったが、その要素は次第に薄れていった。とはいえ、作者の教養を感じさせるギャグは依然ちらほらとある。あと、全体的に構成が上手い。初期以外はギャグというよりラブコメなので、このテンプレに当てはめて評するのは難しい。別の観点を持ち出すことが必要だろう。

(5)「帰宅部活動記録」(くろは)
・論理4 知識5 表現4 暴力3 皮肉2 不条理1
・下ネタ2 差別1
国語の教科書、しりとり、瀉血手術図といった他に類を見ない題材を扱い、独創的なギャグ漫画に仕立て上げた傑作である。革新的な面白さを常に模索しながら生きる桜先輩の在り方には、"攻めの姿勢"で生きるとはどういうことなのかを教えてもらったような思いだ。エッジの効いたギャグの中に人生哲学が感じられる作品と言える。

(6)「われ大いに笑う、ゆえにわれ笑う」(土屋賢二)
・論理5 知識2 表現5 暴力1 皮肉1 不条理1
・下ネタ1 差別4
土屋賢二のエッセイに共通するのが、圧倒的な捻くれっぷりと他の追随を許さない最高の屁理屈である。さすがは論理に敏感な哲学者、と感嘆せざるを得ない。その中でも、特にネタの切れ味が鋭いのがこの一冊である。ただし、腹がよじれるほど面白かった一方で、現代の(ポリコレ的な)視点から見れば女性差別なのではと思われるエッセイもある。

(続く)

2018年10月24日水曜日

笑いの要素

以前、好きな笑いの要素について少し述べた。この記事では、その要素の具体的な中身について、やや詳しく書いてみようと思う。

1 論理
登場人物が奇妙な論理にしたがっているというもの。
1-1 屁理屈・パラドックス
登場人物(など)が大真面目に主張している(緻密な)理屈が、にわかには受け入れがたいものだというパターン。例えば、「森のくまさんの謎」など。なぜ受け入れがたいのか、わかりにくい方が面白い傾向にあると思う。
1-2 論理の飛躍
登場人物は当然成り立つと信じている理屈が、どうみても飛躍しているというパターン。「今日はパンツを履き忘れたから、あなたのパンツを見せてほしい」(「有害指定同級生」1話)など。1-1と似ているが、こちらは飛躍が明白な方が良い。
1-3 自明な主張
登場人物は大真面目に主張しているが、その内容は自明だというパターン。例えば、「ダイオタロスは、彼の父親の息子でありました。」(ガレッティ先生失言録)など。
1-4 自己矛盾
即座に矛盾し、意味不明な発言をしてしまうパターン。「アレクサンダー大王は、彼の死の21年前に毒殺された。」(ガレッティ先生失言録)など。
1-5 頭脳戦
将棋のような理詰めの頭脳戦を、なんでもないところで繰り広げるパターン。しりとりで頭脳戦を繰り広げた、アニメ「帰宅部活動記録」7話などがある。

2 知識
学校で習うような知識を笑いの題材とするもの。厚切りジェイソンの芸が代表的だろうか。

3 表現
変な比喩や言い回しを使うというもの。拙作だが、「つい洗剤を出しすぎてしまい困る」の怨念のくだりが該当している。

4 暴力
直接的に人を殴る、といえばやはり「キルミーベイベー」である。あまり見たことはないが、恐喝、殺人、薬物などもここに入れて良いかもしれない。

5 皮肉・風刺
登場人物や社会への皮肉をいうもの。漫画で例をあげるなら、「山本アットホーム」2話あたりか。

6 不条理
およそ脈絡のない展開が続くもの。「あいまいみー」など。シュールギャグと一緒にされることも多く、「不条理ギャグ」の世間で一般的な定義ははっきりしない。私は、「意味不明な演出(ミクロ的な意味不明さ)をシュール、意味不明な展開(マクロ的な意味不明さ)を不条理」としている(*1)。

逆にあまり好きでない傾向にあるのは、
A パロディ......元ネタがわからないことの方が多い。
B 下ネタ......下品なだけで面白さがよくわからないという経験が多い。
C 差別......現実の人間をむやみに傷つけるようなものは良くない気がする。
などである。

(*1)「支離滅裂」という形容に馴染むものが不条理、とも言い換えられる。なお、これらは個人的な表現であり、異論は多々あると思う。

2018年10月23日火曜日

粉寒天の使い方

ふと、プリンを作ろうと思い立った。確か牛乳寒天にはまっていたころの粉寒天が余っているだろう、それを使えばできるはずだ。私は粉寒天を食料棚から引っ張り出し、以下の手順を実行した。
1. 牛乳をビーカーに入れ、電子レンジでチンした。
2. そこに粉寒天を入れてかき混ぜた。
3. 卵2個を割り入れ、オリゴ糖のシロップを加え、再びかき混ぜた。
4. 常温でしばらく冷まし、冷蔵庫に入れた。

しばらくたって冷蔵庫を覗いてみたが、なんと固まっていない。すっかり冷えているにも関わらず、だ。寒天が足りなかったのだろうか。そこで、以下の手順を実行した。
5. ビーカー内の液をレンジで再び温めた。
6. 卵の白身が固まって浮かんできたので、白身だけ掬って食べた。
7. そこに粉寒天を加えてかき混ぜた。
8. 常温でしばらく冷まし、冷蔵庫に入れた。

しばらくたって冷蔵庫を覗いてみたが、なんと固まっていない。すっかり冷えているにも関わらず、だ。一体どういうことだろうか。粉寒天の袋の裏面を確認してみると、粉寒天を加えた後はしばらく沸騰させよ、とある。これか、これが原因か。そういえば、牛乳寒天を作るときの手順はこうだった。
1'. お湯に粉寒天を加え、しばらく煮る。
2'. それを温めた牛乳で割って、オリゴ糖のシロップを加える。
3'. 常温でしばらく冷まし、冷蔵庫に入れる。

卵と牛乳が入った8.の液を沸騰させると、茶碗蒸しの出来損ないのようになることが経験上判明している。そこで、私は次の手順を実行した。
9. 少量のお湯に粉寒天を加え、かき混ぜながらしばらく煮た。
10. ビーカー内の液をレンジで再び温めた。
11. ビーカーの中に寒天液を加えてかき混ぜた。
12. 常温でしばらく冷まし、冷蔵庫に入れた。

するとどうだろう。見事に固まっていた。しかし、固まりすぎている。食べてみると、ザラザラボロボロしていて、食感は最悪だ。おそらく、寒天の入れすぎが原因だ。よりによって、たまたま買っていた一個25円の高級卵(普段は一個19円)を2個使ってしまった。くそ、なんということだ。この失敗を胸に刻み、同じ過ちを二度起こさないために、こうして粉寒天の使い方についての文章を記した次第である。

2018年10月22日月曜日

私の院試体験(14)

・8月22日(2)
面接は13時からの開始だ。13時ごろにもなると、待機場所にはざっと70人くらいの学生が集まっていた。その中でスーツを着ていたのは少数派だった。おそらく、スーツを着ているのは外部生だろう。楽しげに会話している人たちは皆ラフな格好をしているようだった。
受験生は、志望する研究室の分野に応じて、有機系、無機系、物理系、生命系の4つに分かれるよう指示された。受験生をこの4系統に分けた上で、4部屋同時進行で面接をおこなっていくようだ。志望分野が跨っている受験生は複数回面接を受けるらしい。私は物理系だ。
30分ほどすると私の番になった。前にたくさん受験生がいたはずだが、開始30分で私の番になるとは思ったより早い。入室すると、面接官が6人ほど座っていた。この面接では、以下のようなやり取りがあった。

Q1 「現在東京大学の学生とのことですが、研究室見学には行かれましたか?」
A1 「はい。春休みに伺いました。」

Q2 「分かりました。ちなみに、どうしてここを受験しようと思ったのですか?」
A2 「昔から生命を物理学の視点で理解したいという思いがあり......(後略)」
志望動機を準備してきた通りに答えた。面接官の中に第一志望の研究室のボスはおらず、心なしか、面接官たちが「話が長い、興味ない」と訴えているように見えた。ちなみに程度の質問だったのでそこをきちんと汲むべきだった。

Q3-1 「昨日の試験は難しかったですか?」
A3-1 「ええ、まあ......。バケガクはあまり勉強してこなかったので、化学の問題はよくわからなくて......。」
今振り返ってみれば、化学専攻受験者がしていい発言とは思えない。
Q3-2「そうですか。でも、この点数なら多分合格だと思います。まだ確定ではありませんが。他にどこか受けていますか?」
A3-2「え。えっと、北大.....とか受けています。」
突然の合格通知に衝撃を受けたが、第一志望の研究室に合格したと受け取ってよいものなのか分からない。数学専攻とまで言う勇気はなかった。すると、「もし辞退されるのなら、できるだけ早く申し出てください。繰り上げ合格などありますので。それでは、これで口頭試問は終わりです」と告げられ、あっという間に面接が終わってしまった。5分もかかっていないだろう。道理で順番が来るのが早かったわけだ。
面接が終わった後は、待機場所に戻るよう指示されていた。全員の面接が終わるまで帰ってはいけないそうだ。それでも、私の面接の1時間後には解散となった。乙宅に戻り、暑苦しいスーツから着替え、荷物を整えて実家に帰った。

