2020年5月11日月曜日

スマブラSPが面白い

今更な話であるし、私が言わなくてもみんなが言っていることではあるが、スマブラSPが面白い。スマブラを買うのはWiiのX以来なのだが、当時と比べると遥かに進化していて驚嘆させられる。
遊んで感じたことをつらつらと書いてみよう。

・効果音や演出の仕方が絶妙で、爽快感が半端ない。吹っ飛ばす時の手応え感が強く、とにかく遊んでいて気持ちいい。

・これだけキャラ数がありながら、しっかりゲームバランスが取れている。上手い人にとっては色々あるのかもしれないが、私レベルではよくわからない。上手い人が言う「このキャラが強い」も人によってバラバラなので、自分でプレイするだけでなく対戦動画を見ていても変化に富んでいてとても面白い。

・リンクとガノンドロフはより格好よく、ゼルダ姫はものすごく可愛くなったのが嬉しい。

・全体的に、シリアスなキャラはより格好いいモーションに、コミカルなキャラはより可愛かったりとぼけていたりしているモーションになっていて、忙しないゲームでありながら作り込みに見惚れてしまう。これだけファイターがありながら、それぞれキャラが立っている。戦闘スタイルもそのキャラらしさを感じられていい。

・リドリーが参戦できるとは思わなかった。衝撃だった。

・キングクルールも無理だと思っていたから嬉しかった。

・クラウドがいるのが嬉しい。技が格好良くて惚れ惚れする。爽快感も抜群で感動する。

・グラフィックが綺麗。

・Mr. ゲーム&ウォッチは存在するというだけで最高。Mr. ゲーム&ウォッチファンが日本に何人いるのかわからないが、そんなマイノリティに配慮してくれるのが素晴らしい。

・キャラの立ち絵がハイセンス。そのキャラらしさが存分に出ているものばかりだと思う。

・音楽も筆舌に尽くしがたい。アホみたいに多いし。

これだけの要素を詰め込みながら、大きなバグもゲーム性を壊してしまう欠陥もなく一本のゲームとしてまとめあげられていることは驚異でしかない。全てが掛け算で組み合わさっていくので、遊ぶたびに違う面白さが感じられ、何百時間と遊んでいるが全然飽きない。遊び尽くせないほど豪華で底知れないゲームが手元にあることに感動である。

2020年5月8日金曜日

下劣な発言が炎上する社会

先日、お笑い芸人・ナイティナイン岡村の発言が炎上するという出来事があった。

岡村隆史「お金を稼がないと苦しい女性が風俗にくることは楽しみ」異常な発言で撤回すべき【追記あり】

岡村氏の発言は、「COVID-19が流行ることにより、困窮した美人が性風俗業で働くようになることに期待している」という趣旨のものだ。これがいかに下劣で異常な発言であるかは上記の記事で述べられているが、私がここで注目したいのは、彼の発言が下劣で異常なものであるがゆえに、えげつないブラックジョークとして捉えるとかなり面白いという点である。

私は時々ブラックジョークを言うことがある。たとえば、授業の単位を落とした友達に対して「おめでとう!!」と声をかけるといったものだ。これは人の神経をあからさまに逆撫でする発言であり、「このクズめ」とツッコまれることによってボケとして完成するわけである。
生きていく上では、つらいことがたくさんある。もし、つらい思いをしているのが自分一人であれば、そんなのやっていけないだろう。だから、他にも誰か苦しんでいてほしいと我々は心のどこかで思ってしまう。この病が悪化していけば、他人が不幸になるところを見たい、不幸な他人を嘲笑いたい、不幸な目に遭う他人を安全地帯から観察して下には下がいると安心したい、という具合に進行していく。他人の不幸は快楽なのだ。
だが、他人の不幸を面白がることは完全に倫理に反しており、下劣極まりないことである。だから普通の人は「他人の不幸は快楽だ」というホンネを表に出さない。ホンネを出すのは異常なことだ。そして異常なことは面白い。下劣で不謹慎なことを軽い口ぶりでさらりと言う、この異常性を笑うのがブラックジョークの基本形だと私は思う。

