2019年1月28日月曜日

「交」考

この記事には、性的な記述、及び「かぐや様は告らせたい」原作2巻・アニメ3話までのネタバレが含まれている。閲覧には注意されたい。

アニメ「かぐや様は告らせたい」3話には、かぐやは高校生なのになんと性交という概念を知らないのだ、という描写が出てくる。これを見て、高校生が性交を知らないというのはそれほど変なことなのだろうかと思った。何しろ学習指導要領の範囲外なのである。高校生が知らなくて何の不思議があるだろうか。
中学校に入学した私は、一年生の保健の授業で男女の内性器各部分の名称と月経の仕組みを学んだ。教科書には、性器の構造の図解が掲載されていた。次に性教育を受けたのは高校に入ってからである。そこでは、コンドームや低用量ピルといった各種避妊方法の解説があった。私はこれに衝撃を受けた。性交の何たるかを知っていなければ、この記述は全くの意味不明ではないか。私はたまたま多少の想像がつくから良いものの、わからない人がいてもおかしくないはずだ。私は勉学の面では優等生であった。今まで、どんな教科であっても、それまでの単元をマスターしていれば次の単元を学ぶ上で差し障りがあることはなかった。私は、教科書は生徒が着実にステップアップできるように設計されているのだと、このときまで信じて疑っていなかった。これは、私が文科省の姿勢に対して疑問を抱いた最初の瞬間だったと言ってもよい。
高校における保健の教科書といえば、思春期における男女の変化という項目もあった。女性に関しては月経のメカニズムについてのより詳細な記述があったが、男性については数行の簡素な文があるのみだった。そこには、男性は思春期に射精の能力を得て、「マスターベーションを行うようになる」と書かれていた。マスターベーションを太字にしたのは、実際の教科書でも太字であったことを表すためだ。つまり、思春期男性が「マスターベーションを行うようになる」ことは、把握しておかねばならない重要な内容だ、ということである。しかし「行うようになる」とは。「行うようになる」と言われても困ってしまう。何しろ、男性である私自身、行ったことがなかったのだ。中学校の時の体育の先生は、性に関しては過激で誤りを含んだ情報が氾濫しているため、信頼できる文献を吟味することが重要だと言っていた。私は教科書以外から性に関する情報を得ることに慎重な姿勢でいたため、教科書は重要な情報源となっていた。流石に教科書は信用して良いはずである。私は、自分には何か異常があるのではないか、あるいは、行わないことにより今後健康上の問題が発生するのではという疑念にかられた。しかし、それで行うにしても方法が不明である。結局、この疑念は高校生活を通じてずっとつきまとうこととなった。文科省には、こういう無用な不安を生む記述をやめるよう教科書会社に指導してもらいたいものだ。
話が逸れたが、ともかく、子供の分際で成人向けのコンテンツを利用でもしない限り、性について知る機会は非常に限られているということである。では、私はどのようにして性交を知ったのだろうか。