・8月下旬から9月上旬
実家に帰ってからは、持って帰ったSwitchをフル活用してゼルダを堪能した(*1)。勉強道具も持って帰ってはいたものの、ゼルダがあまりにも面白くて手を付けることができなかった。院試から解放された私に対して、祖父は松茸懐石を、伯父はステーキをおごってくれた。祖母は変わらず料理を作ってくれたが、院試が終わったので、私も祖母を手伝い、一緒に唐揚げを作るなどした。
そうこうしているうちに、まずは京大の合格発表の日を迎えた。確認してみると、第一志望の研究室に合格しているようだった。まずは一安心である。その数日後、北大の合格発表の日が来て、北大にも合格していることが分かった。さて、今まで極力本気で考えないよう過ごしてきたが、どちらに進学しようか......。
少し悩んだが、今度は思考停止に頼る必要はないと感じた。東大ではなく京大を受けた理由である実家への近さに関しては、北大は東大以上に条件が悪い。また、立地と言えば、北大は研究室の立地のために人間関係が希薄になりすぎそうだ。LINEを交換した助教の先生が異動されるかもしれないと言う話もあった。私は京大への進学を決め、北大に入学辞退届を提出した。

以上が私の院試の顛末である。(私の院試体験 終わり)

(*1)ただし、その前に分子生物学のレポートを書いた。分子生物学の試験の成績が悪かったため、救済レポートを課されていたのである。

リンク:
「私の院試体験」目次

2018年10月21日日曜日

私の院試体験(13)

・8月21日(3)
私は試験場を一時退室した。用を足し、外(*1)の空気を吸い、試験場に戻った。私はすっかり冷静を取り戻した。
一息ついた上で、改めて問題を考えてみる。すると、今まで手も足も出なかったのが嘘のように、解法が手に取るように浮かんできてすらすらと解けるようになった......そんな展開を夢想していたが、それが現実になることはなかった。やっぱり全然解けなかった上、あまりにも解けないのでまた気分が悪くなってしまった。試験はそのまま終わった。
私はすっかり気落ちして、自転車をとぼとぼ漕いで乙宅へ帰った。途中、カレー店の「ビイヤント」に寄ってベジタブルカレーを食べた。ベジタブルカレーを選んだのは好物のゴーヤーが入っていたからだ。しかし、ゴーヤーを食べてもなお私は気落ちし続けていた。
乙は今日もバイトのようで、まだ帰宅していなかった(*2)。疲れ果てていたため、乙が帰宅するまでスロウスタートの続きを読んで待つことにした。しばらくするとスロウスタートを読破してしまったので、以後は乙のfire TV stickを(勝手に)借りてキルミーベイベーを延々見続けていた。
乙は21時ごろ帰ってきた。乙と適当に会話して、日付が変わる前に就床した。

・8月22日(1)
この日は8時ごろに起きた。しばらくTwitterなどをした後、パンをもしゃもしゃ食べ、歯を磨き、ヒゲを剃った。ヒゲを剃っていたら顎から出血してしまった。痛かった。血が止まってから顔を洗い、スーツに着替えた。今日は乙は用事で午後は部屋にいないらしい。私が面接を終える頃にはすでに部屋を出発しているだろうとのことだったので、乙に別れと感謝を告げ、昼頃乙宅を発った。
京大に着くと、筆頭試問の合格者の掲示がしてあった。受験票と照らし合わせてみて、自分の番号があることが確認できた。まずは第一関門クリアである。ここに番号がなければ、面接を受ける権利さえ与えられない。とはいえ、筆頭試問の不合格者は全体の1割ほどのようだ。ここでは相当出来の悪い学生だけを弾いているということだろうか。筆頭試問に合格したとはいえ油断はできない。特に私の場合、合格は合格でも第一志望の研究室に合格しなければ実質不合格なのである。「第一志望の研究室には合格させてあげられないけれども、第二志望のところなら面接の結果次第で考えてやらないこともない」という意味の「筆頭試問合格」かもしれないのだ。私は午後の面接に向けて身構えつつ、指定された集合場所へと向かった。(続く)

(*1)ここでいう外とは、廊下である。排泄しながら深呼吸していたわけではない。
(*2)部屋の鍵はポストに入れてもらった。ポストの鍵の外し方は予め教えてもらっていた。

リンク:
「私の院試体験」目次

2018年10月20日土曜日

私の院試体験(12)

・8月21日(2)
試験はTOEFL ITPからのスタートだ。TOEFL対策はいい加減だったが、6月のときと同程度に手応えが感じられ、まずは上々な滑り出しとなった。2ヶ月前に取った杵柄である。
昼食(*1)の後は基礎科目(*2)を受けた。 基礎物理学は過去にあまり出題されてこなかった電磁気学だったが、これまで電磁気学を3回も履修している(*3)私にとっては楽勝だった。基礎物理化学も得意分野が出てほとんど解けた。基礎無機化学は半分解けた。基礎分析化学は相変わらず勘頼みだったが、それも含めて概ね計画通りに終わった。
最後に待ち受けるのは専門科目である。物理と物理化学のうち、まずは物理から取り掛かることにした。解き進めてみて、私は違和感を覚えた。おかしい、いつもと感じが違う。過去問のときのようにサクサク解けない。それでも丁寧に考えれば解き進められたのだが、7割ほど解いたところで詰まってしまった。ゆっくり問題文を眺めてみると、普段より誘導が少ないことに気が付いた。例えば、分配関数を計算するための(問題設定に応じた)具体的な表式は毎年与えられていたのに、今年はない。とりあえず誘導に従ってハミルトニアンを対角化したは良いのだが、ここからどうすれば良いかうろ覚えだ。困った、私は化学が苦手なので物理で高得点を取るしかないのだが......。おぼろげな記憶に従って解答を作成したが、これでは9割超とはいかないだろう。物理化学で挽回せねば、という思いを抱きつつ物理化学の冊子を開いた。
物理化学の第一問は化学熱力学だった。化学熱力学の前半は典型的な問題なので順当に解けたが、後半が解けそうで解けない。無駄に粘って時間を浪費した後、諦めてページをめくり量子化学の問題に着手した。分子分光学は当然解けないので、かろうじて解けそうな問題に手をつけるが、積分計算がむやみに複雑になって答えにたどり着けない。これで全ての問題に目を通したことになるが、これでは得点率2割5分程度だ。挽回せねばと息巻いていた結果が2割5分はまずい。過去問では半分弱くらい解けていたから、本当なら6割ほど取りたいところだ。しかし、朝から頭をフル回転させてきたため、脳がショート寸前だ。どうすれば良いのか、どの問題を考えるのが戦略上一番有効なのか、もはや判断がつかない。頭が固まり、焦りが募る。盗み聞きした京大生達の会話を思い出す。彼らの話し振りからすれば、同じ研究室を第一志望にしている人が自分の他にも少なくとも1人、恐らくは2人以上いるようだった。合格者は例年2人ほどらしいから、戦って勝つ必要があるだろう。そう、私は化学が専門の学生と戦わなければならないのだ。なんでそんな無謀なことをやろうと思ってしまったのか。8月の院試勉強中に何度も湧いた弱気さだ。私は過去の自分に向けて呪詛の言葉を吐いた。己を恨んだところで、何かが解決するわけでもなければ心がスッキリするわけでもない。スッキリどころか、むしろ気分が悪くなってきた。吐いたばかりなのに吐き気がする。プレッシャーのせいか、考えすぎたせいか、睡眠が足りなかったのか、部屋の空気が悪いのか、誰かに呪われたのか......。
私は、問題文を前にして手を動かすこともできず固まっていた。思考は頭の中でいたずらに暴れるばかりで、解答として結実することはなかった。
刹那、私の体に一筋の電流が走った。その信号を受け取った私は、自分が今しなければならないことを即座に理解した。思考に意識を割くあまり忘れてしまっていたものの、それはいつかは対処しなければならない事項だった。私は手を上げて試験監督を呼んだ。
私の膀胱は限界だった。(続く)

