2019年11月15日金曜日

[R-18]CBDオイルと催眠音声

この記事では、成人向けコンテンツの話題を扱う。従って、18歳未満の方のこの記事へのアクセスを禁じる。また、当然ながら性表現が含まれるため、苦手な方は注意してほしい。 「続きを読む」は、以上を了解の上でクリックされたい。

2019年11月11日月曜日

物理学と哲学の接点: 「谷村ノート」の感想


いわゆる「谷村ノート」が議論を呼んでいる。物理学者と哲学者が「時間」について議論して、話が噛み合わなかったというのが事の発端で、その議論について物理学者側から振り返ったものがこのノートのようである。
私は学部で物理を少し勉強したことがあるだけの人間で、特にこれらの問題について深い知識を持ち合わせているわけではない。問題のノートに関しても、よく分からない部分、興味を持てずに読み飛ばした部分が多々あった。そもそも元となった本も読んでいない。従って私の感想など傾聴に値するものではないだろうが、さとう君の「是非いろんな意見が聞きたい」というツイートを(自意識過剰にも)このブログに対するリクエストであると解釈して、つらつらと書いてみることにする。
なお、私が読んだのは2019年11月5日の増補版であり、ページ数の表記もそれに従うことにする。

・「物理的状態に帰すことのできない意識状態があるか?」(p. 13)
私の考え:「青山氏の言う通り、『細胞内のすべての分子・原子・電子たちが物理的・化学的にまったく同一の状態であり、ただ意識状態だけが異なっているということは、あり得る』と思う」

私は、谷村氏の言う通り、『人間も究極的には原子や電子からなる物理的なシステムである』と信じる。だが、その後に続く『物理状態ではない「何らかの状態」が人間やその他の動物に備わっているとは私には思えない』の部分については賛成しかねる。私は、『本心から、「我々が抱く主観的な意識は、身体については物理的にまったく同一状態であっても、意識状態は異なっていることがある。あるいは2つのシステムが物理的にまったく同一の状態にありながら、意識状態だけは異なるような事態が、現実にあり得る」と信じて』いる。このことについて少し説明したい。
そもそも、2つの物理状態をとってきて、それらが「同一」であるとはどういうことだろうか。それは、その2つの物理状態が、あらゆる(物理的)測定において、同じ測定結果を与えるということに他ならない。すなわち、物理状態が同じであるときに「同じ」であると言えるのは、測定可能な物理量とその組み合わせで表現できるものに限られる。では、意識は物理量とその組み合わせだけで表現できるのだろうか。
私は、必ずしもそうであるとは思わない。これは人間の知覚の限界であり、それに由来する測定という方法の限界である。私は、例えば頬をつねられている人を見ると、「痛そうだ」と思う。これは、その人の「痛み」そのものを共有しているからではない。私が頬をつねられたときに「痛い」というのは、似たような状況で以前にも周りの人が「痛い」と言っていたからである。私と他人が共有できるのは状況だけである。以前に見聞したのと似たような状況になったとき、私は「おそらくこれが「痛い」ということなのだろう」と推測して、「痛い」というのだ。
私のいう「痛い」が、他人の「痛い」と同じである保証はどこにもない。「痛い」という感覚自体は、どうやってもその人と共有することはできない。例えば私の複製を作り、その複製に私と全く同じ刺激を与え、私と全く同じ物理状態を持った人間「私'」を作り上げたとしよう。しかし、その「私'」が「私」と同じ「痛み」を感じている保証がどこにあるだろうか。どうすれば二つの「痛み」が同一であることを証明できるだろうか。そんなことはできないのである。仮に私が超能力者で、「私'」と互いにテレパシーを送り合うことができたとしても無理である。私が受け取った感覚が、「私'」の送った感覚と同一であることはどうやっても分からない。いくら脳や神経を構成する物質のありようを調べたとしても、もし脳のハミルトニアンを書き下せたとしても、そこから私の「感覚」は演繹的には出てこない。「調べたところ、あなたの脳は今これこれの状態になっています。つまりあなたは痛がっていますね」ということはできるだろう。だが、「脳がこれこれの状態にある」とき「痛い」のだ、ということは、「痛がっている」人間をたくさん作って、その状態を調べたからこそいえるのだ。「痛み」そのものを共有できない以上、「痛がっている」から「痛い」というのは必ずしも成り立つわけではない。
意識状態が物理状態と本質的に異なるのは、意識状態には原理的に測定不可能な部分、実験的に検証不可能な部分が含まれているという点である。そして、その検証不可能な部分に非物理過程の入り込む余地が残されている。
意識について、どこまでが「検証可能か」を考えることには意味があるだろう。そして、哲学者の側には「原理的に検証不能だと分かっている部分」について、物理学者の側には「実際に実験で検証することが可能だと分かっている部分」について、それぞれの領域を少しずつ広げていく、ということを仕事として期待している。両者がぴったりとくっついて接し合ったとき、それぞれの領域を画定したということ、すなわち「意識の問題を解明した」ということになるだろう。
その一方で、実験的に検証不可能な部分について、言語を用いてあれやこれやということは、なんとでもいうことができる不毛な営みであると言わざるを得ない。そうした問題には、私は一切の興味を持つことができない。「クオリアは実在するか?」などは、そうした私の興味の埒外の問題の具体例である。「原子・電子の物理状態ではない様式でクオリアは実在すると主張したいのであれば、それはどのような実在なのか説明してほしい」という谷村氏の要求は、物理学寄りの立場である私から見てもちょっと無理筋だと思う。

