2012年末以来日本の首相を務めて来た安倍氏が、持病である潰瘍性大腸炎の再発を理由に辞意を表明した。潰瘍性大腸炎は難病であると聞く。安倍氏も首相である前に一人の人間であり、その政治的影響力をもってしても病の前には無力である。持病が悪化したことに関しては気の毒に思うし、一個人として、まずは一言「お大事に」と言いたい。
一方で、病人を労ることと、政治家としての仕事を批判的に評価することは全く別の問題である。各政策の良し悪しは抜きにしても(*1)、7年半に渡る安倍氏の政権運営は不誠実との謗りを免れ得ないものだったと私は思う。
第一に、森友・加計学園問題、「桜を見る会」、IR汚職事件など、様々な疑惑が発生した。これらの疑惑に安倍氏がどこまで直接の関与をしていたかは不明であるが、透明性に著しく欠けていたことは確かだろう。
第二に、質問への回答になっていない答弁や、論点をずらすような答弁が目立った(*2)。いわゆる「ご飯論法」として揶揄される、屁理屈めいた表現を多用することで国会に誤解と混乱を生じさせ、問題の真相解明を遠のかせた。
第三に、森友学園問題に関して公文書改竄が行われていたことが発覚した。麻生氏は財務相として官僚の仕事を統括する立場にありながら、事件の責任は全て官僚側にあるかのような発言をするに終始し、再発防止策を示すこともなかった。2018年3月には文書改竄を強要されたとして近畿財務局の職員が自殺する事態にまでなったが、政府が真相解明に協力的な姿勢を取っていれば展開は全く変わっていたのではないだろうか。
このように、安倍氏の政権運営は問題点の多いものであったが、これらは安倍氏一人の手によって為されたわけではない。もし国民が早い段階で安倍氏の手法にもっと批判的な目を向けていたとしたら、安倍氏が襟を正して職務に向かったにせよ、あるいは安倍氏がもっと早く退陣を迫られることになったにせよ、どちらにせよ安倍氏がここまで不誠実に不誠実を上塗りすることはなかったはずだ。要は、国民が彼の不誠実な態度を認めたのだ。国民が「それで構わない」と言ったのだ。安倍氏が首相の座についていた7年半の間、内閣支持率が長期的に低迷することはなかった。選挙のたびに自民党は勝った。安倍氏は、選挙のたびに「自分は信任されている」と考えたことだろう。
安倍氏は明確なルール違反を犯したわけではない。多数決を重視する強権的な国会運営は「国会軽視」だとの批判を招いたが、安倍氏はルールの枠内で最大限自らの権力を行使したに過ぎない。はぐらかすような答弁も、「忖度」を利用した公文書書き換えも、それをしたからといって直ちに首相を辞めねばならないという性質のものではない。これらは、国民が選挙や世論によって態度を表明せねばならない問題だ。つまり我々日本国民は、選挙や世論を通じて不誠実が横行する政権運営を暗黙のうちに認めてしまったわけである。
どうしてこのようなことになってしまったのだろうか。その背景として、国民の間に政治的無関心が広まったことを指摘したい。事実、ここ20年ほどの衆議院議員選挙の投票率のデータ(*3)を見ると、2009年に70%近い値を記録したのをピークに、平成29年の選挙では50%強にまで低下している。
2009年の衆議院選挙とは、民主党への政権交代が起こった選挙である。大きな期待の元で華々しく登場した民主党政権は、大きな失望とともに退場した。とりわけ、その最初期において、普天間基地移設問題に関する鳩山氏の方針が国内外に大きな混乱を招いたことは否定しがたい。鳩山政権を前にして、国民の多くは「これなら前の方がマシだった」と感じたはずだ。その証拠に、2012年の衆院選で民主党は大きく議席を減らした。求心力を失った民主党は迷走し、今でも離合集散を繰り返している。野党は弱体化し、与党への圧力を失った。それは、安倍氏が強権を振るう上で最適な環境であった。
「選挙に行けば政治が変わる、政権が変われば政治が良くなる」という希望が現実のものとならなかったことは、国民に「選挙に行っても何も良くならない、誰を選んでも目クソ鼻クソ」という絶望感をもたらした。政治的無関心は、その絶望を土壌にして育ってきた。しかし、いくら政治に絶望を感じていたからといって、政府へのチェックを怠っていい言い訳にはならない。メディアの報道姿勢を批判しても意味がない(*4)。政府を監視するのは国民しかいない。