(*1)昼食は京大の北部食堂で摂った。京大の学食は「北高南低」といわれ、北部食堂が最も美味しいというのが専らの評判である。その場で中華鍋を振るって作ってくれるメニューがあり、食べてみると確かに美味しかった。
(*2)問題の中身はここで閲覧できる。
(*3)1年次に前期教養の電磁気学を受けて不可になり、2年次に前期教養の電磁気学を他クラス聴講(いわゆる再履修)し、3年次に後期教養の電磁気学をとった。

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2018年10月19日金曜日

休載

本日(10月19日)分の「私の院試体験」は、執筆が間に合わなかったため休載とします。もし万一、楽しみにしてくださった方がいらっしゃるようであれば、お詫び申し上げます。

2018年10月18日木曜日

私の院試体験(11)

・8月21日(1)
目が覚めた。アラームは鳴っていない。時計を確認すると、まだ5時過ぎだった。二度寝しても大丈夫だ。私は再び目を閉じた。
ところが、もう一度眠ることはできなかった。お腹が空いているのかと思い、昨日コンビニで買っておいたパンをもしゃもしゃ食べ、歯を磨いた上で横になったが、やはり眠ることができない。仕方がないので、しばらくきららファンタジアやTwitterをした。
1時間ほど経った。私はこの乙宅でもう一度寝ることを諦め、早めに出発しておくことに決めた。ここでは乙がまだ寝ていて電気を付けることができないが、京大に着けばどこか勉強できる場所があるはずだ。準備を整え、甲の自転車に乗って試験会場へと出発した。
試験会場がある建物に着いたのは7時半頃だった。早速試験が行われる大教室に入ろうとしたが、扉は鍵がかかっていた。扉の手前には長椅子が並んでいた。合計20人分ほどはあるだろうか。どうやらここが待機場所らしい。試験は9時からであり、あまりにも早く到着したため、まだ周りには誰もいなかった。私は椅子に座って、物性化学の教科書を開いた。ところが、緊張のせいか内容が頭に入ってこない。私は教科書を閉じ、鞄にしまった。Take it easy, 大丈夫、大丈夫。そう自分に言い聞かせながらも、試験会場の前で開始時刻を待つ私の胸中は不安3割、眠気7割であった。周りに誰もいないのをいいことに、私は靴を脱ぎ、鞄を枕がわりに使いつつ、長椅子に横になって目を閉じた。私は自分の意識の管理を放棄した。
しばらくして、辺りで声がするのに気が付いた。私は慌てて起き上がった。見ると、合計10人に満たないくらいだっただろうか、何人か受験生らしき人が椅子に座っている(*1)。しまった、起きるときに慌てて変な声を出してしまった。確実に聞こえていただろう。これはかなり恥ずかしい。穴があったら入りたかったが、穴がないので入らない。ない穴は振れないのだ。代わりにトイレで用を足した。
時間を確認すると、8時10分ほどだった。私はきちんと座り直し、教科書を再び取り出して真面目に読み始めた。それからはどんどん人が増えていき、待機場所も随分賑やかになった。全員アウェー(*2)だった一昨日と違って、今回はここをホームグラウンドとしている受験生が多数派である。あのときは受験生同士の会話がほとんどなく(*3)待合室には独特の緊張感があったが、今日はみんな普段の友達と普段のように喋って(*4)リラックスしているように見えた。私は、これがアウェーの戦いであることを改めて意識した。
しばらくすると試験室のドアが開いた。時は来た。いよいよ試験開始である。(続く)

(*1)私と同じ椅子には誰も座っていなかった。
(*2)試験官さえアウェーなのだからすごい。
(*3)ゼロではなかった。私は、試験開始を待つ間、後ろに座っていた人に「レポート何書きました?」と聞いてみた。すると、「関数解析について書きました」と返ってきた。へえー。聞いてみて、別に興味がなかったことがわかった。私の後ろにいた人には大変申し訳ない。この場を借りてお詫び申し上げたい。
(*4)少し聞き耳を立ててみた。「第一志望の研究室落ちたら桂キャンパスなんやけど......桂はいややなあ」という発言が印象に残った。

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2018年10月17日水曜日

私の院試体験(10)

・8月20日
この日は午前3時ごろに一度目が覚めた。かなり疲れを覚える。しばらく再び寝付けずにいたが、1時間ほどするとまた眠ることができた。8時半に起床したが、疲労のせいか睡眠がかなり浅くなっているのが感じられた。
明日は京大の院試であり、今日のミッションは京都に到着することだ。ベッドへの執着心を堪え、部屋を片付けて荷物をまとめた。試験の後はしばらく帰省する予定のため、冷蔵庫は空にする必要がある。開けてみると、中はミョウガ3本だけだった。食品を捨てることは信条に反すると思い、3本とも生で丸かじりした。ミョウガの辛味が頭痛を誘発し、舌は痺れ、非常につらい体験だった。ミョウガは丸かじりするものではないという教訓が胸に刻まれた。第一、冷凍すれば良かったのだ。なお、ミョウガだけでは腹が満たされなかったのでアイスも食べた。
今日と明日は京都の友人宅に泊まる予定だ。私が京都で宿泊するとき、高校同期で京大に進学した2人(*1)を頼ることが多い。ここでは、彼らを甲・乙と書こう。15時半に東京駅に到着し、新幹線(*2)と京阪電車で移動した。TOEFL対策は6月以来何もしていなかったため、申し訳程度のTOEFL対策として、移動中はTOEFLのリスニングCDを聞き流していた。二周目だろうとこのリスニングは相変わらず難しくて、何を言っているのかよくわからない。尤も新幹線は進捗を生むための場ではないので、それも仕方のないことだ。19時ごろ、京大付近にある神宮丸太町駅に到着し、待ち合わせていた甲と合流した。この日、乙はバイトで遅くまで帰らないそうだ。まずは甲の部屋に荷物を置き、甲に自転車を借りた(*3)。そして、一緒に元田中の飲食店「ケニア」で食事をとった後、甲の部屋に帰った。
甲の部屋は相変わらず非常に汚かった。これは、彼の性格と、この部屋が京大生達の溜まり場であることが原因だ。このままこの部屋に泊まるという手もあったのだが、彼は翌日早朝に石川県へと出発する予定で(*4)、これからその準備をするつもりだという。その話を聞き、この部屋は夜通し明かりがついていそうな予感がしたため、乙の帰りを待って乙の部屋で泊まることにした。甲は、9月に部屋を退去することになったと言っていた。どうやら、あまりにも無軌道な生活を咎められたことが一因となって、秋から自宅通学になるらしい(*5)。私がこの部屋を訪れるのもこれで最後だろう。びっくりゴミ箱(*6)のように驚きが詰まっていて、訪れる度に表情を変える四季折々の汚さを見せてくれたこの思い出深い場所を惜しみつつ、私は部屋を後にした。
22時頃、乙の部屋に入った。乙は綺麗好きであり、きちんと整えられた清潔な部屋に住んでいる。帰宅したばかりの乙にも協力してもらって、早めに就寝の準備を整え、23時半には就床した。私は寝袋を敷いて床で寝ることになった。昨日と違って、明日の試験は午前9時からだ。7時前後にアラームを5つほど仕掛けた。果たして起きることができるだろうか。(続く)

(*1)京都大学に進学したのは3人だが、同性なのは2人である。
(*2)及びJR奈良線。
(*3)彼は京都に自転車を2台置いている。
(*4)合宿と言っていた。他のメンバーはバスで向かう中、彼だけは自転車で石川県まで行くらしい。
(*5)実際、今は姫路から自宅から通学しているようだ。
(*6)びっくり箱の中でも、開くとゴミが飛び出してくるタイプのびっくり箱のことをいう。

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2018年10月16日火曜日

私の院試体験(9)

・8月19日(2)
私に位相空間の知識がまるでないことが明らかになったためか、質問は別の話題に移った。
Q6「位相力学系の話でしたが、関連する分野に微分方程式が挙げられます。******はご存知ですか。」
またしても答えることができない。確かリプシッツ連続の定義を聞かれたような気がするが......。

Q7-1「それでは.......、微分方程式u'=2u+1を解くことはできますか。」
惨状を見かねてサービス問題を出してくれたらしい。これは解けそうだ。
A7-1「そうですね、(白板で計算を始める)u=e^2xとすると1が余るので......」
なんと、解の形を仮定して真の解に徐々に近づけようとしている。
Q7-2「u'=2uなら、解くことができますか。」
A7-2「あ、それならu=C e^2xですね。そうか、2u+1=vとおきかえると......(白板で計算する)、微分方程式が1/2v'=vになるので(板書: v=C exp(2u)=C exp(v-1) )、えーっと......。」
発言こそは間違っていないが、板書はめちゃくちゃだ。
Q7-3「変数分離形は分かりますか。それは変数分離形ですね。」
決定的なヒントだ。何が求められているのか、ようやく理解できた。
A7-3「ああ!最初の微分方程式で、2u+1を左辺の分母に持ってきて積分ですね。こうなる(板書: 1/2 log|2u+1|=x+C ∴ 2u+1=Ce^2x)ので、u=C e^2x-1/2です。すみません。」
やっと解けた。自然と謝罪してしまう。