・「時間に「始まり」はあるか」 (p. 25)
内容に興味がなかったので、第3章のほとんどは読み飛ばした。検証不能な言説であるように見えるし、私はどうでもいいと思う。

・「我々の時間に関する言語と常識をもってして全宇宙の始まりの頃の時間や全宇宙の時間の全貌を語ったり推しはかったりできるだろうか?」(p. 57)
当然、できるはずがない。私が哲学者による言語的考察に期待するのは、言葉の乱用による混乱を解きほぐすこと、無意味な問いを排除すること、人間の思考の原理的限界を明らかにすること、「痛い」というような言葉の用法の本質を解明すること、などである(*1)。
p. 57で、谷村氏は次のように言っている。
「1 個の電子は、左の窓と右の窓の場所に同時に見つかることはない」という命題は、 「1 個」とか「場所」とか「同時」の語義からして、真であるに決まっているように思 える。この命題は量子論においても現実の電子においても正しい.また、上の命題から 「1 個の電子は、左の窓と右の窓のどちらか一方のみを通る」と推論したくなる。しかし、量子論によればこの推論は正しくないし、実験事実もこの命題を支持しない。
私が哲学の側から物理学の側へのフィードバックとして期待するのは、まさにこのような点に関する気づきである。二重スリット実験に初めて接したとき、よほどの異常者でもなければ、誰も「1 個の電子が、左の窓と右の窓の両方を通った」などとは思わないだろう。だが、谷村氏が指摘する通り、「1 個の電子は、左の窓と右の窓の場所に同時に見つかることはない」から「1 個の電子は、左の窓と右の窓のどちらか一方のみを通る」は導けないのだ。つまり、現実世界のありように関わらず、可能世界として「1 個の電子は、左の窓と右の窓の場所に同時に見つかることはない」かつ「1 個の電子が、左の窓と右の窓の両方を通る」というのはありうるのだ。そして、(現実世界は置いておいて)可能世界としてどういう理論があり得るかというのは、哲学で扱って答えを導き出せる問題だと思う。そうして得られた気付きは、量子論を構築するための一つの種となってくるだろう。もちろん、可能世界に関する考察がきちんと現実世界に関する問いへの解答として機能するためには、物理学の十分な知識が必要となってくるはずである。そこに誤解があるかどうかをチェックする段階では、物理学者の出番ということになる。
私は、哲学者に対して、我々が日常的直観に基づき作り上げたロジックの穴を見つけるという仕事を期待している。そうした仕事が、まだ理論的に説明できていない現象の思わぬエレガントな説明の仕方を考え出すための手がかりになってくるはずである。
もし本当に哲学者が現実世界を無視して可能世界のことだけに興味を持っているのであれば、なんとでも言えるだろうし勝手にやっていてくれとしかいいようがない。多分それは杞憂だろうと思っている。

・「○○は実在するか」(p. 58)
存在性、実在性の問題は、確かに言語的考察で解明できないだろう。この手の問題は難しいので、私は考えたくないし、考えても絶対に自分には分からないという確信がある。だから見なかったことにしようと思う。

・「「太陽が地球の周りを回っている」という直観の否定ほど、現在の物理学は明確に「時間が経過する」という直観を否定できているのだろうか」(p. 62)
このノートで引用されている森田氏の主張は、毎回毎回意味不明だと思う。その意味不明さは、谷村氏が指摘している通りである。なんでこんなに意味不明な文章になっているのかよく分からないが、ともかく、私の理解の範疇を超えていることは確かである。

・「哲学者たちはそうやって、百年経っても、千年経っても、他の学問の知識の蓄積・洗練とは無関係に、大いなる疑問を掲げて、振り出しに戻って、議論を繰り返すつもりなのだろうか。」(p. 70)
これは実際のところどうなのだろう。私も気になる。
私は、先の量子論のくだりで触れたように、他の学問が発展すればそれだけ哲学で扱うべき問題も(大きな問題に立ち返るのではなく)細分化されて増えてくると思っているし、哲学者たちはこの質問に対してNOと答えてくれると信じたい。哲学者がどういう考え方をしているのか知らないが、細分化された小さな問題に一つ一つ地道に答えていくことがやがて大きな問題を解明することにつながる、というのが普通の考え方だろう。逆に、この質問にYESと答えるようであれば、あまりにも常識離れした態度であるし、他の分野の研究者から「哲学は単なる言葉遊びだ」と見なされても文句は言えまい。
哲学も問題を立ててそれを解くために行われている営為だと信じているし、そうでないのなら、それは真摯な態度ではないと思う。哲学のほとんどは訳が分からないため、私のような素人にとっては、どっちなのか全くもって区別がつかない。こう言った異分野交流の場でくらい、哲学者の側からもうちょっと歩み寄ってくれてもいいのになと思う。

