2020年10月25日日曜日

芝公園の妖怪

知り合いに国語の教員をしている女性がいる。昨日、彼女から、マッチングアプリで知り合った男性と会ってみたらひどい目に遭ったという話を聞かされた。仮に、女性側をA、男性側をBと呼ぼう。


AとBは夜の芝公園で会った。当然2人は初対面である。Bは慶應の文学部出身で、大学では歴史を勉強していたという。Bは背が高く、顔立ちも整っていて、自信家のようであった。だが、よくよく話を聞いてみると、Bの発言は言っていることの意味がよくわからないのである。

例えばこうだ。
B「君は感覚派なんだね。感覚派なのに、君はこんなにも美しい」
A「どういうこと?」
B「理論ではなく、感覚で物事を捉えている。美しい薔薇にトゲがあるように、君の容姿に惹かれた人は感覚派というトゲに刺さってしまう」

どういうことなのか全くわからない。何が「なのに」なのだろうか。一体どの点で逆接になっているというのか。感覚を重視することと、容姿に何の関係があるのか。感覚派なのはトゲというべきことなのだろうか。
そもそもAは別に感覚派ではない。

あるいはこうだ。
B「(東京タワーのライトアップを指して)高校生の頃、初恋の人に僕はここで告白したんだ」
A「ロマンチックだね。成功したの?」
B「成功すると思うよ」

意味がわからない。成功すると思うとはどういうことなのか。Bがここで告白したという出来事は本当にあったことなのか。果たして過去は実在するのか。それとも、過去なんて全部消えてしまっていて、'今'以外この世界のどこにも残っていないのだろうか。

しまいにはこんな感じになったらしい(*1)。
B「君はたぬき顔だね」
A「うん」
B「タレ目だし、お腹もポンポコで(*2)」
A(失礼だな......)
B「僕は犬顔なんだよ。街を歩いていても小型犬は吠えてくるんだけど、大型犬はお辞儀してくるの。犬には僕が賢いってことわかるんだろうね。犬顔だから」
A「私がタヌキに親近感湧くのと逆の話かな」
B「子犬だと思って拾ってきたらタヌキだったって話もよくあるしね」
A「……タヌキってイヌ科だもんね」
B「うん」

「うん」ではない(*3)。

Aは、東京タワーのライトが消えたことに気がついた。東京タワーの消灯時刻は午前0時だ。終電まであと4分である。このままここにいるとヤバい。Aは、トイレに行くと言って(*4)、Bを残して一目散に逃げ去った。Aは身の危険を感じていた。貞操の危機であれば、マッチングアプリを始めた時点で事前に想定することはできていた。しかしそこにあったのは、もっと別の何か ーー脳への危険ーー だったのだ。


一連の話を終えたAに対し、私は重たい沈黙を放っていた。Aは、私に大丈夫かと尋ねた。私は、Bに関する話を聞き、それに相槌を打っているうちにみるみる生気を吸い取られて、それが見て取れるほどに衰弱していた。
Aは「他の人にもこの話したけど、(貞操の危険ならともかく)私が感じた危険はなかなか分かってもらえなかったから、分かってもらえて嬉しい」と言った。聞けば、この話でダメージを負ったのは私が初めてということだった。
私は答えた。「論理がおかしくて......ヤバかった。脈絡がなく話が飛ぶとかじゃなくて、もっと理解ができないやつやった。俺は文章を書くのが好きやけど、やからこそダメージを負ったというか......この話を聞き続けると、俺は俺の文章を書けなくなる気がする。他の人は、話を聞きながらそこまで論理の流れに注目していないのかもしれない。君は国語の先生やから、意識的にせよ無意識的にせよ、接続詞に注目して聞いているやろうし」
ここまで言って、私にある考えが浮かんだ。「これって、妖怪とか、物の怪の類やったんじゃないやろか。ほら、目を合わせてはいけない妖怪みたいな話あるやん。それの論理バージョン」
Aは言った。「じゃあ、あのまま話を聞き続けたら......」
私は答えた。「"あっち側の世界"に取り込まれて、帰ってこられなくなる」
Aは言った。「東京タワーが12時に消えるってこと知っててよかった。知識は身を助くね」


その夜、いつものようにTwitterをしていて、1つのツイートが目に留まった。

 これは私のサークル友達のツイートである。これを見て、私には思い出すツイートがあった。

私ははっと気が付いた。世間に潜む妖怪はこいつだけじゃない。他にもいるのだ。特にキャバクラなんて、妖怪たちの伏魔殿とでもいうべき場所ではないか。
キャバ嬢が客の話を聞かないのは自衛のためだ。仮に客の話を聞いているキャバ嬢がいたとしたら、彼女たちは既に異界へと連れ去られてしまっているのだろう。だから、客の話を聞かないキャバ嬢だけが、"人間"としてキャバクラに留まることをできているのだ。

異界は存在する。仮に身の回りで妖怪に遭遇したとして、決して興味本位でまじまじと見つめてはならない。あなたが深淵を覗くとき、深淵もあなたを覗き返しているのだから。


(*1)他にもたくさんエピソードを聞いた気がするが、あまり思い出したくない。
(*2)Aは別に太っていない。
(*3)この話を聞いた私は、「へー。たぬきってイヌ科なんや!」と相槌を打った。それ以外に発言しようがなかったからである。
(*4)以前にBも別の女性に対して似たようなことをしていたらしい。私は、一目散に逃げたという部分を最初に聞いた。そのときは、「引剥をする羅生門の下人かよ」と茶化せるだけの余裕がまだあった。

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