Q8-1「レポートから離れて、基礎的な数学の知識を伺います。テイラー展開の式はかけますか。」
A8-1「はい。(書く)」
無様な受け答えが続いたためか、質問が非常に易しくなっている。流石にこれは書けたが、テイラーの定理の剰余項を書けだとか、C^∞でも剰余項が発散する例を出せとか言われるとまずい。
Q8-2「e^xをx=0のまわりでテイラー展開してください」
A8-2「それは、こうですね。(書く)」
そんなことは言われなかった。これに答え終わると、「いいでしょう。以上で試問は終わりです。」と言われた。どうやらいいらしい。あとは志望する指導教員を確認されて解散となった(*1)。

疲れた。私の受け答えはかなりひどかったが、試験官をされていた先生方の様子には、なんとかして私の中にプラスの点を与えられる要素を見出そうという優しさと努力が感じられた。これでいいのかは別として、きっと受かっているだろう。
それにしても、試問で会話能力を使い切ってしまった。もうしばらく会話できそうにない。帰宅して着慣れた服に着替え、しばし休憩しつつ思案した後、下北沢の食券制ラーメン店「こてつ」に向かった。ところが、下北沢は人で溢れかえっていて、まともに歩くこともできない事態であった。どうやらよさこいをやっているらしい。喧騒と混雑が疲労を増幅させる。どうにかこうにか食事を済ませ再び帰宅する頃にはもうへとへとになっていた。明日は京都に出発しなければならない。荷造りもほどほどに、22時半ごろ就床した。 (続く)

(*1)そういえば、例のレポート5章の「弱点」は全く触れられなかった。どうやら、最初の10分要約で扱った内容が口頭試問で何を聞かれるかに関わる全てらしい。質問することも即興で考えているのだろう。まあ、そんなに真剣にレポートを読んでいる時間はないか。

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2018年10月15日月曜日

私の院試体験(8)

・8月19日(1)
いよいよ北大の試験の当日だ。この日は9時半頃に起床した。本来ならばもっと早く寝るつもりだったのだが、就床したのは結局午前1時過ぎだった。とはいえ試験の集合時刻は15時で、十分余裕がある。しばらくのんびり過ごした後、昼食や髭剃りなどの準備を済ませ、スーツに着替えて出発した。提出したレポートの5章の件はずっと心の片隅にあったのだが、今更どうにもならないので諦めた。
15分ほど余裕を持って集合場所に到着した。他の受験生は、私より後に着いた人も含めて4人くらいで、全員スーツを着ていた。部屋に貼ってあった紙を見る限り、他に午前や昼頃に集合のグループもあったようだ。高々5人くらいの受験生のために教員をわざわざ札幌から東京に派遣した、というわけでは流石にないらしい。10分要約の内容を頭の中でシミュレートしながら呼ばれるのを待った。
30分ほど待つと名前が呼ばれた。試問室に入り、受験番号と名前を告げ、6人ほどの試験官を前にして10分要約の発表を開始した。ホワイトボードの前で内容を説明するのは初めてだったが、特に大きな失敗もなく終えることができた。次は板書を元に試験官とやりとりをするフェイズだ。ここでは、以下のようなやりとりがあった。

Q1「カオスの定義について、"|f^n(x)-f^n(y)|>β"とありますが、これは一般の位相空間での話ですよね。この絶対値はどういう意味ですか。」
A1「距離空間(X,d)を考えていて、位相は自然に定まる距離位相を入れていました。ですので、ここはd(f^n(x), f^n(y)) > βと書くべきでした。修正します(板書を直す)。」
定義の部分は教科書をほとんど丸写ししていたため気付かなかった。

Q2-1「距離位相の話が出ましたが、その定義を教えてください。」
A2-1「えーっと、位相ですか。Xの位相オーには、空集合とXが含まれていて、それで、有限のintersectionについて閉じていて.......」
Q2-2「それは一般の位相ですね。距離位相の定義を述べることはできますか。」
A2-2「あ、えと、開球をB_r(板書する: B_r(x)={y∈X | d(x,y)<r } )として、それらと空集合とXはまずオーに入っていて、それでそれらの有限のinteractionと、非可算無限のunionも入っている(*1)......ですかね。」

Q3-1「位相空間について伺います。コンパクト性をご存知ですか。」
A3-1「聞いたことは......。」
Q3-2「では、定義を述べてください。」
A3-2「え、えーっと......。まず、ある集合が、ある集合族のunionに含まれることを被覆と言って、それで、その集合の任意の開被覆に対して、有限の開被覆が存在して、有限開被覆で覆うことができる.......あれ?」
開被覆を開被覆で覆う?一体何を言っているのか。一気にテンパってきた。これはまずい。これはもともとうろ覚えであり、答えようとする方が無茶だ。この質問、平静だろうと答えられない。
A3-2「いや、えっと、その、すみません、わかりません」

Q4, Q5「では、******はご存知ですか。」
2問ほど位相空間について尋ねられたはずだが、何を聞かれたのかは覚えていない。答えられなかったのは確かだ。位相空間もロクに知らないのに、あれほど楽観的に思っていたことが間違いだった。もう頭も真っ白だ。試験当日までに感じておくべきだった危機感が、今ここで一気にのしかかってきた。焦燥と緊張が体を駆け巡っていた。(続く)

(*1)この言い方では、例えば「開球と開球のintersection」同士のunionは開集合系に入っていないことになり、おかしい。ちゃんと開基の概念を使って説明する必要がある。

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2018年10月14日日曜日

私の院試体験(7)

・8月17日(2)
私はこのとき、明後日使う自分の受験票がどこにあるのかわかっていなかった。受験票は出願の際に書類に記入した住所に郵送される。私は、帰省することを見越して北大のときも京大のときも実家の住所を書いたはずだった。ところが、実家滞在中に届いたのは京大の受験票だけだった。おかしい。間違えて東京の方の住所を書いてしまったか。受験票もなければ、届くはずの資料がないため試験会場も試験の時間もわからない。受験失敗の危機だった。
早く東京に戻って確かめたいところだったが、勉強の進捗を優先して実家に残ることにした。8月17日は平日だから、もし東京に戻って受験票が届いていなくても北大に電話すればなんとかなるだろう。そう自分に言い聞かせながらも、新幹線の中で東京到着を待つ私の胸中は不安3割、眠気7割であった。私はいつの間にか寝てしまった。そうして、新幹線は東京に到着した。
ポストを開けると、果たして北大からの封筒が入っていた。中身は受験票だ。良かった。他にも紙が入っていた。読むと、試験会場や試験開始時間の詳細が書いてあった。15時集合とのことなので、寝坊のリスクは低そうだ。更に、「口頭試問開始後は、まずホワイトボードを使ってレポートの要約を説明してください。発表時間は10分です」との説明があった。今まで何も知らなかったので何も準備していない。明日はTOEFLの練習をするつもりだったが、予定を変更して要約の発表のため作戦を練ることにした。
ともかく、これで受験票が手に入った。安心した私は、スーパーに行って、ゴーヤーを買い、ご飯を食べた(https://twitter.com/tactfully28/status/1030396329887813632)。

・8月18日
北大院試の前日だ。私は鼻づまりに悩まされていたため、この日の午前は耳鼻科に行った。その耳鼻科に行くのは初めてだった。土曜日ということもあってか、中はかなり混雑していた。北大に出したレポートを読み返したり、スロウスタートを読んだりしてしばらく待った。スロウスタートの主人公は浪人している。院試の前にスロウスタートを読むことには、気持ちを落ち着ける意味で大きな意味がある。診察室に入ると、端正な顔立ちをした若い男性の先生がいた。今までテレビなど以外では見たことがないほど格好良い人だった。もしかしてそのせいで待ち時間が長かったのか。
帰宅してからは10分要約の構想をまとめた。10分間で話せそうなことを整理して、「まずロジスティック写像がパラメータに依存してカオスに振る舞う旨を述べ、次に定義5と命題2を述べて、最後に命題2の証明の概要として定理1、命題1、定理2を紹介する」(*1)という流れに決めた。10分間で板書するため、板書は全て英語で書くことにした。要約の発表中はできるだけ何も見ずに発表することが好ましいとのことだったため、板書する文章をノートにまとめて、これを暗記した。
一通りの準備が終わった。もう日も沈んでしまった。私は、密かに購入していたゲーム機、Nintendo Switchの箱を取り出した。私がSwitchを購入したのは7月の頃だ。丁度そのとき通販でセールになっていたのだ。しかし、7月は前述の通り慌ただしく、Switchの箱は開封されることなく放置されていた。ところが、Switchの購入目的の一つは院試勉強のご褒美だ。京都大学を受けた後はしばらく実家に居続けるつもりであり、私は実家でゲームを遊びたかった。流石に箱のままでは持って帰れないだろう。私はこのタイミングでSwitchを開封する必要があった。
箱を開け、本体を袋から取り出した。Switchは据え置き型のゲーム機とされているが、携帯機としても使用できるよう本体には画面が備わっている。同時に購入しておいた保護シートを開封し、付属の画面拭きで埃を丁寧に取り除いた上で、画面に慎重に保護シートを貼り付けた。気泡はほとんどない。私にしては上出来だ。
Switch本体にコントローラーを装着した。前述の通り、Switchは携帯機としても使用できるゲーム機だ。つまり、テレビや電源と線で結んでいなくても遊ぶことができる。私の手には、起動さえすればいつでも遊べてしまう新型ゲーム機が握られていた。私はSwitchを起動した。(続く)