・「絶対的現在は存在するか?」、「時間の経過は実在するか?」(p. 101)
この辺の哲学者の問題意識はさっぱり分からない。何をもって「存在」というのかがよく分からないので、何も分からないしコメントのしようがない。森田氏には、分からせようという気があるのだろうか。『少しでもこの問題意識を(それが真の問題だと考えるかどうかは別として)共有していただけたなら成功であるといえるだろう』というわりに、あまりにも言っていることが難解すぎるし、私としては好感が持てないなと感じた。
この点、谷村氏の「絶対的現在は定められるか?」「時間の経過という概念は物理的な意味を持つか?」という問題意識は明快である。解説もわかりやすく、印象がいい。

・全体的に
あとがきを読んで、谷村氏は真摯な人だなと思った。再批判を恐れず問題意識を文章を通じて明確にするという姿勢は尊敬する。言っていることの意味が分かる、何を問題としているのかが理解できるというだけでも、文章を読んでいて非常に安心感がある。物理の解説もきっと明快で上手なのだろう。
こうした真摯な人をもってしても、対話が成立しなかったというのは残念である。どうしたらいいのかは、ちょっと私には分からない。物理学者の側からは、これ以上できることはほとんど何もないのではないかとすら思わされる。それくらい谷村氏の態度は真摯である。尤も、哲学の価値に関して、そこまで言わなくてもと思う部分はある。だが、ここまで歩み寄ってここまで思索を深めた上でこの噛み合わなさを体験しているのだから、それも仕方があるまい。
難解極まる森田氏の主張はおいておいて、青山氏の言っていることはそれほど非科学的だとは感じなかった。谷村氏は哲学者の態度について色々な批判を述べているが、個人的には、谷村氏の批判は当たっていないと信じたいところである。

(*1)この考えは、大部分、苫野一徳氏の連載「はじめての哲学的思考」に由来している。

[11/11 追記1]
森田氏と谷村氏のやり取りは(青山氏とのやり取り以上に根本的なレベルで)噛み合っていない。森田氏はもともと物理学の研究で博士号を取った人のようである。それなのに、自ら物理学と哲学の分断を招いてどうするのだろうか。森田氏は、哲学者の重要な仕事である(と私が思っている)論点の整理を怠っているように思われる。その上で『「噛み合わないままに終わりました、そもそも問題が共有されていませんでした(伝わっていませんでした)。噛み合っていない点を明らかにしていくことが今後の有意義な課題です」で済ま』(p. 101)すような態度を取るようでは、不誠実との誹りを免れることはできないだろう。これでは、何もしていないも同然、科学哲学者としての職務放棄であるように見えてしまう。

[11/11 追記2]
青山氏との議論の噛み合わなさは、やはり「現象」という言葉の使い方における相違に一つの原因があるように見受けられる。それともう一つは「実在」である。これは単なる前提の違いによる悲しいすれ違い以上のものではなく、2章で谷村氏が展開している哲学批判(具体的には、「ほんのちょっとでも疑う余地があると思うと〜」(p. 23)のくだりなど)はほとんど当たらないものと思う。つまり、2.5節は藁人形論法になっているということである。唯物論の可能性と限界を画定することは、哲学上の重要な問題の1つだというのが私の認識である。唯物論の可能性と限界の画定作業というのは、「直観的に見て唯物論的方法で扱えそうなことがらを研究の対象にする」(p. 22)物理学者の在り方に対し、その直観の妥当性を検証することだと言い換えても良い。
ただ、哲学が(metaphysics: 形而上学というように)メタな学問であるからには、哲学者の方こそ異分野交流の際にその辺りの言葉の使い方に敏感になるべきだろう。もちろん、青山氏は言葉の使い方に敏感であるからこそ「クオリア」という用語を避けるなどしているのだろうが、これは異分野との対話なのだから、その意図が伝わらないのは褒められたことではない。(苫野一徳氏の考えに基づけば)そういった指摘をして、議論が建設的になるよう軌道修正することこそが哲学者の本領であるだろう。言語を扱った仕事をするからには、哲学者には、他の分野の人にも伝わるような問題設定の明晰な言語化をお願いしたいところである。
今回は哲学論文に物理学者がコメントを付けるという形であったが、一度その逆をやってみてほしいものだ。すなわち、物理論文を取り上げて、その哲学的意義を物理学者向けに解説するという営みである。これをすれば、谷村氏がいかに困難な仕事を成し遂げていたのか、哲学者の側にも実感を持って了解してもらえるのではないだろうか。

