2020年11月9日月曜日

Twitter広告

そういえばTwitter広告の話をまだしていなかった。

私のblogのアクセス数は、大体1記事100程度である(*1)。私1人で10回くらいアクセスしているから、実際はもっと少ないと見ていいだろう。たまにblog経由で私のフォロワーになってくれる人がいるが、基本的に身内しか読んでいない。
別に人生をウケに捧げて大バズを狙うつもりはない(*2)のだが、身内だけに限ってみても「無KのK」の固定ファンは3人だか20人だかいるわけで、読みさえすれば私の記事を気に入ってくれる人はもっといるのではないかと思う。ただ、どうやって身内の壁を越えて潜在的なファンまでリーチするのかが問題である。

そこで、約5,000円を投じてTwitter広告を打つことにした。このblogには今のところ全く広告を貼っていないから、blogによる収入は0円である。今後収入が生じる見込みもない。それなのに宣伝費をかけるのは、単なる私の酔狂だ。

実際のツイートがこちらである。

何か写真があった方が人目を引くだろうということで適当に写真を選んだ結果、箱で運ばれる鶏3羽の写真になった。これは確か、京大のクジャク同好会の新歓で鳥の丸焼きを食べたときの食材の写真だ。
私は以前アメリカに行った(*3)際に砂漠地帯を訪れているので、今にして思えばそのときの写真を使えばよかったのだが、どういうわけだか鶏3羽の写真である。まあ砂漠でも鶏でも大して変わりはないだろう。どちらも物質であるという点では同じである。

結果はイマイチだった。費用¥4,521に対して、リンクのクリック数は433だった。
プロモツイートには現在17件のいいねがついているが、うち8件は私のフォロワーによるものだ。私のフォロワーが増えたわけでもなく、どこかで言及されたわけでもない。あったことといえば、私の後輩に「何やってるんだコイツ」と思われながらプロモツイートのスクショを撮られたことくらいだ。

ちなみにpairs(マッチングアプリ)の男性3ヶ月プランは約7,000円だった。本来の目的で有効活用できたのかはこの際問題にしないことにして、ブログの読者を増やすという意味ではこちらの方が余程効果的だった(*4)と言えるだろう。

(*1)たまに1000くらいいくこともある。「続・私の院試体験(1)」は今見たら913アクセスになっていた。
(*2)そこまで人を面白がらせる才能もない。
(*3)ref. K鳴狗盗: 思い出の石
(*4)読み手の反応をダイレクトに聞けるというのも良かった。

2020年11月6日金曜日

催眠音声を聞いてみよう!(R-18 ver.)

noteに「催眠音声を聞いてみよう!(全年齢向け)」という記事を書きました。この記事では、催眠音声初心者の方に向けてnoteに書けなかった成人向け音声の紹介をします。18歳未満の方は閲覧をご遠慮ください。

2020年11月4日水曜日

ビッグミントタブレット

私はタブレット菓子をよく食べている。タブレット菓子というのは、ミント風味の香料を人工甘味料と一緒に固めた錠剤型のお菓子のことである。フリスクとか、ミンティアとか、そういうやつだ。食べると脳が刺激されて集中力が上がる気がする。昔はガムをよく噛んでいたのだが、噛みすぎて顎が痛くなったのでやめた。

特によく食べているのが、トップバリュのミントタブレットという商品だ。箱ではなく袋に入っていて、ミンティアやフリスクよりも容器包装のプラスチック量が少なくちょっとエコな感じがする。
いつものようにスーパーに行ってみると、ミントタブレットの隣にビッグミントタブレットという商品が並んでいるのを発見した。通常版のミントタブレットよりも一粒一粒が大きいらしい。重量当たりの価格で比較するとこちらの方が少し安いようだ。私は喜び勇んで、ストロングとクールの2種類を購入した。

ミントタブレットとビッグミントタブレット(表)