この世界には隠された「何か」があると最初に思ったのは、エイズについて知ったときだ。エイズは血液などの体液を媒介として感染する病で、特にアフリカでは深刻な問題となっているのだという。空気感染するなら分かるが、体液による感染でなぜ地域差が出るのだろうか。エイズはアフリカで流行っているというが、アフリカでは薬物の回し打ちが盛んなのか。私はそう父に尋ねたが、父は明確に答えなかった。私はこれを訝しんだ。
次におかしいと思ったのは、朝のニュースである。殺人、強盗、脅迫など、事件には様々なものがあるが、一つ何を指しているのかわからないものがあった。強姦である。強盗は無理やり盗むことだから、強姦も無理やり何かをすることであろう。その「何か」が何なのかが問題である。姦といえば、女三人集まれば姦しい、という言葉がある。無理やり大音量を生じさせる......ジャイアンリサイタル......?文脈に合わない。私は父に尋ねたが、父は明確に答えなかった。私はこれを訝しんだ。
小学校高学年になり、性教育の授業を受けた。子供はコウノトリから送りつけられてくるわけでもキャベツ畑から湧いて出てくるわけでもなく、精子と卵子が結合することでできるのだいうことを教わった。一人のクラスメイトが、それでは男性から生じた精子はどのような経路を辿って卵子のもとにたどり着くのか、と質問した。私は尤もな疑問だと思ったが、先生は明確に答えなかった。私はこれを訝しんだ。私は、精子は非常に小さいので、男女が密着した状態で精子が放出されれば衣服の繊維の隙間を通り抜けて子宮の入り口にたどり着くことができるのだろうと推測した。
この授業以来、生命の誕生に神秘性を覚えた。図工の授業で、連続する10枚の絵を描いてアニメーションを作ろうというものがあった。精子と卵子が結合し赤ちゃんの原型になる過程を描いて提出したところ、図工の先生のチェックはくぐり抜けたものの、担任の先生に呼び出され作り直しとなってしまった。このときの先生の説明も釈然としないものであった。私はこれを訝しみ、父に経緯を話した。父は、それは良いテーマだと思う、自分なら作り直しにはさせない、と私に寄り添う見解を示した。
両親から、クリスマスプレゼントとして「DS文学全集」をもらった。これは2007年発売のゲームであるから、小五の時だろう。私が出した要望書にはこのゲームの名前は記されていなかったのだが、娯楽的なゲームばかり与えていてはまずかろうという教育的配慮のもと、私が欲しがったゲームとセットで贈られたのである。さて、そのDS文学全集の中に「ヰタ・セクスアリス」という小説が収録されていた。帯を見ると、発禁処分となった問題作だとある。興味を抱いて読んでみると、こんな記述があった。
僕は何の気なしに鎧櫃の蓋を開けた。そうすると鎧の上に本が一冊載っている。開けて見ると、綺麗に彩色のしてある絵である。そしてその絵にかいてある男と女とが異様な姿勢をしている。(中略) そして兼て知りたく思った秘密はこれだと思った。(森鴎外「ヰタ・セクスアリス」より引用)
私も兼て知りたく思った秘密はこれだと思った。ヰタ・セクスアリスはこう続く。
僕は面白く思って、幾枚かの絵を繰り返して見た。しかしここに注意して置かなければならない事がある。それはこういう人間の振舞が、人間の欲望に関係を有しているということは、その時少しも分らなかった。Schopenhauer はこういう事を言っている。人間は容易にめた意識を以て子を得ようとるものではない。自分のの繁殖に手を着けるものではない。そこで自然がこれに愉快を伴わせる。これを欲望にする。この愉快、この欲望は、自然が人間に繁殖をらせる詭謀である、である。こんな餌を与えないでも、繁殖に差支のないのは、下等な生物である。醒めた意識を有せない生物であると云っている。僕には、この絵にあるような人間の振舞に、そんな餌が伴わせてあるということだけは、少しも分らなかったのである。僕の面白がって、繰り返して絵を見たのは、只まだ知らないものを知るのが面白かったに過ぎない。(森鴎外「ヰタ・セクスアリス」より引用)
なんのこっちゃ。少しも分らない。私はDSを閉じた。 後で父に尋ねてみると、森鴎外の文章は難解だから、夏目漱石などの方が読みやすいのではないかという。なるほど難解な文章である。すっかり私は納得し、ヰタ・セクスアリスを閉じた自分を正当化した。
やがて私は中学生になった。私は、「兼て知りたく思った秘密」の中身を知りたいと思った。このときになるとキーワードは手元に揃いつつあった。すなわち、性交、性行為、セックスといった言葉である。私は国語辞典でこれらの言葉を調べた。大辞林によれば、「性交」の意味はこうである。
男女の性的なまじわり.(三省堂「スーパー大辞林3.0」より引用)
なんのこっちゃ。全く説明になっていない。私は本を閉じ、Webの大海に漕ぎ出した。決定的な答えは、Wikipediaが与えてくれたのであった。

ところで、辞書には説明になっていない言葉がたくさんある (例えば、「怖い」の意味が「恐ろしい」、「恐ろしい」の意味が「怖い」になっている、など) が、この「性交」の項目は特にひどいと思う。確かに性交は性的な交わりであるだろうが、だからといって「性交」の意味が「性的な交わり」だと説明するのは、「酢の物」の意味を求められて「酢を使った食べもの」と書くようなものだろう。なぜなら、恋人同士の抱擁、接吻、性交以外の性行為も性的な交わりであるし、恋人の交際も性に関わる交わりであることには違いないからだ。交際という実態がなくても、恋愛感情が複雑に絡み合っている多角関係のグループがあれば、関係性を図解したときに恋愛感情の矢印がどこかで交わることになるだろう。これも、性に関わる欲望が交差しているため、性的な交わりといって良い。学習指導要領の穴を埋め青少年の教育に資するためにも、国語辞典各位には「男女がそれぞれの性器を結合させること」といった具合の具体的な記述をしてほしいものである。

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