[11/12 追記3]
Twitterで少し補足をした。

量子状態の同一性であるが、第一義的には、「同じ方法で作った状態は同じ量子状態」とみなすことで定義される(清水 明『量子論の基礎―その本質のやさしい理解のために』 2.6節)。とはいえ、(どんな物理理論においても)物理状態の同一性の基盤が実験的な区別可能性にあることは変わらない。なぜなら、その第一義的定義がwell-definedであることは、自然科学において再現性が成り立っているという形で実験的に検証されることだからだ。なお、「痛み」に関する私の考察は、この『量子論の基礎』における同一性の定義をベースに展開したものである。

[11/12 追記4]
森田氏の主張の意味不明さについて考えていたが、谷村氏も指摘している通り、アプローチそのものに無理があるように見える。時間の客観的性質を哲学的考察から理解していくというのは、いくらなんでも無理だろう。物事の客観的性質は物理学の領分であって、物理学で解明不能な物事の客観的性質については言及するだけ無駄である、というのが私の立場である。主観性が本質的に介在する問題 ーー物理学で解明可能な問題はどこまでか、はこれに含まれる。測定とその解釈は人間の営みに他ならないからだーー こそを哲学的に考察していくべきだろう。どうも、取り上げている問題に主観性が本質的に関わっているかどうか、が青山氏の主張と森田氏の主張を大きく隔てているような気がする。例えば、時間の流れは主観の中で作り出されるといった仮定をおけば、似たような問題をもっと有意味に問うことができるのではないだろうか。
以上の考察から私の見解をまとめると、第二章のすれ違いは異分野コミュニケーションが成熟すれば自然に解決されるだろう、第三章については森田氏がスタート地点からして常人には理解不能なアプローチを取っているのが物別れの原因であり谷村氏の指摘は自然で妥当、といったところだろうか。もし森田氏が谷村氏の批判は誤解に基づいたものだというのであれば、それはそれで思考内容の伝え方に関する根本的な見直しを求めたい。

[11/12 追記5]
例えば、「我々が生きる意味とは何か」というのは、どう答えようとも合意に達しようのない無価値な問いであると思う。一方、「我々はどんなときに生きる意味を感じるか」は問う価値のある問題に見える。これは、客観性に関する問題を主観性に関する問題に書き換えたものだと見ることができる。主観性をできるだけ排除した世界の記述を行うのであれば、自然科学はその最も成功した方法論であり、(今の人類は)自然科学の立場で、数式を用いつつ議論を進めていくしかない。一方、「ある対象が人にとってどのように認識されるか」「ある対象は人にとってどのように知覚されるか」すなわち「ある対象が人の心に対してどのような(青山氏のいう意味での)現象を引き起こすか」といった類の問題については、言語を用いて分析する哲学的方法論が有効であるように思われる。
科学的方法論で記述できない客観的問題は、(現在と、その延長線上にある)人類の手に負えない、考えるだけ無駄な問題(がほとんど)である。そのような領域については認識不能なのだから検証不能なことをいかようにもいうことができるし、認識不能な以上どうなっていたところで人類には一切の関係がない。私が森田氏の主張内容に興味が持てなかったのも、この「考えるだけ無駄な問題」の領域に立ち入ってしまっているように映ったからだ。
物理学者と哲学者が対話する場合は、主観性と客観性にどのようなウェイトを置いているのか、問題意識の設定から慎重に行う必要がある。今回は、ここで合意が取れていなかった、このすり合わせを怠ったがために、議論はすれ違いに終わってしまった。お互い議論の拠り所が違うのだから、ただ物理学者に論文を渡してコメントしろというのは土台無理な話である。何を物理学者に求めるのかを哲学者の中でまず明らかにした上で、「これこれに客観性に関わる問題がある。見解が欲しい」のような形で注意深く問題設定を行わねばならない。これは物理学者が哲学者に見解を求めるときも同様である。
竹田青嗣氏の「欲望相関性の原理」という概念がある。ざっくりとした私の理解で言えば、
  • 我々は世界を自分の欲望に応じて認識している。
  • 我々はそのことを自分で確かめることができる。
  • 認識の在り方を欲望以上に遡って確かめることは原理的にできない。
というものである。苫野一徳氏は、この欲望相関性の原理に自身の哲学の基礎を置いている。一般に哲学は厳密なロジックによるものだと認識されているが、人間の心理に深く根ざした問題を扱うという点で数学や物理とは大きく性格を異にしている。先ほどの「痛み」の測定可能性についての議論からわかるように、人間心理の全てを唯物論的思考で扱うことには大きな困難がある。そのため言語的分析が馴染むのであろうが、今回は問題設定が十分に伝わっていなかったがために、哲学的分析が物理学者には「徒手空拳」(p. 23)に見えてしまったのだろう。
「哲学の議論はどのようなときに意味のあるものとみなされるか」という問いを立てると、今回の一件は哲学的に分析する価値のある事例になるだろう。哲学者の側にはこの観点からのフィードバックも期待したいところである。
この事件は、「問題意識を明確にすることなしに、異分野の人がただ集まっただけでは不毛な議論しか生まれない」という教訓を示唆していると言えるだろう。

2019年10月23日水曜日

おすすめTwitterアカウント5選

おすすめのTwitterアカウントを(勝手に)紹介しよう。特に解説は加えないので、Tweetから全てを感じ取って欲しい。

1)ALISON (@ALISON_airlines)
死ぬ事以外はかすり傷って言ってる人の前頭葉切除するやつやりたい

2)川崎 (@_rotaren_)
ちょっぴりエッチな女の子は嫌いですか?❤︎
                   ↑
       嫌いだつってんだろ
次この辺で見かけたら潰すぞ?