早速開封して食べてみた。

......ん?こんな味だったっけな。

比較のため通常のミントタブレットを食べてみるが、やはり味が違う。ビッグの方は少し苦いように感じられる。食感もボソボソしているし、噛んだどきに鼻に抜ける清涼感もやや弱い。何か妙だ。裏面を確認してみた。

ミントタブレットとビッグミントタブレット(裏)

何と成分が違うではないか。ステアリン酸カルシウムが乳化剤に相当するのかどうかはよく分からないため置いておくとして、ビッグのストロングの方はカフェインが入っていない。クールはもっと違いが顕著で、甘味料の組成が全く違う。道理で味が違うわけだ。
更に見てみると、作っているところも違うようだ。通常のタブレットは日本のカバヤ食品が作っているが、ビッグミントタブレットは韓国のメーカーが作っている。韓国のメーカーの名前は出ていない。値段と大きさと味と食感と原料と製造メーカーが違うとなると、それはもう全く別の商品というべきではないか。大方、イオンの担当者が韓国メーカーのお菓子に目をつけ、ガワだけ変えて自社ブランドで売り出そうと考えたのだろう。「韓国だからよくない」「韓国製品は全部ダメだ」といった、相手してはいけない系の人みたいな主張をするつもりは毛頭ないのだが、騙された感じがするのは否めない。
安いからと言って書い続けるのも癪である。フリスクかミンティアに乗り換えようか迷っている。

2020年11月3日火曜日

君は植田一石先生の授業を受けたことがあるか?

学部3年の頃、数学科の植田一石先生による「構造幾何学」という授業を受けていた。内容は位相力学系の話だったのだが、この授業で印象的だったのはむしろ雑談の方だ。植田先生は、今まで私が授業を受けてきた中でも最も脱線の激しい先生だった。
ある日は、力学系における測度論的エントロピー(Kolmogorov-Sinaiエントロピー)の話だったのだが、エントロピーから情報エントロピー(Shannonエントロピー)の話になり、情報といえばということでなぜか北欧のスパイの話になった。また別の日は力学系のζ関数と構造行列の関連についての話だったのだが、ζ関数といえばということで「ζ関数を神と崇め奉っている危ない人達がいて、その人たちの前で引数をs以外の文字で書くと逆鱗に触れる」というなんだかよくわからない話に脱線した。
試験も印象深いものだった。植田先生は前々から「授業最終日に試験の予想問題を配る」とおっしゃっており、我々学生は「自分で自分を予想するのか......」と困惑していたのだが、いざ試験当日になってみると予想問題がそっくりそのまま配られたのである。予想的中率100%であった。

とにかく始終がそんな調子で、まるで講義を聞くというより夢を見ているかのような、非常に独特な授業だった。そんな植田先生の授業は東大に通わないと味わえないものだと思っていたのだが、先日こんな動画を発見した。読者の皆様にも紹介しよう。

2017年度 沼田市中学生のための玉原数学教室

これは植田先生が中学生向けに講演されたときの動画である。相手が中学生といえど全く遠慮せずいつもの冗談(冗談かどうかも定かでないが)を飛ばしていく、アクセル全開の授業だった。百聞は一見に如かずというように、是非冒頭だけでも見てほしいのだが、のっけから

・厨二病感を出そうと思って「無限の話」というタイトルにした
・「無限の話」というと「数学における無限について話をする」のか「いつまでも話をする」のかわからない
・これはわざと曖昧にしている
・日本語の曖昧という言葉自体が曖昧で、「曖昧」には「ambiguous」「vague」の二つの意味がある
・「いつまでも話をする」といったが、死んだら話ができないので現実にはできない
・そうでなくてもご飯を食べなくてはいけない
・「無限」を表す記号には「∞」だけでなく「א」がある(黒板に書くが、書けていない)
・「א」が書けない数学者はよくあることだろうが、更に重症になるとひらがなが書けなくなる
・私はそこまで重症ではない
・数学は抽象的な学問
・「抽象」の対になる言葉として、ここでは「具体」ではなく「捨象」を取り上げる
・インドとかにいるあの大きなゾウを捨てているということで、いかにもいっぱい捨てていそうな感じがする

