2020年11月3日火曜日

君は植田一石先生の授業を受けたことがあるか?

学部3年の頃、数学科の植田一石先生による「構造幾何学」という授業を受けていた。内容は位相力学系の話だったのだが、この授業で印象的だったのはむしろ雑談の方だ。植田先生は、今まで私が授業を受けてきた中でも最も脱線の激しい先生だった。
ある日は、力学系における測度論的エントロピー(Kolmogorov-Sinaiエントロピー)の話だったのだが、エントロピーから情報エントロピー(Shannonエントロピー)の話になり、情報といえばということでなぜか北欧のスパイの話になった。また別の日は力学系のζ関数と構造行列の関連についての話だったのだが、ζ関数といえばということで「ζ関数を神と崇め奉っている危ない人達がいて、その人たちの前で引数をs以外の文字で書くと逆鱗に触れる」というなんだかよくわからない話に脱線した。
試験も印象深いものだった。植田先生は前々から「授業最終日に試験の予想問題を配る」とおっしゃっており、我々学生は「自分で自分を予想するのか......」と困惑していたのだが、いざ試験当日になってみると予想問題がそっくりそのまま配られたのである。予想的中率100%であった。

とにかく始終がそんな調子で、まるで講義を聞くというより夢を見ているかのような、非常に独特な授業だった。そんな植田先生の授業は東大に通わないと味わえないものだと思っていたのだが、先日こんな動画を発見した。読者の皆様にも紹介しよう。

2017年度 沼田市中学生のための玉原数学教室

これは植田先生が中学生向けに講演されたときの動画である。相手が中学生といえど全く遠慮せずいつもの冗談(冗談かどうかも定かでないが)を飛ばしていく、アクセル全開の授業だった。百聞は一見に如かずというように、是非冒頭だけでも見てほしいのだが、のっけから

・厨二病感を出そうと思って「無限の話」というタイトルにした
・「無限の話」というと「数学における無限について話をする」のか「いつまでも話をする」のかわからない
・これはわざと曖昧にしている
・日本語の曖昧という言葉自体が曖昧で、「曖昧」には「ambiguous」「vague」の二つの意味がある
・「いつまでも話をする」といったが、死んだら話ができないので現実にはできない
・そうでなくてもご飯を食べなくてはいけない
・「無限」を表す記号には「∞」だけでなく「א」がある(黒板に書くが、書けていない)
・「א」が書けない数学者はよくあることだろうが、更に重症になるとひらがなが書けなくなる
・私はそこまで重症ではない
・数学は抽象的な学問
・「抽象」の対になる言葉として、ここでは「具体」ではなく「捨象」を取り上げる
・インドとかにいるあの大きなゾウを捨てているということで、いかにもいっぱい捨てていそうな感じがする

という具合に話が進んでいくのだ。これでも一応冒頭を要約したつもりである。一体いつから本題が始まるのか、それとももう本題なのか、この講演は一体どこに向かっているのか、さっぱりわからないまま聞き進めないといけない。これを最後まで聞いていた中学生は、一線で活躍する本物の数学者の話を聞いて、果たして何を感じ取ったのだろうか。


植田先生の話が聞ける動画は他にもある。次に紹介するのは植田先生が着任されたときのインタビュー動画で、これまでの経歴や研究姿勢について紹介するという趣旨のものである。これが真面目なインタビュー動画と思えないほど面白く、一部の学生の間では語り種となっている。

2015年度 ビデオゲストブック

私が思う見所を2つ紹介しよう。
  • 4分30秒くらいから、「文系の女子大生を2人向かい合わせて立たせて、1人に「かわいい」と言わせると、お互いに「かわいい」「かわいい」と言い合って「かわいい」が共振増幅されてレーザーが出る」「東大数理の学生を2人向かい合わせて立たせて、1人に「賢い」と言わせると、お互いに「賢い」「いやお前の方が賢い」と言い合って「賢い」が共振増幅されてレーザーが出る」というくだりがある。
  • 13分くらいから、「内容が分からなくても90分間セミナーに出続けろ、そうすればボディーブローのように効いてくるから、という教えがある」「ボディーブローのように効くということはそのセミナーに出続けると倒れるのか」「鍛えていない普通の人はボディーブローを受けたら一発で倒れる」というくだりがある。
何がどういう流れでこんな話になったのか。それは君自身の目で確かめてくれ。

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