(*1)付番に関しては、「ロジスティック写像(1)」「(2)」を参照されたい。

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2018年10月13日土曜日

私の院試体験(6)

・8月中旬
院試勉強を進めていたとはいっても、ずっと勉強していた訳でもない。まず第一に、スマートフォン用ゲーム「きららファンタジア」は気分転換という名目で毎日プレイしていた。また、祖父と一緒に風呂に行き、それから一緒に食事をとった日もあった。祖父は私を風呂好きにした張本人であり、今でもよく一緒に風呂に行く。祖母によれば、二年前に肺炎にかかってタバコを一切断ってからというもの、そのお金を風呂に回すようになり、最近はますます風呂に行く頻度が上がっているらしい。祖父と風呂に行って、のぼせたりビールを飲んだりしたため、その日はあまり勉強ができなかった。
他に、結婚式を控えた従姉妹が夫(私にとっての義理の従兄弟)と一緒に帰ってきて、家族で宴会をした日もあった。高校の同期達が帰省してきて、(私は早めに帰ったが)姫路でちょっと遊んだ日もあった。
また、私は数学者や京大教員が面接で服装を気にするとは思えなかったので、私服で面接に行くつもりだったのだが、これは母の反対にあった。面接は連戦だから、スーツで行くとなるとカッターシャツが不足する。私は、数学者相手なら高校のとき着ていたカッターで十分だろうと言ったが、母は新品を買うべきだと主張した。このため、わざわざ姫路まで行って百貨店でカッターシャツを買うことになってしまった。
そんなこんなで、過去問5年分の演習に加え、直近1年分の過去問とTOEFL ITPの参考書を使って何も見ず模試形式で練習をするつもりだったのだが、結局過去問4年分くらいを解いた上で専門科目の模試を行っただけになってしまった。案の定といえば案の定だが、位相空間論もTOEFLも全くやっていないまま、私は8/17を迎えた。

・8月17日(1)
8/17、実家を出発し東京に向かう日である。
8月初頭に実家に帰省するときもだが、一連の東京↔︎姫路間の移動には新幹線を用いた。新幹線は金こそかかるが実に快適だ。新幹線でも東京↔︎姫路には3時間程度かかるのだが、この3時間という長さがちょうど良い。乗り物酔いのリスクや、揺れによる眼精疲労の増加を考えると、新幹線は作業や読書に向いた環境ではない。だから新幹線の中では特に何も捗らない。しかし、私が何もしなくても新幹線は私を東京まで運んでくれるのだ。これは、私が何もしないための格好のエクスキューズである。私は何もする必要がなく、ただそこに乗っていさえすれば良い。3時間の間、乗り換えも不要だ。つまり、新幹線は私の存在を全肯定してくれる機械なのである。日々タスクに追われている私は、こうした無為を渇望している。新幹線に乗っている間何もしないのは、自宅のベッドの上で何もしないのとはわけが違う。そこに背徳感は一切ない。私は、私に至高の無為(*1)を与えてくれる新幹線が大好きだ。
長々と新幹線について語ってしまった。しかし、この日の私には、そうした無為を楽しむ余裕などなかった。2日後に迫る北大の院試を前にして、私は不安だった。そう、不安だったのだ。なにせ、そのとき私は北大の受験票を持っていなかったのだから。(続く)

(*1)それも、ほどほどの頻度で、ほどほどの長さの。

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2018年10月12日金曜日

私の院試体験(5)

・8月上旬
院試勉強の影の功労者が、fire HD 8である。このfireに過去問のpdfをダウンロードしておけば、 紙に印刷する必要もパソコンを机に広げる必要もない。紙の場合、私はよくプリントを紛失するので非効率になっていただろう。コンパクトながらもスマートに資料を表示できるfireは、その安値の割に優秀だった。あのとき買っておいた判断は賢明だったといえよう。
さて、京大化学対策はとりあえず物性化学の復習から入った。序盤は快調だったが、後半の配位結合などの話から全くわからなくなってしまった。それもそのはずで、2Sの時点から全くわかっていなかったのだった(*1)。仕方がないのでわからない部分は諦めた。無機化学は物性化学の教科書を読みながらなら8割くらい解けるようだったので、解ける部分をひたすら暗記していくことにした。
次は化学熱力学を勉強した。私は化学熱力学の内容を理解していると仮定すると、あとは公式を暗記すれば良いことになる。その仮定のもと、公式を暗記したらそれなりに問題を解けるようになった。仮定を検証するのは、嫌な予感がするのでやめておこうと思った。
分析化学は曲者だった。内容としては、滴定や電気化学の問題が出るようだ。どちらも勉強したことがない。なぜ勉強したこともないのに分析化学にしようかと思ったかというと、研究室見学の際に、研究室の院生の方から「分析化学は楽勝だった。分析化学が一番簡単」と聞いていたからだった。なので勉強したことがなくても大丈夫かなと思っていたのだが、よくよく過去問を見てみると無勉で解けるような問題ではなかった。当然といえば当然だ。私は8月上旬になって初めてこれはマズいと気が付いた。
分析化学の代わりになりうる選択肢としては、他に生化学と有機化学があった。有機化学は論外なので、生化学を検討してみた。近くの図書館まで自転車を漕いで生化学の本を探してみたが、一冊もない。より遠い図書館まで行く羽目になった。そこでは二冊くらい生化学の本があったので、それを読みながら過去問の解答を作ってみることにした。すると、語句埋めはなんとかできたものの、文章で解答する問題が一切解けないことがわかった。これなら分析化学の方がマシである。 電気化学は化学熱力学の応用という側面があり、滴定も化学平衡の法則に従って方程式を立てるだけの計算問題があったため、10%くらいは解ける問題があったのだった。結局分析化学を選択することにした。対策としては、テキストを読みながら過去問の解答を作成し、不足していた知識をひたすら暗記していった。これで、出題パターンにもよるが4割程度シラフで解けるだろうと思えるくらいにはなった。私にとっては正解も間違いも区別がつかないことを利用して、自己採点のときに勘による解答も正解扱いしてしまえば、得点率7割5分は固かった。
物理学と物理化学は専門科目も受けるためみっちり勉強する必要がある。基礎の物理は楽勝、専門の物理もおおよそ量子力学Iと統計力学Iで処理できる範囲でそう難しくなかった。私には正準変換、角運動量の演算子、量子理想気体、第二量子化など数々の弱点(*2)があるが、角運動量が稀にでるくらいで他は全て範囲外のようだった。これ幸いということで、物理は満点を目指して演習することにした。
物理化学は守勢の戦いを強いられた。基礎の物理化学は構造化学と物性化学と化学熱力学と反応速度論でカバーできたが、専門の物理化学で出題される分子分光学はお手上げ状態だった。勉強したことがないのに問題は専門レベルなので、これはもう対処できない。分子分光学以外の内容は化学熱力学から出題されることが多く、追加の知識はそれほど必要ないようだったので、化学熱力学を重点的に演習することにした。分子分光学は......記号の選択で答える問題が多かったので、物理の勉強で培われた物理的直観を最大限に活用し、直感を駆使して解答する戦略となった。 こうなると、物理学で満点近くとってどうにかカバーしなければならないだろう。
私はこのようにして過去問演習を進めていった。(続く)

(*1)それゆえ成績は可であった。
(*2)弱点が多すぎて弱線や弱面を形成している。こうした、弱点の集合として定められる空間に入っている位相を弱位相という。また、弱点が連なって弱線や弱面となっているとき、弱点は弱連続であるという。

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2018年10月11日木曜日

私の院試体験(4)