という具合に話が進んでいくのだ。これでも一応冒頭を要約したつもりである。一体いつから本題が始まるのか、それとももう本題なのか、この講演は一体どこに向かっているのか、さっぱりわからないまま聞き進めないといけない。これを最後まで聞いていた中学生は、一線で活躍する本物の数学者の話を聞いて、果たして何を感じ取ったのだろうか。


植田先生の話が聞ける動画は他にもある。次に紹介するのは植田先生が着任されたときのインタビュー動画で、これまでの経歴や研究姿勢について紹介するという趣旨のものである。これが真面目なインタビュー動画と思えないほど面白く、一部の学生の間では語り種となっている。

2015年度 ビデオゲストブック

私が思う見所を2つ紹介しよう。
  • 4分30秒くらいから、「文系の女子大生を2人向かい合わせて立たせて、1人に「かわいい」と言わせると、お互いに「かわいい」「かわいい」と言い合って「かわいい」が共振増幅されてレーザーが出る」「東大数理の学生を2人向かい合わせて立たせて、1人に「賢い」と言わせると、お互いに「賢い」「いやお前の方が賢い」と言い合って「賢い」が共振増幅されてレーザーが出る」というくだりがある。
  • 13分くらいから、「内容が分からなくても90分間セミナーに出続けろ、そうすればボディーブローのように効いてくるから、という教えがある」「ボディーブローのように効くということはそのセミナーに出続けると倒れるのか」「鍛えていない普通の人はボディーブローを受けたら一発で倒れる」というくだりがある。
何がどういう流れでこんな話になったのか。それは君自身の目で確かめてくれ。

2020年10月25日日曜日

芝公園の妖怪

知り合いに国語の教員をしている女性がいる。昨日、彼女から、マッチングアプリで知り合った男性と会ってみたらひどい目に遭ったという話を聞かされた。仮に、女性側をA、男性側をBと呼ぼう。


AとBは夜の芝公園で会った。当然2人は初対面である。Bは慶應の文学部出身で、大学では歴史を勉強していたという。Bは背が高く、顔立ちも整っていて、自信家のようであった。だが、よくよく話を聞いてみると、Bの発言は言っていることの意味がよくわからないのである。

例えばこうだ。
B「君は感覚派なんだね。感覚派なのに、君はこんなにも美しい」
A「どういうこと?」
B「理論ではなく、感覚で物事を捉えている。美しい薔薇にトゲがあるように、君の容姿に惹かれた人は感覚派というトゲに刺さってしまう」

どういうことなのか全くわからない。何が「なのに」なのだろうか。一体どの点で逆接になっているというのか。感覚を重視することと、容姿に何の関係があるのか。感覚派なのはトゲというべきことなのだろうか。
そもそもAは別に感覚派ではない。

あるいはこうだ。
B「(東京タワーのライトアップを指して)高校生の頃、初恋の人に僕はここで告白したんだ」
A「ロマンチックだね。成功したの?」
B「成功すると思うよ」

意味がわからない。成功すると思うとはどういうことなのか。Bがここで告白したという出来事は本当にあったことなのか。果たして過去は実在するのか。それとも、過去なんて全部消えてしまっていて、'今'以外この世界のどこにも残っていないのだろうか。

しまいにはこんな感じになったらしい(*1)。
B「君はたぬき顔だね」
A「うん」
B「タレ目だし、お腹もポンポコで(*2)」
A(失礼だな......)
B「僕は犬顔なんだよ。街を歩いていても小型犬は吠えてくるんだけど、大型犬はお辞儀してくるの。犬には僕が賢いってことわかるんだろうね。犬顔だから」
A「私がタヌキに親近感湧くのと逆の話かな」
B「子犬だと思って拾ってきたらタヌキだったって話もよくあるしね」
A「……タヌキってイヌ科だもんね」
B「うん」