3)ドラゴンの季節 (@c_mfd)
アカデミックハラスメントの例
・指導教員が生きることを強要する
・指導教員が私生活で性欲を持つ
・指導教員がある一定の体積を持って存在している
・指導教員がやけにモチモチしている
・指導教員がセミナー中に破裂する
・指導教員が体積を持っていない
・指導教員が存在しない

4)自閉症連続体 (@uonomi_keiichi)
犬の鳴き声が立体的なので部屋がどんどん狭くなる

5)脳の液体 (@Sleeporgan)
三角形の穴からでた真っ白なイルカ、燃やしたらピクピクして、苦しそうにもがいていて、ざまあみろと思いました。気づいたら、ぼくがいるかでした。

2019年10月18日金曜日

理想のディストピア

私は比較的リベラル寄りの思想を持っていると自認している。すなわち、個人の自由を重視し、それに対する社会的抑圧に反発する。また、全ての人に平等に権利が与えられるべきであり、多様性は尊重されるべきだと考える。
この考えを推し進めて行くと、その先にはどのような社会が立ち現れるのだろうか。皆が自由で、平等に暮らせる楽園だろうか。いや、そこは決して楽園ではない。全体は部分の総和ではない。個々に幸福を追求する個人が集積した社会は、決して全体としての幸福を実現できないだろう。

それを最も分かりやすい形で我々の前に示してくれたものの1つが、自由恋愛市場である。資本主義経済を見ればたやすく分かるように、自由化には「富める者をますます富ませ、貧しき者をますます貧しく」し、格差を拡大させる効果がある。この効果を抑えるべく、所得再分配という制度が考案された。政府が徴税と社会保障を通して富裕層から貧困層へと富を移し替える仕組みのことだ。しかしながら、自由恋愛市場においてはそのような操作は許されない。お金と違って、生身の人間には感情があり、意思があり、そして人権がある。結果として、恋愛市場においては、その自由化の影響が露骨に現れる形で競争の激化と格差拡大が発生し、敗者の増加がもたらされることになる。こうしたモテない敗者たちは、「自己責任」という言葉で片付けられてしまっている。
付け加えるならば、恋愛が本質的に「政治的に正しくない」営みであることも事態を複雑化していると言える。自分の行動がセクハラになるリスクを完全に避けながら恋愛を行うことは、ほとんど不可能であると言ってよい。ある人が他者のセクシュアリティを尊重しようとすればするほど、その人は恋愛ごとから遠ざからねばならない。今やお見合いをセッティングすることも憚られるようになった。その結果、男女が結婚を希望しながらもマッチングしないということが頻発している(*1)。このように、個々人の自由の尊重が全体としての最適化をもたらさないということが往々にして起こるのである。

個人が自由になればなるほど、個々人の間での利害の対立は激しくなる。個人が解放されればされるほど、文化的、宗教的、政治的な摩擦が起きる。トロッコ問題的な状況において、全体のために個人を犠牲にすることが許されないのならば、全体を犠牲にすることを選ぶしかない。そして、たとえ全体を犠牲にしてでも個人の権利を尊重せよ、というのが私の思想である。それが平等原則を貫くということだからだ。
この考えを推し進めれば推し進めるほど、社会は「自由なはずなのに幸福でない個人」の集合体へと変質していく。そこで私が提案するソリューションが、麻薬と安楽死だ。この世界は、もともと皆が幸福になれるようにはできていない。これはもう諦めるしかない。だが、この世界には麻薬というものがある。現実を見るな。人間をやめろ。自分の脳をハックしろ。そこにユートピアは顕現する。通常の意味の幸福が得られないのなら、麻薬で"幸福"感を得てしまえばよいのだ(*2)。
しかし、麻薬によって得られる幸福は刹那的であり、いつまでも何度でも得られる類のものではない。夢から醒めれば、あとは不幸へまっしぐらだ。だから、その限界が来たら死ぬしかない。死ねばもうそれ以上は不幸にならないし、薬物乱用の反動に苦しめられることもない。どうせ幸福になれないのなら、麻薬でパーッと一時的にでも"幸福"感を味わって、それで満足して死んでしまえばいいのだ。