・7月下旬~末
京大に出願したとは言っても、深く考えずに出願手続きをしたため、物理専攻の方の出願をしていなかった。し忘れていたのではなく、受けるのも面倒だから出願しなくて良いかと思っていたのだった。そうして、京大は化学だけで受けることになった。研究室志望順位表には二つの研究室を書いていた。
京大化学で研究室見学していたのは第一希望のところだけだった。京大の出願締め切りがすぎた後、この夏休みで第二希望の研究室のところを見せてもらおうとメールを送ったのだが、数回のやり取りの後、「そんな甘い考えでうちに来ない方が良い(意訳)」という感じのことを言われた。私は看破された通り甘い考えの持ち主であったので、ここはちょっとやめておこうかと思った。そうして、第一志望研究室に合格以外は不合格という状況になってしまった。京大の研究室は北大と違ってそこそこ人気があるようだった。落ちたら北大に行けば良い、元から本命も何もなかったではないかとはいっても、落ちることを想定するとやはり恐ろしい思いがした。私は物理専攻の方にも出しておけば良かった、あるいは東大の方に出しておけば良かったか、と後悔と迷いの気持ちに苛まれた。

・8月初頭
この時点では京大化学の過去問(*1)の中身はまともに見ていなかったが、専門科目は「物理学」「物理化学」を、基礎科目は「物理学」「物理化学」「無機化学」「分析化学」を選択すればなんとかなるだろうと思っていた。なぜだか数学専攻と化学専攻を受験することになってしまったが、私の本来の専門は多分物理だと推測されている。従って、化学の本丸である有機化学を回避して、物理学で点を稼げば勝てるという作戦だった。物理だけでなく数学の試験もあればなおのことよかったのだが、残念ながら数学はなかった。
「分析化学」という分野は見たことも聞いたこともなかったので、図書館に行って一冊本を借りた。「物理化学」の中身は化学熱力学、反応速度論、分子分光学であることが過去問を眺めてわかったので、勉強したことがなかった分子分光学の本も借りた。分子分光学の研究室に所属していて分子分光学を勉強したことがないというのは不思議な状況だなあと自分でも思ったが、事実なので仕方がなかった。どうしてこうなったのか自分でもわからない。ついでに化学熱力学の本も借りておいた。まあ熱力学と大して変わらないだろう(*2)。あとは「無機化学」だが、過去問を見ると物性化学の範囲とだいたい被っているようだった。物性化学でどうにもならない問題は捨てることにした。
勉強道具を支度して実家に帰った。祖母や母にご飯を作ってもらえれば勉強に集中できる。祖母は腰の調子が悪いようだったが、ありがたいことに美味しいご飯を作ってくれた。
帰省して最初の数日は「カオス」の授業のレポートを書くのに充てた。プログラムを組んで数値計算するのに四苦八苦しながらもなんとか完成させた。北大の力学系・位相空間論は大体の骨子ができているので良い、TOEFL ITPも6月に勉強したということで、ほぼ手付かずの状態の京大化学対策にしばらく注力することにした。
北大の口頭試問は8/19、京大の試験は8/21-22だ。8/17には実家を出なければならないだろう。実家で勉強できる時間は、あと2週間ほどだった。(続く)

(*1)公式ウェブサイトに公開されている(http://www.kuchem.kyoto-u.ac.jp/master_past_issues.html)。
(*2)ただし、その熱力学がよくわからないという弱点を抱えていた。

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2018年10月10日水曜日

私の院試体験(3)

・7月中旬
TOEFL ITPの結果は無事届いた。試験会場にいた生協の人に、疑ってごめんなさいと心の中で謝った(*1)。結果は593点であった。過去問演習のとき(確か560点くらい)と比べれば、これは非常に良い点数だと言える(*2)。
さて、レポートの方では、最後の5章にどうしてもわからない点が残った。期限の都合上、今から位相空間を勉強するわけにもいかなかった。どうしようもなかったため、5章ごとなかったことにするか、しれっとそのまま提出するかの二択になった。少々迷ったが、もうすぐ夏休みなので、口頭試問までに勉強して何とか取り繕えば良いかと思ってそのまま提出してしまった(*3)。とはいえ、その弱点以外は概ねまともなレポートになっただろう。TOFELの結果も良かったし、レポートもまあまあまともだし、そもそも受ければ受かる研究室のはずである。北大に一式郵送した私は、とりあえず北大は受かったも同然だと思った。

・7月中旬~下旬
これで北大関連は一息ついた。いつの間にか北大が本命みたいな雰囲気になっていたが、元を正せば北大は受かりそうだから受けたのであった。しかし北大を含めてどこを本命にしたものだかよくわからない。統合自然科学科というふわっとした学科に入ってふわっとした勉強をして来たものだから、関連分野が色々あるのだ。とりあえず東大理物か京大の理化・物になるだろうか(*4)......。この二つは日程がかぶっていたので、二者択一である。また、実は東大にせよ京大にせよ2つくらいしか研究室を見ていなかった(*5)。従って、研究室の志望順位表に2,3個ほどしか書けないことになる。これは困ったことだ。
これは数ヶ月前からずっと懸案事項だった。北大があったおかげで思考停止できていたが、北大のレポートも終わって、東大と京大の出願締め切りが近づき、この懸案事項をどうにかしなければならなくなった。そして、なんとなく理物の方が方向性が近い気がするし、実際理物を受けてもよかったのだが、なんとなく京大に出願した。なんとなく、というのは、思考停止である。私は思考を停止しないと何も決められないたちなのだ。前からだいたいこんなことになる気がしていて、京大の方の出願書類だけ手元に用意してあった。
とりあえず、いっぺん京都で学生をやってみたかったというのはあった。また、私の実家は兵庫県西部に位置しており、京都ならば大学院生活に疲れてしまったときに実家に帰って休みやすい。実家の環境が最高かと言われればそうでもないのだが、実家にいればとりあえず生活をやっていくための負担が確実に減るし、柔らかいベッドもウォシュレット付きトイレもあるので体を休める上で有利である。とはいえ、これらのことが研究の内容よりも優先すべき事項なのかと言われると返答に窮してしまう。それも、私の場合、やりたいことのふわふわさや理論生物学が未確立であることが原因で、東大に行くのと京大に行くのとでは研究の方向性が全然違ってくるのだ(*6)。結局、私は伝家の宝刀(*7)である思考停止を発動することになったのだった(*8)。(続く)

(*1)「(私ならそうする)」なんて思っていたが、心を入れ替える必要がありそうだ。
(*2)しかも精神攻撃を受けながらの受験である。
(*3)こうして出来上がったのが「ロジスティック写像(1)」「(2)」だ。
(*4)東工大の先生は東大理物に移ることが決まっていた。
(*5)尤も、北大は1箇所しか見ていない。
(*6)もちろん北大も全然違う。
(*7)学部入試や東大退学未遂のときもこの思考停止を発動している。まあ、思考停止は恋愛みたいなものではないだろうか。みんないつの間にか思考停止して人生をやっているのではないだろうか。恋愛はやったことがないし何も知らないので想像だが。
(*8)こういう経緯であるから、どうして京大を受けたのかと人に聞かれたときは、今に至るまで全て適当にはぐらかして答えている。

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2018年10月9日火曜日

私の院試体験(2)

・6月中旬
レポートはポアンカレ・ベンディクソンの定理について書くことにしようかと思い、ノートに構想を纏めた。ところが、常微分方程式の知識の不足により、何が前提条件になっているのかがわからずどうにもうまくいかなかった。
6月中旬にはTOEFL ITPの試験があった。一週間くらい前になって慌てて対策本を取り出し、研究室もサボって(*1)過去問演習をした。 英語をスピーディーに処理するのは久しぶりだったが、思っていたほど悲惨な劣化はしていないようだ。リスニングが他のセクションよりやたらと難しいことはわかった。それにしても英文をスピーディーに処理する勉強というのはつまらないなと感じた。
本番の試験ではちょっとした事件が起きた。試験の前は、配られた注意事項の紙を読みつつ気楽に過ごしていたのだが、注意深く読んでみて、結果の発送日が北大の出願締切日より後になっていることに気が付いたのだ。私は青ざめた。今からTOEFL iBTに申し込んでも間に合わないだろう。ここに来て出願に失敗したか。1Aセメスターの記憶が蘇る。
しかし、結果の発送日と出願日の前後関係は申し込み前にきちんと確認した覚えがある。慌ててそれを確認する(*2)と、ちゃんと出願締切日までに届く日に設定されていた。一体どういうことなのか?そうこうしているうちに、机の上を片付けろと指示される時間になってしまった。もしこの新しい発送日が正しいのであれば、詐欺みたいな話だ。生協側が勝手に発送日を変更したのだという証明を生協の人に一筆書かせて、北大側に事情を説明する展開になるだろうか。兎にも角にも発送日が食い違っている事情を問い質さなければ。そんなことを考え混乱しながら試験を受ける羽目になった。
試験が終わって聞いてみると、新しい発送日の方が誤記だということだった。本当か、信用ならないなあ、対応するのが面倒で適当なことを言っただけではないのか(私ならそうする)、当日になっても届かず、言った言わないで揉める羽目にならないと良いが......。不安を抱きながら帰路に着いた。