「うん」ではない(*3)。

Aは、東京タワーのライトが消えたことに気がついた。東京タワーの消灯時刻は午前0時だ。終電まであと4分である。このままここにいるとヤバい。Aは、トイレに行くと言って(*4)、Bを残して一目散に逃げ去った。Aは身の危険を感じていた。貞操の危機であれば、マッチングアプリを始めた時点で事前に想定することはできていた。しかしそこにあったのは、もっと別の何か ーー脳への危険ーー だったのだ。


一連の話を終えたAに対し、私は重たい沈黙を放っていた。Aは、私に大丈夫かと尋ねた。私は、Bに関する話を聞き、それに相槌を打っているうちにみるみる生気を吸い取られて、それが見て取れるほどに衰弱していた。
Aは「他の人にもこの話したけど、(貞操の危険ならともかく)私が感じた危険はなかなか分かってもらえなかったから、分かってもらえて嬉しい」と言った。聞けば、この話でダメージを負ったのは私が初めてということだった。
私は答えた。「論理がおかしくて......ヤバかった。脈絡がなく話が飛ぶとかじゃなくて、もっと理解ができないやつやった。俺は文章を書くのが好きやけど、やからこそダメージを負ったというか......この話を聞き続けると、俺は俺の文章を書けなくなる気がする。他の人は、話を聞きながらそこまで論理の流れに注目していないのかもしれない。君は国語の先生やから、意識的にせよ無意識的にせよ、接続詞に注目して聞いているやろうし」
ここまで言って、私にある考えが浮かんだ。「これって、妖怪とか、物の怪の類やったんじゃないやろか。ほら、目を合わせてはいけない妖怪みたいな話あるやん。それの論理バージョン」
Aは言った。「じゃあ、あのまま話を聞き続けたら......」
私は答えた。「"あっち側の世界"に取り込まれて、帰ってこられなくなる」
Aは言った。「東京タワーが12時に消えるってこと知っててよかった。知識は身を助くね」


その夜、いつものようにTwitterをしていて、1つのツイートが目に留まった。

 これは私のサークル友達のツイートである。これを見て、私には思い出すツイートがあった。

私ははっと気が付いた。世間に潜む妖怪はこいつだけじゃない。他にもいるのだ。特にキャバクラなんて、妖怪たちの伏魔殿とでもいうべき場所ではないか。
キャバ嬢が客の話を聞かないのは自衛のためだ。仮に客の話を聞いているキャバ嬢がいたとしたら、彼女たちは既に異界へと連れ去られてしまっているのだろう。だから、客の話を聞かないキャバ嬢だけが、"人間"としてキャバクラに留まることをできているのだ。

異界は存在する。仮に身の回りで妖怪に遭遇したとして、決して興味本位でまじまじと見つめてはならない。あなたが深淵を覗くとき、深淵もあなたを覗き返しているのだから。


(*1)他にもたくさんエピソードを聞いた気がするが、あまり思い出したくない。
(*2)Aは別に太っていない。
(*3)この話を聞いた私は、「へー。たぬきってイヌ科なんや!」と相槌を打った。それ以外に発言しようがなかったからである。
(*4)以前にBも別の女性に対して似たようなことをしていたらしい。私は、一目散に逃げたという部分を最初に聞いた。そのときは、「引剥をする羅生門の下人かよ」と茶化せるだけの余裕がまだあった。

2020年8月30日日曜日

安倍首相の退陣に寄せて

2012年末以来日本の首相を務めて来た安倍氏が、持病である潰瘍性大腸炎の再発を理由に辞意を表明した。潰瘍性大腸炎は難病であると聞く。安倍氏も首相である前に一人の人間であり、その政治的影響力をもってしても病の前には無力である。持病が悪化したことに関しては気の毒に思うし、一個人として、まずは一言「お大事に」と言いたい。