個人に限りない自由が与えられ、社会全体では激しい競争と対立が起き、そこに敗れた不幸な者たちは麻薬をキメた上で死んでいく。人間が死ねば死ぬほどに社会の機能は破綻して、不幸な人が増えていく。社会を構成する者は加速度的に減ってゆき、文明が維持できなくなって遂には人類が絶滅する。生という苦しみに支配される者はいなくなり、世界平和が実現される。
これが私が見据える「理想のディストピア」の姿である。

(*1)ref.「令和元年版 少子化社会対策白書」第1-1-15図.
(*2)ref.「麻薬の話」

2019年10月13日日曜日

麻薬の話

さて、リクエスト通り麻薬の話でもしようか。

一体なぜ、私はこうなってしまったのだろうか。どうして私はこんなに麻薬に傾倒しているのだろうか。昔はこんなではなかったはずだ。では、一体どこからこの麻薬好きは始まったのか。

......絶望からだ。

「続・私の院試体験(3)」で述べたように、私の底には絶望が澱となって積み重なっていた。私の憂鬱は、自らの生きる目的に起因するものだった。"呪縛"は、自分のアイデンティティに強固に根ざして剥がれなかった。苦しい。苦しい。苦しい。だが、自分が自分である以上、この苦しみからは逃れられない。勉強も、遊びも、食事も、自分に満足を与えないのなら。そして恋愛をすることも許されない(*1)のなら。何なら私を幸せにしてくれるのだろう。私は自分をやめたかった。
そのための手段として思い付いたのが麻薬だった。麻薬は、使えば強制的に幸せになれるのだという。麻薬なら、自分に喜びを与えてくれるのではないだろうか。私は目の前の苦しみから逃れたかった。麻薬によって多幸感に包まれた後、急性薬物中毒で意識を朦朧とさせながら死ぬ。理想の人生だと思った。
私は、そもそも自分なんて初めから生まれなければよかったのにと思っていた。だから、麻薬は、ある意味私にとっての希望だった。死は救い。死ねばもう頑張らなくていい。麻薬は、自分を多幸感で包んで救いへと優しく導いてくれる。私は疲れ切っていた。欲しい。麻薬が欲しい。麻薬を使って自殺したい。麻薬への渇望の餌となったのは、私の希死念慮だった。

私は諦念に支配されていた。それは、自分の人生は何をどうやっても良くならないという意味だけでなく、この社会は何をどうやっても良くならないという意味においてもだった。私は、平和を心から望んでいた。しかし、成長して大人になればなるほどに気付いたのは、この世界がいかにユートピアから程遠いかということだった。若かりし頃の私には、社会を良くしたいという気概がまだ幾分かはあった。こうすればもっと世界は平和になるのではないか。人類がこうなればもっとみんなが幸せに暮らせるのではないか。そういう理想を、自分なりに描いていた。
だが、己の憂鬱が深まるにつれて、そういったことが全てどうでもよくなってきた。自分が何をしようと無駄だ。自分が無力だとか、人類が愚かだとか、そういう次元の問題ではない。そもそも、世界がみんなが幸せになれるようにできていない。この世界は物理法則からしてクソなのだ。
人間は、根本的に苦しみと紐付けられている。人間は、その設計者の策謀によって無理矢理生かされているだけの、遺伝情報の捨て駒に過ぎない。つまり、我々が生まれてしまった時点で失敗なのだ。社会の存続、人類の存続なんてクソ喰らえだ。こんなゴミが続いたところで何にもならない、意味がない。苦しみを宿命づけられた可哀想な存在者どもをこれ以上増やす前に、とっとと絶滅してしまえ。......ただし、誰も苦しまないよう、平和的に。
私は、強力な麻薬が蔓延した世界を想像した。みんな、争いも、食事も、生殖も、何もかもがどうでもよくなってしまって、ひたすら退廃的に麻薬をキメては一人、一人と幸せそうに死んでいく。なんと理想的な世界だろうか。こんなカスみたいな世界は捨ててしまって、みんなでとっととあの世に行けばいい。そう、今の幸福だけが全て。幸せなんて刹那でいい、偽物でいい、破綻する前に死んでしまえばいいのだから......。

こうして私は段々麻薬について考えることにハマっていった。私は、少しでも明るく生きるために、自分の絶望を笑い飛ばそうと考えた。そして、その絶望に抗うための、希望の象徴こそが麻薬だった。だから私は麻薬を題材にした漫画を作り、自分のペシミスティックな思想をコミカルに描いた。これが思いの外ウケがよかったため、どんどんエスカレートして今に至っているというわけである。

(*1)ref.「続・私の院試体験(5)」

2019年10月3日木曜日

続・私の院試体験(13)

・2019年7月下旬
7月20日、筆記試験当日である。院試も3回目ともなると慣れたものだ。昼休みになって受験生たちがぞろぞろと教室を出て行く中、「試験会場で髭を剃っていたら白い目で見られた」と言って後でネタにしようと思い、一人無表情のままブイイイイインと電動カミソリで髭を剃った。だが、私の目論見に反して誰も目を合わせてはくれなかった。悲しかった。
肝心の試験であるが、熱力学が難しかった以外は特に苦労しなかった。そして、手応え通りにちゃんと一次試験はパスしていた。後は面接だけである。私は、もう受かったも同然だと思い、借りている部屋の管理会社に解約通知書を送り付けた。