・6月下旬
さて、とりあえずTOEFLは終わったので、レポートの方で色々試行錯誤を重ねた。その結果、構造幾何学の授業で習った知識を活かして、位相力学系のカオスについて書くようにテーマを再設定した。ロジスティック写像のカオスなどの性質を書くことにして、数値計算と厳密な証明の両方向からアプローチするというレポートの骨子を決めた。それに沿ってノートに構想をまとめつつ、行間を埋めていった。

・7月1日
記事「院試勉強に集中できない」をアップロードした。この時点で当のレポートは全然書けていない。レポートの提出期限まで残り2週間くらいになってしまった。自分で言っている通り、こんな記事を書いている場合ではない。

・7月上旬
ノートに証明を書いて肉付けしていったのだが、行間が埋まらない箇所がある。フォロワーの人たちや牛腸先生に相談して、誤読していた箇所を指摘してもらい何とか行間を埋めた。主要部分が完成したので、TeXでの清書作業に入った。
ちなみに、レポートにはいくつか数値計算の結果が挿入されているが、これらは実のところ数理科学演習Iで作ったプログラムや計算結果を流用しただけである。こういう手抜きの図を使ってページ数を稼いだところがあのレポートのポイントだ。数値計算のセクションは手抜きのために作ったと言っても過言ではない。どうやら、無駄に改行をして行数を稼いだ読書感想文を提出していた小学生時代から私は何も成長していないらしい。(続く)

(*1)ちょうど梅雨で機械の調子も悪かったのと、他の事情もあって、まあ休んでも良いかという空気が私の中に醸成されていた。
(*2)TOEFL ITP団体受験告知ポスターの写真を携帯電話で確認したのか、受験票に記載があったのか、よく覚えていない。

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2018年10月8日月曜日

私の院試体験(1)

最近、院試に合格した。その経緯をまとめておこう(*1)。

・2017年まで
東大、京大、名大などの研究室見学をしていた。

・3月下旬~4月上旬
京大と北大に行き、研究室見学をした。
北大の方の研究室は、どうやら学生に全く人気がないらしい。これは、研究室がキャンパスの中の僻地にあるせいである。北大のキャンパスはかなり広く、キャンパス内に草原がある(*2)のだが、その研究室が入っている建物は、キャンパスの中心部から北に向かってずんずん進んで、そこから更に草原を一つ挟んだ向こう側にある。そこにたどり着くために高校同期の北大生に案内してもらったのだが、あまりに僻地にあるため一緒に迷子になってしまった。こんなところ来たことがない、ほとんどの学生がここに何かあること自体知らないのでは、とまで言っていたので、余程知名度がないのだろう。ここを受ける学生は例年0人か1人かという話だった。私は、北大は受ければ受かるなと思った。なお、僻地にあると言ってもそこは200万都市札幌の中心部、柏よりもはるかに都会だった。建物自体もかなり綺麗だ。
北大ではそこの助教の先生とLINE友達になった。どうやら、あの建物にいるとあまり人と会話をしなくなるらしい。しばらくすると私のTwitterアカウントまで特定されてしまった。

・4月中旬~5月
東大と東工大で研究室見学をした。
大学では、研究室の先生に渡された分子分光学の論文を読むなどしていた。卒研の面談も確かこの頃だった。
とりあえず北大は受けることにした。化学専攻と数学専攻の二つの選択肢があったが、北大の研究室のボスと相談して、数学専攻から受験することにした。有機化学や無機化学のことはさっぱりわからない(*3)からだ。ちなみに、北大の数学専攻の入試において、数学の能力はレポート・志望動機書と口頭試問で評価される。口頭試問はレポートの内容について聞かれるらしい。口頭試問には東京会場もあって便利である。
北大数学専攻の場合、英語は何とTOEFL ITPで良い。 他専攻(や他大の院試)ならTOEFL iBTのスコアシート提出を求められるところだ。東京会場も数学専攻だけであるし、数学専攻だけ受験者にやたらと甘い。ともかく、生協に行ってTOEFL ITPの団体受験に申し込んだ。

・6月上旬
北大に予め出しておくレポートを書かなければならない。いくら受ければ受かるだろうとはいっても、あまりにひどいものでは話にならない。そして、私の数学力はひどいものなので、全力を出す必要があるだろう。レポートでは、興味を持った定理や理論について纏めて紹介することになる。研究室では理論生物学をやろうと思っており、志望動機書との対応を考えると、力学系のカオスについて書くのが良さそうだと判断した。
しかし具体的に何の定理について書こうか。4Sではそのものずばり「カオス」という授業を受けていたが、これは数学的にはふわふわしていて、この授業を起点に数学者に読ませるためのレポートを書くのは難しそうだと感じた。そうして、しばらくHirsch, Smale, DevaneyやStrogatzを読む日々を送っていた。 (続く)

(*1)どうでも良いが、院試体験は臨死体験と響きが似ていることに気が付いた。
(*2)東大で言えば、柏キャンパス北部のような感じだろうか。
(*3)それぞれ有機化学I、無機化学Iしか履修していない。

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2018年10月6日土曜日

日記: 東京ジャーミイの見学

今日は東京ジャーミイ(日本語公式ウェブサイト: https://tokyocamii.org/ja/)の日本語ガイド付き見学に行った。東京ジャーミイというのは、代々木上原にある日本最大のモスク(イスラームの礼拝堂)である。ジャーミイは、モスクの中でも合同礼拝が行われる大規模なものを指す。

代々木上原駅南側の井ノ頭通りを西(代田橋駅側)に向かうと、住宅街の中に東京ジャーミイのミナレット(塔)が現れる(写真1)。僧侶にとっての修行場である寺院の多くが比叡山や高野山など高山に立地しているのに対し、モスクはあくまで人々が集まる礼拝堂であり、イスラーム圏ではモスクを中心として都市が形成されるという。

写真1 ミナレット

ミナレットを目印に道を進んでいくと、入り口(写真2)にたどり着く。一階部分はトルコ文化センターになっている。トルコ文化やイスラームに関するセミナーが行われているとのことだ。このモスクもオスマン様式で建てられたイスタンブール風の建築だと聞いた。

写真2 入り口

そのまま道を進んで交差点を左折し回り込むと、重厚で荘厳な外観を眺めることができる(写真3,4)。白を基調とした建物が青空によく映えていた。

写真3 外観(1)
写真4 外観(2)

近くにはイスラーム系のインターナショナルスクールがあり、行き交う児童(おそらくムスリムだろう)たちが解説の人に挨拶をしていた。
写真3では、建物に穴の空いた装飾が付いていることが確認できる(写真5)。これは鳥の巣箱だそうだ。モスクが社会の荒波から人々を守る避難所としての役割を果たしているように、鳥にとっての避難所でもあるのだ、という説明を受けた。

写真5 写真3の一部を拡大したもの

建物の二階は礼拝堂になっている。入り口(写真6)を潜る際、女性はスカーフの着用を求められていた。忘れた人への貸し出しもあるようだ。

写真6 礼拝堂入り口

中の美しさは圧巻だった。壁面と天井には意匠を凝らした装飾が施され、己を取り囲むように広がる優美な模様とステンドグラスの鮮やかな色彩が目を奪った(写真7,8)。しかし、これを写真に写すのは少々無理がある。この華やかで異国情緒溢れる空間を感じるためには、実際に行ってみるより他にないだろう。

写真7 礼拝堂内部(1)
写真8 礼拝堂内部(2)

入り口に対して正面には、メッカの方向を示すためのミフラーブ(写真9)がある。しばらくすると、ムスリムの方々が集まり始め、ミフラーブの前に導師が来て礼拝が始まった。ムスリムの人たちは、導師がクルアーン(聖典)を読み上げている間、ミフラーブの方を向いて横一列に並んで礼拝をしていた。横一列に並ぶのは、信仰する者は神の前で皆平等であるという思想を体現するためだそうだ。イスラームが国や人種を超えて広まり世界宗教となった一因にこの思想があるのだと解説された。

写真9 ミフラーブ(写真中央部)とその周囲

この建物は、ミフラーブがメッカの方向を向くようにして建っている。建物が井ノ頭通りと平行になっていない(写真10)のは、このためらしい。

写真10 建物と道路の間の角度

写真9には、チューリップを描いた模様(写真11)が写っている。トルコはチューリップの原産地で、国を代表する花として親しまれてきたそうだ。

写真11 チューリップの模様

チューリップは一階に並べられている壺(写真12)にも描かれていた。一階には正体不明のドライフルーツが紅茶と一緒に置いてあった。自由に食べてよいと書いてある。食べてみたところ、紅茶によく合う甘さで美味しかった。

