2018年10月10日水曜日

私の院試体験(3)

・7月中旬
TOEFL ITPの結果は無事届いた。試験会場にいた生協の人に、疑ってごめんなさいと心の中で謝った(*1)。結果は593点であった。過去問演習のとき(確か560点くらい)と比べれば、これは非常に良い点数だと言える(*2)。
さて、レポートの方では、最後の5章にどうしてもわからない点が残った。期限の都合上、今から位相空間を勉強するわけにもいかなかった。どうしようもなかったため、5章ごとなかったことにするか、しれっとそのまま提出するかの二択になった。少々迷ったが、もうすぐ夏休みなので、口頭試問までに勉強して何とか取り繕えば良いかと思ってそのまま提出してしまった(*3)。とはいえ、その弱点以外は概ねまともなレポートになっただろう。TOFELの結果も良かったし、レポートもまあまあまともだし、そもそも受ければ受かる研究室のはずである。北大に一式郵送した私は、とりあえず北大は受かったも同然だと思った。

・7月中旬~下旬
これで北大関連は一息ついた。いつの間にか北大が本命みたいな雰囲気になっていたが、元を正せば北大は受かりそうだから受けたのであった。しかし北大を含めてどこを本命にしたものだかよくわからない。統合自然科学科というふわっとした学科に入ってふわっとした勉強をして来たものだから、関連分野が色々あるのだ。とりあえず東大理物か京大の理化・物になるだろうか(*4)......。この二つは日程がかぶっていたので、二者択一である。また、実は東大にせよ京大にせよ2つくらいしか研究室を見ていなかった(*5)。従って、研究室の志望順位表に2,3個ほどしか書けないことになる。これは困ったことだ。
これは数ヶ月前からずっと懸案事項だった。北大があったおかげで思考停止できていたが、北大のレポートも終わって、東大と京大の出願締め切りが近づき、この懸案事項をどうにかしなければならなくなった。そして、なんとなく理物の方が方向性が近い気がするし、実際理物を受けてもよかったのだが、なんとなく京大に出願した。なんとなく、というのは、思考停止である。私は思考を停止しないと何も決められないたちなのだ。前からだいたいこんなことになる気がしていて、京大の方の出願書類だけ手元に用意してあった。
とりあえず、いっぺん京都で学生をやってみたかったというのはあった。また、私の実家は兵庫県西部に位置しており、京都ならば大学院生活に疲れてしまったときに実家に帰って休みやすい。実家の環境が最高かと言われればそうでもないのだが、実家にいればとりあえず生活をやっていくための負担が確実に減るし、柔らかいベッドもウォシュレット付きトイレもあるので体を休める上で有利である。とはいえ、これらのことが研究の内容よりも優先すべき事項なのかと言われると返答に窮してしまう。それも、私の場合、やりたいことのふわふわさや理論生物学が未確立であることが原因で、東大に行くのと京大に行くのとでは研究の方向性が全然違ってくるのだ(*6)。結局、私は伝家の宝刀(*7)である思考停止を発動することになったのだった(*8)。(続く)

(*1)「(私ならそうする)」なんて思っていたが、心を入れ替える必要がありそうだ。
(*2)しかも精神攻撃を受けながらの受験である。
(*3)こうして出来上がったのが「ロジスティック写像(1)」「(2)」だ。
(*4)東工大の先生は東大理物に移ることが決まっていた。
(*5)尤も、北大は1箇所しか見ていない。
(*6)もちろん北大も全然違う。
(*7)学部入試や東大退学未遂のときもこの思考停止を発動している。まあ、思考停止は恋愛みたいなものではないだろうか。みんないつの間にか思考停止して人生をやっているのではないだろうか。恋愛はやったことがないし何も知らないので想像だが。
(*8)こういう経緯であるから、どうして京大を受けたのかと人に聞かれたときは、今に至るまで全て適当にはぐらかして答えている。

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