・2019年8月上旬
8月1日、面接の日だ。朝5時に起きて新幹線に乗り、新幹線の中で仮眠をとった。面接には間に合った。事前に志望動機も取り組む研究テーマもA先生と十分に話し合っていたので、ほとんど形式だけの面接だった。
そうして無事A研に合格した。

・2019年8月中旬~2019年8月下旬
8月の中旬は、喘息の発作が出て思うように活動できなかった。部屋探しは9月に入ってから行うことにした。
8月末、「院試お疲れ様会をしよう」と言って、院試を受けたばかりの高校の後輩を京都まで呼び付けた(*1)。私は言った。
「院試お疲れ様。どう、手応えのほどは?」
「まあ、合格でしょう」
「さすが優秀やね。ところで、院試といえば、俺もこの前院試を受けてきたんよ。これを見てくれ」
私は東大の合格通知書を撮った写真を差し出した。
「え、京大辞めるんですか?」
「そう。やから君が京都の俺の家に来るのはこれで最後」
「!?」
「おー、いい反応やな。普段の言動が悪いんか、これ言ってもみんなあんまり驚いてくれんことが多くて(*2)。驚いてくれてよかった。サプライズ成功やな!」
「そうですね。普段の言動、悪いですよ」

・2019年9月
東京に出て、住む部屋を決めた。そこからは慌ただしい日々が過ぎた。引っ越し業者を頼み、賃貸の契約書類を書き、部屋の片付けをして、京都で住んでいた部屋を退居した。
9月20日、私は東京大学総合文化研究科に入学した。私は、京大を退学した旨をTwitterに投稿した後、時間をあけてから東京大学に入学した旨を投稿した(*3)。なかなか反響があったので良かった。
入学と同日に入居した。入学手続きと引っ越しの諸々が重なって大変だった。

・2019年10月3日
今、私はパソコンに向かって文章をタイプしている。現在の居場所は東京だ。私は再び東大生になった。まだ新学期は始まったばかりで今後どうなるかは分からないが、早速新しい友達もできたし、京大時代よりは楽しめそうな予感がする。前は成果を出すことを重視するあまり大きく空回りしてしまったが、今度は物理学の面白さを味わうことを第一の目標として、自分が心から研究活動を楽しめるよう精一杯頑張っていこうと思う。
半年間京都にいたのは、お金という意味では無駄だったかもしれない。私が浪費したのはつまるところ親のお金であり、両親には多大な迷惑と心配をかけたと思う。ただ、時間という意味では決して無駄ではなかったはずだ。A研に行こうと思えたのは、卒研で液体論をやっていたからという側面が大きい。そして、院で京大の化学専攻に行くことになっていなければ、そもそも卒研で液体論をやろうという話にはならなかっただろう。私がA研に行くためには、こういう回り道のプロセスを踏むことが必要であったのだ。
また、院で京大に行ったことは、恋愛においても重要な意味を持っていた。まず、東京を楽しもうと思って火力発電所に行ったことが、「彼女」をデートに誘うきっかけ、ひいては彼女に告白するためのきっかけになった。更に、京都に住んだことによって、彼女と同じ関西圏にいることができた。これも彼女にアプローチする上で有利であった。結局、院で京大に行っていなければ、私は告白によって自分の気持ちに区切りをつけることもできていなかっただろう。振られてしまったわけであるが、それも価値ある経験だった。副産物として、「初恋」という名作をこの世に生み出すこともできた。失恋の一件に関しては、反省すべきところは反省し、今後の自分の糧としていきたいところだ。
今回、東大を受けて合格したことにより、憂鬱と倦怠の泥沼からどうにか抜け出すことができた。しかし、これでめでたしめでたしかというとそうではない。私の中には、"呪縛"も、希死念慮も、解消しきれないまま残っている。ついでに言えば、恋人はいないし全くモテない。研究者としての業績もない。最近どうも便秘気味だ。加えて、音痴で運動音痴で方向音痴だ。本当に課題山積である。
とはいえ、自分の人生をより良いものにしていくべく、私はこれからも全力を尽くすつもりである。応援していただければ幸いだ。

以上が私の院試の顛末である。(「続・私の院試体験」終わり)

(*1)ref.「タチが悪い」
(*2)例えば、おくは全然驚いてくれなかった。
(*3)ref.「退学しました」 「4コマ漫画です。」

目次へ

2019年10月2日水曜日

続・私の院試体験(12)

