2018年10月22日月曜日

私の院試体験(14)

・8月22日(2)
面接は13時からの開始だ。13時ごろにもなると、待機場所にはざっと70人くらいの学生が集まっていた。その中でスーツを着ていたのは少数派だった。おそらく、スーツを着ているのは外部生だろう。楽しげに会話している人たちは皆ラフな格好をしているようだった。
受験生は、志望する研究室の分野に応じて、有機系、無機系、物理系、生命系の4つに分かれるよう指示された。受験生をこの4系統に分けた上で、4部屋同時進行で面接をおこなっていくようだ。志望分野が跨っている受験生は複数回面接を受けるらしい。私は物理系だ。
30分ほどすると私の番になった。前にたくさん受験生がいたはずだが、開始30分で私の番になるとは思ったより早い。入室すると、面接官が6人ほど座っていた。この面接では、以下のようなやり取りがあった。

Q1 「現在東京大学の学生とのことですが、研究室見学には行かれましたか?」
A1 「はい。春休みに伺いました。」

Q2 「分かりました。ちなみに、どうしてここを受験しようと思ったのですか?」
A2 「昔から生命を物理学の視点で理解したいという思いがあり......(後略)」
志望動機を準備してきた通りに答えた。面接官の中に第一志望の研究室のボスはおらず、心なしか、面接官たちが「話が長い、興味ない」と訴えているように見えた。ちなみに程度の質問だったのでそこをきちんと汲むべきだった。

Q3-1 「昨日の試験は難しかったですか?」
A3-1 「ええ、まあ......。バケガクはあまり勉強してこなかったので、化学の問題はよくわからなくて......。」
今振り返ってみれば、化学専攻受験者がしていい発言とは思えない。
Q3-2「そうですか。でも、この点数なら多分合格だと思います。まだ確定ではありませんが。他にどこか受けていますか?」
A3-2「え。えっと、北大.....とか受けています。」
突然の合格通知に衝撃を受けたが、第一志望の研究室に合格したと受け取ってよいものなのか分からない。数学専攻とまで言う勇気はなかった。すると、「もし辞退されるのなら、できるだけ早く申し出てください。繰り上げ合格などありますので。それでは、これで口頭試問は終わりです」と告げられ、あっという間に面接が終わってしまった。5分もかかっていないだろう。道理で順番が来るのが早かったわけだ。
面接が終わった後は、待機場所に戻るよう指示されていた。全員の面接が終わるまで帰ってはいけないそうだ。それでも、私の面接の1時間後には解散となった。乙宅に戻り、暑苦しいスーツから着替え、荷物を整えて実家に帰った。

・8月下旬から9月上旬
実家に帰ってからは、持って帰ったSwitchをフル活用してゼルダを堪能した(*1)。勉強道具も持って帰ってはいたものの、ゼルダがあまりにも面白くて手を付けることができなかった。院試から解放された私に対して、祖父は松茸懐石を、伯父はステーキをおごってくれた。祖母は変わらず料理を作ってくれたが、院試が終わったので、私も祖母を手伝い、一緒に唐揚げを作るなどした。
そうこうしているうちに、まずは京大の合格発表の日を迎えた。確認してみると、第一志望の研究室に合格しているようだった。まずは一安心である。その数日後、北大の合格発表の日が来て、北大にも合格していることが分かった。さて、今まで極力本気で考えないよう過ごしてきたが、どちらに進学しようか......。
少し悩んだが、今度は思考停止に頼る必要はないと感じた。東大ではなく京大を受けた理由である実家への近さに関しては、北大は東大以上に条件が悪い。また、立地と言えば、北大は研究室の立地のために人間関係が希薄になりすぎそうだ。LINEを交換した助教の先生が異動されるかもしれないと言う話もあった。私は京大への進学を決め、北大に入学辞退届を提出した。

以上が私の院試の顛末である。(私の院試体験 終わり)

(*1)ただし、その前に分子生物学のレポートを書いた。分子生物学の試験の成績が悪かったため、救済レポートを課されていたのである。

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