一方で、病人を労ることと、政治家としての仕事を批判的に評価することは全く別の問題である。各政策の良し悪しは抜きにしても(*1)、7年半に渡る安倍氏の政権運営は不誠実との謗りを免れ得ないものだったと私は思う。
第一に、森友・加計学園問題、「桜を見る会」、IR汚職事件など、様々な疑惑が発生した。これらの疑惑に安倍氏がどこまで直接の関与をしていたかは不明であるが、透明性に著しく欠けていたことは確かだろう。
第二に、質問への回答になっていない答弁や、論点をずらすような答弁が目立った(*2)。いわゆる「ご飯論法」として揶揄される、屁理屈めいた表現を多用することで国会に誤解と混乱を生じさせ、問題の真相解明を遠のかせた。
第三に、森友学園問題に関して公文書改竄が行われていたことが発覚した。麻生氏は財務相として官僚の仕事を統括する立場にありながら、事件の責任は全て官僚側にあるかのような発言をするに終始し、再発防止策を示すこともなかった。2018年3月には文書改竄を強要されたとして近畿財務局の職員が自殺する事態にまでなったが、政府が真相解明に協力的な姿勢を取っていれば展開は全く変わっていたのではないだろうか。

このように、安倍氏の政権運営は問題点の多いものであったが、これらは安倍氏一人の手によって為されたわけではない。もし国民が早い段階で安倍氏の手法にもっと批判的な目を向けていたとしたら、安倍氏が襟を正して職務に向かったにせよ、あるいは安倍氏がもっと早く退陣を迫られることになったにせよ、どちらにせよ安倍氏がここまで不誠実に不誠実を上塗りすることはなかったはずだ。要は、国民が彼の不誠実な態度を認めたのだ。国民が「それで構わない」と言ったのだ。安倍氏が首相の座についていた7年半の間、内閣支持率が長期的に低迷することはなかった。選挙のたびに自民党は勝った。安倍氏は、選挙のたびに「自分は信任されている」と考えたことだろう。
安倍氏は明確なルール違反を犯したわけではない。多数決を重視する強権的な国会運営は「国会軽視」だとの批判を招いたが、安倍氏はルールの枠内で最大限自らの権力を行使したに過ぎない。はぐらかすような答弁も、「忖度」を利用した公文書書き換えも、それをしたからといって直ちに首相を辞めねばならないという性質のものではない。これらは、国民が選挙や世論によって態度を表明せねばならない問題だ。つまり我々日本国民は、選挙や世論を通じて不誠実が横行する政権運営を暗黙のうちに認めてしまったわけである。

どうしてこのようなことになってしまったのだろうか。その背景として、国民の間に政治的無関心が広まったことを指摘したい。事実、ここ20年ほどの衆議院議員選挙の投票率のデータ(*3)を見ると、2009年に70%近い値を記録したのをピークに、平成29年の選挙では50%強にまで低下している。
2009年の衆議院選挙とは、民主党への政権交代が起こった選挙である。大きな期待の元で華々しく登場した民主党政権は、大きな失望とともに退場した。とりわけ、その最初期において、普天間基地移設問題に関する鳩山氏の方針が国内外に大きな混乱を招いたことは否定しがたい。鳩山政権を前にして、国民の多くは「これなら前の方がマシだった」と感じたはずだ。その証拠に、2012年の衆院選で民主党は大きく議席を減らした。求心力を失った民主党は迷走し、今でも離合集散を繰り返している。野党は弱体化し、与党への圧力を失った。それは、安倍氏が強権を振るう上で最適な環境であった。
「選挙に行けば政治が変わる、政権が変われば政治が良くなる」という希望が現実のものとならなかったことは、国民に「選挙に行っても何も良くならない、誰を選んでも目クソ鼻クソ」という絶望感をもたらした。政治的無関心は、その絶望を土壌にして育ってきた。しかし、いくら政治に絶望を感じていたからといって、政府へのチェックを怠っていい言い訳にはならない。メディアの報道姿勢を批判しても意味がない(*4)。政府を監視するのは国民しかいない。
世論調査では、安倍内閣を支持する理由として「他に適当な人がいない」という消極的な回答が目立った。確かに自民党内では安倍一強とされ、その他の野党も弱かった。だが、本当に適当な人はいなかったのだろうか。自民党内で安倍氏の政権運営を批判し続けた石破氏が大きな勢力を持つに至らなかったのも、「ポスト安倍」の座を伺い続けた岸田氏がついぞ総裁選に出馬しなかったのも、内閣支持率が高い値で安定し続けていたからだ。そう考えれば、「安倍一強」は安倍氏を支持する理由にならないことが分かるだろう。「安倍一強」は国民自身が作り出した幻想だ。
我々日本国民は、自民党内の他の政治家や、他党の党首たちの主張を慎重に検討した上で誰が首相にふさわしいか一度立ち止まって考える必要があった。もちろん、そうした上でなお安倍氏を選ぶというのなら何ら問題はない。だが、そのような人が一体どれくらいいたのだろうか。
政治家の言動を厳しくチェックし、優れた者には相応の高い評価を与えるのだという姿勢が伝われば、野党も安倍氏の退陣に拘って無意味な迷走を繰り返すのではなく、中身のある政策を提案することに腐心したに違いない。それは野党の強化につながり、同じ安倍氏の政権であったとしても、より引き締まった気持ちで彼を仕事に向かわせただろう。
ところが現実はそうはならなかった。国民は、野党に進むべき道を示すことができなかった。政治に対する国民の無関心が、安倍氏を堕落へと誘ってしまった。