・2019年5月6日~2019年5月15日
とりあえず、予定通り京都に戻ることにして電車に乗った。だが、次第に気分が悪くなってきたため、中書島駅(*1)で降りてトイレに行った。洗面台に向かい、身を屈める。胃が収縮し、胃液が食道を逆流する。私は、ついに嘔吐した。もう限界だと思った。私は、失恋の打撃がいかに大きなものであったかを悟った。私は止めを刺されたのだ。
私は、A先生にメールを送り、京大を退学してA研に行こうか悩んでいるという旨を伝えた。ひとまず、5月16日に研究室とゼミの様子を見せてもらえることになった。加えて、もらっていた診断書をスキャンし、京大の方の研究室の先生にメールで送った。私は、療養のための半年間の休みをもらった。私は大学に行くのをやめた。
それからは、家でひたすら「初恋」を執筆した。文章を書いていくに従って心境は次第に前向きになっていき、「初恋」は最初に考えていたよりもかなりポジティブな形で締めくくられた。出来上がった文章を読んで、私は達成感に包まれた。自分を絞り出すように書いた渾身の一作だった。これは傑作だ。振られた結果としてこんなに良い文章が書けたのなら、そんなに悪い体験でもなかったかもしれないな。私はそう感じられるようになった。

・2019年5月16日~2019年5月31日
私は東京に行き、A研のゼミに参加した。面白かった。やはり、理論化学よりも物理の方が性に合っているように思われた。A先生にも進路の相談に乗ってもらって、入学してからA研で取り組む研究テーマについて話し合った。また、A先生は総合文化研究科には秋入学の制度があるということも教えてくれた。
その後は、大学時代の友達に会って店の中で話し込んだり、一緒に五月祭(*2)に行ったりした。友達の何人かは「初恋」の記事に言及して、私を励ましてくれた。嬉しかった。
この間、私の調子は乱高下していた。A先生と議論したり、友達と話したりするのは楽しかった一方で、一人になると孤独感に苛まれ、吐き気に襲われることもしばしばだった。友達の前では努めて調子の悪いところを見せないようにしていたが、唯一僕を泊めてくれていたH君には吐こうとする声を聞かれてしまい、大きな心配をかけてしまった。
20日の朝、私は夜行バスで京都の街へと戻ってきた。それからは、家に引きこもって特に何もしない日々が続いた。

・2019年6月上旬~2019年6月中旬
私は、早く「彼女」の友達という地位に復帰したかった(*3)。6月1日、総合文化研究科の院試の出願に使うべく、大阪にTOEFL iBTを受けに来ていた。大阪からの帰り道、一月ほど経ったからそろそろ良いだろうとの判断のもと、私は彼女にメッセージを送った。そしてその結果、私は彼女に絶縁された(*4)。
彼女と音信不通になったことは大きなショックだった。恋愛感情も抱いていたとはいえ、その基盤にあったのは彼女に対する友情だった。彼女は、異性の中では一番親しい友達だった。それなのに、もう私は彼女の友達でない。喪失感が大きかった。大切な友達だと思っていたのは私だけで、彼女にとって私は簡単に切り捨てられるどうでも良い存在だったのかもしれない。いや、多分向こうにとっても私は異性では一番の友達だったはずだ。だったらなぜ、一体どうしてこんなことに......。執筆と休養によってポジティブになりかけていた心境は、再びネガティブの沼へと逆戻りした。
ただ、これによって総合文化研究科に出願するための決心はついた。こうなってしまえば、もうどう抗おうとも彼女の恋人になれないことは明白だった。彼女とは物理的にも距離を置いた方がいいのかもしれない。私は院試の願書を書き始めた。A研に落ちたら、今の研究室に残ればいい。私はA研単願にした。
しばらくすると、TOEFL iBTの結果が届いた。私は院試に出願した。

・2019年6月下旬~2019年7月中旬
6月中旬までは、塞ぎ込んでほとんど家に引きこもっていた(*5)。
6月24日、友人「おく」と造幣局を見学した。造幣局自体はさほど面白いものでもなかったが、友達と会ったことで多少なりとも元気が出た。翌日から、私は銭湯に行ったり植物園に行ったりして京都で色々遊ぶようになった。
そんなことをしているうちに、気付けば院試の筆記試験は目前に迫っていた。とりあえず過去問でも解くかと思い、時間を計らずに過去問を1年分解いた。えっちらおっちら解いていると、いつの間にやら院試の前日になっていた。結局、過去問1年分しかまともに勉強できなかった。
私は、前泊させてもらえるよう頼んでいた友達の家に行った。夕食としてスーパーで買ったプチトマトと木綿豆腐とバナナを食べ、軽くシャワーを浴びて眠りに就いた。(続く)

(*1)京阪本線の駅。私は、京阪線で京都大学の最寄駅である出町柳駅へと向かっていた。
(*2)第4回キムワイプ卓球研究会に参加するため、私はA先生に会った後も数日間東京に留まり続けていた。
(*3)私は、彼女にとって何でも相談できる相手 ーー彼女の親友ーー になりたかった。ref.「縦糸」
(*4)ref.「決意」
(*5)ref.「9/9: 銀行」

目次へ