写真12 チューリップが描かれた壺

東京ジャーミイの見学は刺激的で非常に面白かった。解説してくれたムスリムの人は、日本でイスラームがどういう教えに基づく宗教なのかきちんと伝わっておらず、ともすれば過激派の印象が先行しがちな現状に心を痛めているという(おそらくアメリカの件もあるのだろう)。読者の皆さんも、もし興味があれば是非東京ジャーミイに来てイスラーム文化を体験してみてほしい。見学は無料かつ予約不要だ。公式ウェブサイトの「ご見学について」に詳細な情報がある。

2018年10月3日水曜日

ロジスティック写像(1)

このblogにTeXを導入した。せっかくなので、院試に際して大学側に出したレポート(*1)を公開することにしよう(*2)と思う。
(追記: どうやら、モバイルモードではTeXの数式がきちんと表示されないようだ。対処法としては、1. PCモードで見る、 2. 頑張って解読する、3. 読むのを諦める、の三つの選択肢が考えられる。好みに応じて選んでほしい。)

2018年10月2日火曜日

Switchの所感

前回の記事を踏まえた上で、Switchをしばらく使い続けてみてどうだったのかも書いておこう。

SwitchはWiiUと違って起動が早い。これは使わないときはスリープ状態にする運用が基本であることが大きいのだろう。この点はタブレットに近い。しかしそこは据え置き機なので、普段はスリープ状態でテレビにつなげられて充電されていることになる。従って、遊ぼうかと思ったら充電が切れていたということにはならない。持ち運びができる据え置き機というのは上手いコンセプトだ。
WiiUと違って小さいから持ち運びに便利である。実家の大きい画面でゲームを遊ぶのもこれでだいぶ楽になる。母上がテレビを見始めても携帯モードで遊べるから良い。しかしドックに格納して充電する都合上、充電口が本体の下部に付いている。このため、充電しながら携帯モードで遊ぶのはやりにくい。
本体をドックに格納するとすっぽり収まるのかと思っていたが、取り出しやすくするためだろうか、上部が少しはみ出る。スーツケースに入れて運搬するにあたって、あの脆そうな画面付きの本体をドックが完全に防御してくれるのかと思っていたため、これには面食らった。結局ドックごとタオルに包んで持って帰った。Switch用のキャリングケースを買うのが良いのだろうか。尤も、WiiUよりはるかにマシなのは間違いない。

SwitchはJoy-Conの差し替え周りが面倒である。Joy-Conは、普通のコントローラーのようにして使うときはグリップにさし、分離するときはストラップにつけ、携帯モードや充電時は本体につけるようになっているが、この付け替えが地味ながら面倒だ。特に、充電時に本体にささなければならないのが問題である。ゼルダのようなゲームでは、基本的にグリップに差した状態でテレビに出力して遊び続けることになる。そうするとそのうちコントローラーの充電が切れるのだが、このときわざわざテレビの近くに置いているドックに差したSwitchのところまで行って、グリップからJoy-Con2つを取り出して、Joy-Con2つをSwitch本体に差し直さなければならない。次に使うときはその逆である。これは大変面倒だ。Joy-Conが1つだけならまだしも、Joy-Conは2つあるのだ。携帯モードからドックに格納するのはとてもスマートなのに、これは全くスマートでない。なんでそんなことをさせるのか。本体の起動が面倒であることは、ソフトの売り上げにも間接的に効いてくるだろう。どう考えても、少々価格をあげてでも、Joy-ConグリップではなくJoy-Con充電グリップを本体に同梱するべきである(用語がややこしい。周辺機器 | Nintendo Switch を参照のこと)。このJoy-Con充電グリップやProコントローラーの価格の高さも少々苛立たされる。

とはいえ、ゼルダBotWは非常に面白いし、このゼルダが据え置き機的にも携帯機的にも遊べるという時点で悪いハードではない。Joy-Con充電グリップの件はかなり不満だが、買ってしまった以上、Switchの今後に期待したいところだ(しかし、もう私も学部4年で、ゲームで遊べる時間も気力もどんどん減ってきているため、どれほどこのSwitchを活用できるかにはあまり期待が持てないのが現実である)。

2018年10月1日月曜日

Switchを買った

「バイトの話」で書いた通り、Nintendo Switchを購入した。

Nintendo Switch

2017年1月に新ハードSwitchの詳細が発表されたときは、これほど売れるとは正直なところ思っていなかった。PS4と競合する約30000円の価格(*)、WiiUからの移植が目立つラインナップ、3DSの後継機が現れるのかが不透明なことなど、不安要素が多かった。携帯可能な据え置き機というコンセプトにしても、据え置き機としてはスペック不足とそれに起因するマルチタイトルの不足、携帯機としては充電の持ちの悪さやJoy-Con装着時の大きさがネックになるのではないかと思っていた。更に言えば、据え置き機としてはPS4が「勝ち」の体制を築きあげていて、そこに他の据え置き機が割って入る余地があるとも思いにくかった。
これらハード的な分析を踏まえソフトを眺めてみると、Splatoon2はまず間違いなく売れるだろうが、ゼルダBotWやマリオカート8DX、マリオオデッセイは前作実績や移植であることを考えると50万本程度の売り上げになるだろうと思われた。ソフトの絶対数も少ないのではないか、2016年のWiiUにはほとんどソフトが出なかったのだから2017年のSwitchはソフトを普段の倍発売するべきだろうという不満もあった。

それが蓋を開ければこの人気である。本体は品薄が続き、発売から一年ほど経つまでは見かけることさえ稀だった。Splatoon2は勿論、目下のところゼルダは100万本超、マリカとマリオは150万本超売れており、今もゲームソフト週販ランキングの上位常連である。これはトワプリ、マリカ8、ギャラクシーをも大きく超える売り上げだ。Switchは、WiiUとは勢いが決定的に違っていた。その上、Wiiにもなかった、一人向けのゲームが売れる土壌が出来上がっていたのだった。
こうなった要因の一つに、ゼルダBotWが歴史的な高評価を獲得し、評判が口コミで伝わって長期的に売れ続けたことが挙げられる。前作のスカイウォードソードは2011年の年末商戦に向けて発売されたものの、年末商戦の恩恵をほとんど受けず初動型の推移であった。そうした初動型のシリーズタイトルが1年以上に渡って売れ続けたのだから、これは驚異的なことだ。3Dゼルダでいうと、それこそ「時のオカリナ」以来のことである。それどころか、一人で黙々と遊ぶような大作ゲームが100万本売れること自体滅多にない。ファイナルファンタジーシリーズ最新作、FF15の売り上げでさえも100万本少しという時代だからだ。ともかく、WiiUのときのようにすぐ失速して目玉タイトルまで勢いが持続しないと思われていた(といっても、私が勝手に思っていただけだが)Switchは、かくして2017年中勢いを維持し、ソフトは売れに売れ、発売されるソフトは増えに増え、すっかり好循環に入っていた。

私はこれを複雑な気持ちで見ていた。私はWiiUを既に持っていた。WiiUは出来の悪いハードだ。起動は遅いし、コントローラーは重い上にあまりに大きい。二画面を活かしたゲームと、ゲームパッド単体でも遊べる便利さをウリにしていたが、これらは両立しえない。Switchという「WiiUの完成形」を見た今思えば、コンセプトからしておかしかった。そしてWiiUは売れず、任天堂はWiiUを見捨てて2016年にはソフトをほとんど発売しなくなった。
まあ、私が買ったのはSplatoonの頃なので、売れていないのを承知で買った私にも非がある。しかし任天堂は、WiiUにソフトを供給しないばかりか、WiiUのソフトを他機種にどんどん移植し始めた。なんということだ。私もWiiUなんて不出来な負けハードではなく勝ちハードSwitchでスマートに遊びたかった。くそ、ゼルダだけはSwitchで遊んでやるからな、覚えておけ、そう思いながら機を伺っていたが、そもそもSwitch本体は品薄でなかなか買えなかった。教科書代もかさんできて、普段の任天堂ハードより高い価格設定にもだんだん腹が立ってきた。
そうこうしていると例のバイトの話が出てきた。この収入があること、Switchの品薄が解消されてきたこと、7月に開催されるamazonのprime dayで9.5%還元を受けられること、院試の後のご褒美になること、これらはまさに機だった。

かくして私はSwitchを購入した。

(*)PS4といえば、PS4でアサクリやホライゾンをやってみたい。実家のテレビならともかく、普段の画面の小さいテレビではPS4の映像美は映えないだろうなあという思いがある。あとは新しいものに手を出すための気力や勇気の問題だ。任天堂機ばかり買うのも、惰性が6割である。