「何か問題が起きたとき、真摯に謝罪するよりもはぐらかしたり開き直ったりした方が有利」というのは、何も政治だけに限った現象ではない。過ちを犯した人が過ちを認め謝罪したことにより、「好きなだけ叩いてもいいサンドバッグ」と化して余計に炎上するという現象は、SNSなどできっと見たことがあるだろう。だが、孔子も言っているように、「過而不改、是謂過矣」なのである。安倍氏が直接疑惑に関わっていたかどうかは、実は大きな問題ではない。疑惑が表面化した際に、安倍氏が不誠実な態度を取り続けたことの方が余程大きな問題である。
安倍氏は首相を辞める。もしかすると、次の首相はもっと良い政治をするかもしれない。だが、仮にそうだとして、その善政が長く続くことはないだろう。政治家たちは、安倍氏の政権運営を間近で見て、「むしろ不誠実な方が選挙に強い」と学んでしまった。
政治家は、選挙に勝って初めて政治家となる。政界にひとりでに善人が現れて、ひとりでに善政をすることは有り得ない。たとえ首相が変わっても、あるいはたとえ与党が変わったとしても、抜本的改善など望めない。国民一人一人の意識が変わらない限り、不透明な政治は何度でも繰り返され、何度でも我々の前に現れる。

安倍氏は首相職の連続在職日数最長記録を更新した。戦後政治の大きな節目となる今こそ、主権者たる我々自らが己の政治的責任を問い直すべき時である。

(*1)安倍氏の政策の中には、賛否両論あるものもあった。特に、集団的自衛権や特定秘密保護法案の是非は選挙で大きな争点となった。これらの中には私の考えと異なるものも含まれていたのだが、ここではそのことは問題にしない。賛成派には賛成派の言い分があるのであり、この記事で論じる安倍政権の問題点と比べれば些細なことだからだ。
(*2)例えば、「桜を見る会」に誰を招待するのかに関与したのかと尋ねられた際、安倍氏は「招待者の「取りまとめ」には関わっていない」という旨の回答をした。だが、「後援会関係者を幅広く募っていた」ことは後に安倍氏自身認めることとなった。
(*3)総務省「国政選挙の年代別投票率の推移について」
(*4)マスメディアも商売であり、視聴率や部数が稼げるニュースを我々の前に提示しているだけのことだ。仮にマスメディアの問題だとしても、それは我々受け手側のメディアリテラシーの問題である。