岡村発言はブラックジョークとしてよくできている。「美人と性交渉したい」という、男性ならばほとんど誰にでもあるような動物的欲求をくすぐることで、タブーを破る快楽に性というスパイスを加えているところがまず素晴らしい。男性の性欲のどうしようもない気持ち悪さが滲み出ていてポイントが高い。また、発言の異常度も極めてハイレベルだ。私は、「美人の女性が性風俗で働くことを余儀なくされるだろう」なんて言われるまで思いつきもしなかった。彼が生粋のクズであることを伺わせる、たくましい発想力に感服したものである。
そして、これが搾取という社会問題を題材にした発言であるのも、ボーナスポイントの加算につながった。これは、「女性が搾取されている」という普段あまり直視されない社会問題をあぶり出す発言である。こうした問題に気がついたとき、聖人であれば女性の就労支援などの活動を始めるだろう。しかしながら、多くの人はそうした社会問題に見てみぬふりを決め込んでいる。貧困、差別、環境問題など、現代社会は様々な問題を抱えている。そして、財産を寄付したり、NPOで支援活動を行ったりなど、自分にもやれることはあるにも関わらず、私はそんなことはしていない。それは、自分のことで手一杯だからだ。やるべきことをやれない自分の無力さ、聖人になれない自分の至らなさに対して、私はただそれを嘆き、乾いた笑いを送ることしかできない。岡村発言を読んだときも、私は女性の搾取構造を認識していながらも改善に向けて何もできていない自分自身に対して乾いた笑いがこぼれ出た。この「乾いた笑い」も、ブラックジョークとしての面白さの一部であるといえるだろう。

このように岡村発言は優れたブラックジョークになっているわけであるが、恐ろしいのが、この発言がその下劣さゆえに炎上したという事実である。岡村氏が本心からこう発言したのであれば、炎上も仕方ないのかもしれない。だが、私はより刺激的でパンチの効いたブラックジョークを作るために、自分の下劣さを頻繁に盛る。このSNS時代では、発言の一部が切り取られて拡散されるというのは日常茶飯事である。こうなると、私とていつ炎上してしまうかわからない。
人間はエゴイズムに満ちた醜く下等な生物であり、その醜悪さはかねてより文学の題材にもなってきた。むしろその醜さにこそ人間らしさが詰まっているとの見方もあろう。岡村発言は確かに下劣で唾棄されるべきものであるが、だからといって撤回すべきだとは思わない。もし内輪に向けたブラックジョークでさえ文脈を漂白されて炎上するようになったなら、あらゆるエゴイスティックでどす黒い欲望は全く表に出せなくなる。それは人間をいびつに理想化する、どこか不健全なディストピアではないだろうか。

2020年5月5日火曜日

弱者性

Twitterで、「女性は男性からの性暴力の被害に晒されやすい。つまり女性は弱者である。強者男性と弱者女性の不均衡を是正するためには、何らかのアファーマティブアクションが必要である」といった趣旨の意見を見かけた。だが、この手の議論には注意を要する。
ここで使われている「弱者」という言葉は、「身体障害者は交通弱者であり、配慮されるべきだ」というときの「弱者」とは少々意味が異なっている。そもそも男性が性犯罪等にあいにくいのは、単に男性は力が強いというだけの理由ではない。根底にあるのは、男性の肉体は女性のそれと比べて性的価値が低いという非対称性だ。価値があるから狙われるのであり、そもそも無価値なものは初めから見向きもされないわけである。かくして、「女性は弱者だ」という主張は「いやいや男性こそが弱者といえる」という反論を生み出す。これはどちらも同じコインを表裏から見ているだけのことであって、いくら議論しても話が噛み合うことはない(*1)。

ことジェンダーの問題となると、対象が身近なものだからだろうか、不毛な論争が起こりやすい。しかし、相互理解のもと適切に相手に配慮できるような成熟した市民社会を作り上げるためには、互いにレッテルを貼り合っていたずらに対立を深めるような言説は厳に慎まねばならないはずだ。ジェンダーに限ったことではないが、収穫ある議論を行うためには、対象への深い知識のみならず「議論を意味ある対話として成立させるためにはどうすればいいだろうか」を考えるというメタな視点が欠かせないといえるだろう。

(*1)もちろんできる限り犯罪は防がれるべきであるし、もし犯罪にあってしまっても被害者は救済されるべきである。特に、今の仕組みでは被害者当人が表に立って色々訴えねばならず、二重三重にその人を傷つけてしまっていることだろう。ただ、ここでしているのは、弱者が云々と言い始めると議論が訳のわからない方向に行ってしまい、導かれるべき結論も導かれなくなってしまうという話である。

2020年5月4日月曜日

ツイートの自動生成

私のツイートを学習して自動生成されたツイートが結構面白かった。

これはどう見てもやっている。


一体どんな盆踊りなのか。

麻薬は犯罪だし、やったらダメです。

それ狂気をやり過ごせてへんやろ、もう狂ってもうとる

2020年5月3日日曜日

解説: 時間に依存しないシュレディンガー方程式について

時間に依存しないシュレディンガー方程式についての解説を書きました。ダウンロードしてご利用ください。