世論調査では、安倍内閣を支持する理由として「他に適当な人がいない」という消極的な回答が目立った。確かに自民党内では安倍一強とされ、その他の野党も弱かった。だが、本当に適当な人はいなかったのだろうか。自民党内で安倍氏の政権運営を批判し続けた石破氏が大きな勢力を持つに至らなかったのも、「ポスト安倍」の座を伺い続けた岸田氏がついぞ総裁選に出馬しなかったのも、内閣支持率が高い値で安定し続けていたからだ。そう考えれば、「安倍一強」は安倍氏を支持する理由にならないことが分かるだろう。「安倍一強」は国民自身が作り出した幻想だ。
我々日本国民は、自民党内の他の政治家や、他党の党首たちの主張を慎重に検討した上で誰が首相にふさわしいか一度立ち止まって考える必要があった。もちろん、そうした上でなお安倍氏を選ぶというのなら何ら問題はない。だが、そのような人が一体どれくらいいたのだろうか。
政治家の言動を厳しくチェックし、優れた者には相応の高い評価を与えるのだという姿勢が伝われば、野党も安倍氏の退陣に拘って無意味な迷走を繰り返すのではなく、中身のある政策を提案することに腐心したに違いない。それは野党の強化につながり、同じ安倍氏の政権であったとしても、より引き締まった気持ちで彼を仕事に向かわせただろう。
ところが現実はそうはならなかった。国民は、野党に進むべき道を示すことができなかった。政治に対する国民の無関心が、安倍氏を堕落へと誘ってしまった。
「何か問題が起きたとき、真摯に謝罪するよりもはぐらかしたり開き直ったりした方が有利」というのは、何も政治だけに限った現象ではない。過ちを犯した人が過ちを認め謝罪したことにより、「好きなだけ叩いてもいいサンドバッグ」と化して余計に炎上するという現象は、SNSなどできっと見たことがあるだろう。だが、孔子も言っているように、「過而不改、是謂過矣」なのである。安倍氏が直接疑惑に関わっていたかどうかは、実は大きな問題ではない。疑惑が表面化した際に、安倍氏が不誠実な態度を取り続けたことの方が余程大きな問題である。
安倍氏は首相を辞める。もしかすると、次の首相はもっと良い政治をするかもしれない。だが、仮にそうだとして、その善政が長く続くことはないだろう。政治家たちは、安倍氏の政権運営を間近で見て、「むしろ不誠実な方が選挙に強い」と学んでしまった。
政治家は、選挙に勝って初めて政治家となる。政界にひとりでに善人が現れて、ひとりでに善政をすることは有り得ない。たとえ首相が変わっても、あるいはたとえ与党が変わったとしても、抜本的改善など望めない。国民一人一人の意識が変わらない限り、不透明な政治は何度でも繰り返され、何度でも我々の前に現れる。
安倍氏は首相職の連続在職日数最長記録を更新した。戦後政治の大きな節目となる今こそ、主権者たる我々自らが己の政治的責任を問い直すべき時である。
(*1)安倍氏の政策の中には、賛否両論あるものもあった。特に、集団的自衛権や特定秘密保護法案の是非は選挙で大きな争点となった。これらの中には私の考えと異なるものも含まれていたのだが、ここではそのことは問題にしない。賛成派には賛成派の言い分があるのであり、この記事で論じる安倍政権の問題点と比べれば些細なことだからだ。
(*2)例えば、「桜を見る会」に誰を招待するのかに関与したのかと尋ねられた際、安倍氏は「招待者の「取りまとめ」には関わっていない」という旨の回答をした。だが、「後援会関係者を幅広く募っていた」ことは後に安倍氏自身認めることとなった。
(*3)総務省「国政選挙の年代別投票率の推移について」
(*4)マスメディアも商売であり、視聴率や部数が稼げるニュースを我々の前に提示しているだけのことだ。仮にマスメディアの問題だとしても、それは我々受け手側のメディアリテラシーの問題である。
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