2020年8月25日火曜日

リングフィットアドベンチャー インプレッション

筋肉がなくひょろひょろの肉体をどうにかしようと思い始めて5年ほど経った。その間、腕立て伏せを始めたことは一度や二度のことではない。腕立て伏せを二日でやめたことも一度や二度のことではない。
トレーニングを続けるのは難しい。トレーニングはきついし、単調で、それ自体が取り立てて面白いものでもないからだ。そのあたりのモチベーションをうまく維持してくれるゲームが、Switchで発売された「リングフィットアドベンチャー」だ。本作は昨年秋の発売後ロングヒットし、発売から一年が経とうとしているにも関わらず未だに品薄が続いているのだが、五月ごろたまたま公式オンラインストアで見かけて運よく購入できたのだ。これが思った以上に面白く、今も継続できている。今回は本作の優れているところを紹介しよう。

・アドベンチャーモードによるトレーニングの動機付け
リングフィットアドベンチャーは、一言でいえば「トレーニングによって敵を攻撃してストーリーを進めていくゲーム」である。トレーニングを重ねることによってストーリーが展開され、様々なアイテムやお金が手に入り、主人公の能力も上がっていく。ストーリーが格別面白いわけではないし、ゲームとしての戦略性も高くはないが、トレーニングをすればするほど経験値がたまりレベルが上がっていくのは黙々と一人でトレーニングをするのより達成感があって遥かに楽しい。

・豊富かつ良質なトレーニング
トレーニングメニューは40種類以上収録されているそうだ。いずれも体の動きを検知して成功/失敗を判定してくれるようになっている。判定はしっかりしていて、よく作り込まれていると思う。また、運動負荷は30段階で選べる。23にしているが、私にとっては10分で汗だくになるくらいにキツい。幅広い層の人が遊べるように工夫されていると思う。
トレーニングは最初から全てを選べるわけではなく、ゲームを進めると少しずつ解禁されていく。これもモチベーションの維持に役立っている。

・回数の記録/運動強度のコントロール
収録されているものの中には、プランクやスクワットなど、このゲームを買わなくても一人でできそうなものも含まれている。それならテレビでも見ながら一人でスクワットした方がいいのではないかと思っていたが、それは違った。
まず、どのトレーニングを何回行ったかを自動で記録してくれるのが大きい。数字が蓄積されていくのが見られると満足感が違う。また、運動の強度を一定にコントロールしてくれる役割もある。スクワットならば足の角度や曲げた時間を測ってくれて、それで成功/失敗を判定してくれるのだ。運動負荷を高めれば長時間曲げさせられるようになる。つまり、同じ運動負荷のスクワットを楽にできるようになったなら、それは筋肉がついたということを意味しているのだ。このように、リングフィットアドベンチャーには自分の成長が実感しやすくしてくれる効果もある。

・爽快感のある演出
私がリングフィットアドベンチャーで最も褒めたいと思うのは演出である。コースの中での移動はジョギングで行うのだが、早く足を動かすと風を切るようなエフェクトが追加され、周囲の風景も草原から川を渡って沼地になるという具合にダイナミックに移り変わっていく。この演出はスピード感があり、車がうるさく変わりばえしない家の近くの道を私の遅い足でちんたら走っているのよりも爽快感がある。
トレーニングの際の効果音も素晴らしい。足を曲げ続けたあと伸ばすというスクワットを例にとると、足を曲げ続けている間はグーッとためるような音が鳴り、足を伸ばすとジャキンと小気味のいい攻撃SEが鳴る。これが自分の感覚と見事に呼応していて、トレーニングしていて心地いいのだ。そもそもトレーニング自体キツい中に幾ばくかの爽快感があるものだが、この演出はその快感を3割増しにしてくれていると思う。

このように、「リングフィットアドベンチャー」は単純にトレーニングをさせるだけでなく、しっかりとゲームである意味を持った作品であった。品薄で手に入れるのが難しいのが数少ない難点だが、店頭で見かけたなら是非購入をおすすめしたい良作である。