2019年9月20日金曜日

続・私の院試体験(1)

リンク:「私の院試体験」

最近、また院試に合格した。
整理すると、昨日京都大学理学研究科を退学し、本日東京大学総合文化研究科に入学したということである。一体何がどうなってこのような事態になったのだろうか。この連載を通じて、その経緯をまとめておこう。

・2015年1月~2015年3月(1)
当時高校3年生だった私は、センター試験が終わってもなお、自らの志望校を決めることができていなかった。私は、東京大学理科一類に出願するか、京都大学理学部に出願するかで迷っていた。センター試験の結果は十分に良かった。あとは自分の気持ちだけだった。しかし、自分がどちらの大学に進学したいのか、考えても考えても結論は出ないのであった。
考えに考え抜いた結果、私は「考えても無駄」だという考えに至った。私はその場の気分で何となく東京大学理科一類に出願し、そして見事合格を勝ち取った(*1)。

・2015年4月~2015年7月
私は東京大学理科一類に入学した。
私が最も大きな関心を抱いていた対象は生命であった。それは、とりもなおさず、自分自身に対する関心であった。我々は、生まれ、生き、やがて死ぬ。では、生きるというのはどういうことなのだろうか。私は、この、根源的な「生命の謎」を解き明かしたいと強く思った。私は、何か現象を理解するとは、「物理の様式で現象を記述し、その構造を咀嚼すること」だと考えていた。私は、生命現象を物理の様式で記述したい、その研究のために自らの一生を費やしたいと思っていた。私は、「生命の謎」を解くためなら、どんな厳しい勉強も厭わないつもりだった。「生命の謎」は、私の世界の絶対的な中心であり、私の生きる目的だった。
私は、大学での学びに大きな期待を抱いていた。大学では、好きなことを好きなだけ学んで大学という環境を使い潰してやろうと意気込んでいた。大学で学ぶ学問は、高校までのものとは比べ物にならないほどの広さと深さを持っているように感じられた。そこは、もはや広大な学問の沃野と言ってよかった。それがどれだけの広さと深さを持っているのか、私は何も知らなかった。私は次第に授業を理解することができなくなっていった。
入学前に抱いた期待は、次第に絶望へと変化しつつあった。私は、いくら勉強しても自分には何も理解することができないという無力感に支配された。それはすなわち、自分が生きる意味を見失うということを意味していた。
絶望と苦しみの中で、自然に私は"もう一人の自分" ーーあのとき京都大学理学部へ出願していた世界の自分ーー に思いを馳せるようになった。果たして、"彼"は今頃幸せに暮らしているのだろうか......。

・2015年8月~2016年4月
私は理想と現実の狭間でもがいていた。私は、教わったことの表層だけをなぞって当座を凌ぐ一方で、そのような学習に終始している自分自身を許しがたく感じていた。私は、より深く勉強するためにもっと時間が欲しいと思い始めた。そこで浮上した選択肢が、京都大学理学部への仮面浪人だった(*2)。
しかし、この仮面浪人作戦は、手続き上の失敗によって未遂に終わった(*3)。私は、そのまま東京大学の2年生になった。進学選択(*4)の足音はもうすぐそこに迫っていた。(続く)

(*1)ref.「志望理由(1)」「志望理由(2)」
(*2)ref.「私の進学選択(1)」「私の進学選択(2)」
(*3)ref.「私の進学選択(3)」
(*4)東京大学の学部入学者は、まず教養学部に所属して教養教育を受けたあと(前期課程)、各々の選好(と成績)に応じた学部学科に進学して専門教育を受ける(後期課程)。進学選択とは、後期課程で所属する学部学科を決定するための制度のことである。

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