2020年10月25日日曜日

芝公園の妖怪

知り合いに国語の教員をしている女性がいる。昨日、彼女から、マッチングアプリで知り合った男性と会ってみたらひどい目に遭ったという話を聞かされた。仮に、女性側をA、男性側をBと呼ぼう。


AとBは夜の芝公園で会った。当然2人は初対面である。Bは慶應の文学部出身で、大学では歴史を勉強していたという。Bは背が高く、顔立ちも整っていて、自信家のようであった。だが、よくよく話を聞いてみると、Bの発言は言っていることの意味がよくわからないのである。

例えばこうだ。
B「君は感覚派なんだね。感覚派なのに、君はこんなにも美しい」
A「どういうこと?」
B「理論ではなく、感覚で物事を捉えている。美しい薔薇にトゲがあるように、君の容姿に惹かれた人は感覚派というトゲに刺さってしまう」

どういうことなのか全くわからない。何が「なのに」なのだろうか。一体どの点で逆接になっているというのか。感覚を重視することと、容姿に何の関係があるのか。感覚派なのはトゲというべきことなのだろうか。
そもそもAは別に感覚派ではない。

あるいはこうだ。
B「(東京タワーのライトアップを指して)高校生の頃、初恋の人に僕はここで告白したんだ」
A「ロマンチックだね。成功したの?」
B「成功すると思うよ」

意味がわからない。成功すると思うとはどういうことなのか。Bがここで告白したという出来事は本当にあったことなのか。果たして過去は実在するのか。それとも、過去なんて全部消えてしまっていて、'今'以外この世界のどこにも残っていないのだろうか。

しまいにはこんな感じになったらしい(*1)。
B「君はたぬき顔だね」
A「うん」
B「タレ目だし、お腹もポンポコで(*2)」
A(失礼だな......)
B「僕は犬顔なんだよ。街を歩いていても小型犬は吠えてくるんだけど、大型犬はお辞儀してくるの。犬には僕が賢いってことわかるんだろうね。犬顔だから」
A「私がタヌキに親近感湧くのと逆の話かな」
B「子犬だと思って拾ってきたらタヌキだったって話もよくあるしね」
A「……タヌキってイヌ科だもんね」
B「うん」

「うん」ではない(*3)。

Aは、東京タワーのライトが消えたことに気がついた。東京タワーの消灯時刻は午前0時だ。終電まであと4分である。このままここにいるとヤバい。Aは、トイレに行くと言って(*4)、Bを残して一目散に逃げ去った。Aは身の危険を感じていた。貞操の危機であれば、マッチングアプリを始めた時点で事前に想定することはできていた。しかしそこにあったのは、もっと別の何か ーー脳への危険ーー だったのだ。


一連の話を終えたAに対し、私は重たい沈黙を放っていた。Aは、私に大丈夫かと尋ねた。私は、Bに関する話を聞き、それに相槌を打っているうちにみるみる生気を吸い取られて、それが見て取れるほどに衰弱していた。
Aは「他の人にもこの話したけど、(貞操の危険ならともかく)私が感じた危険はなかなか分かってもらえなかったから、分かってもらえて嬉しい」と言った。聞けば、この話でダメージを負ったのは私が初めてということだった。
私は答えた。「論理がおかしくて......ヤバかった。脈絡がなく話が飛ぶとかじゃなくて、もっと理解ができないやつやった。俺は文章を書くのが好きやけど、やからこそダメージを負ったというか......この話を聞き続けると、俺は俺の文章を書けなくなる気がする。他の人は、話を聞きながらそこまで論理の流れに注目していないのかもしれない。君は国語の先生やから、意識的にせよ無意識的にせよ、接続詞に注目して聞いているやろうし」
ここまで言って、私にある考えが浮かんだ。「これって、妖怪とか、物の怪の類やったんじゃないやろか。ほら、目を合わせてはいけない妖怪みたいな話あるやん。それの論理バージョン」
Aは言った。「じゃあ、あのまま話を聞き続けたら......」
私は答えた。「"あっち側の世界"に取り込まれて、帰ってこられなくなる」
Aは言った。「東京タワーが12時に消えるってこと知っててよかった。知識は身を助くね」


その夜、いつものようにTwitterをしていて、1つのツイートが目に留まった。

 これは私のサークル友達のツイートである。これを見て、私には思い出すツイートがあった。

私ははっと気が付いた。世間に潜む妖怪はこいつだけじゃない。他にもいるのだ。特にキャバクラなんて、妖怪たちの伏魔殿とでもいうべき場所ではないか。
キャバ嬢が客の話を聞かないのは自衛のためだ。仮に客の話を聞いているキャバ嬢がいたとしたら、彼女たちは既に異界へと連れ去られてしまっているのだろう。だから、客の話を聞かないキャバ嬢だけが、"人間"としてキャバクラに留まることをできているのだ。

異界は存在する。仮に身の回りで妖怪に遭遇したとして、決して興味本位でまじまじと見つめてはならない。あなたが深淵を覗くとき、深淵もあなたを覗き返しているのだから。


(*1)他にもたくさんエピソードを聞いた気がするが、あまり思い出したくない。
(*2)Aは別に太っていない。
(*3)この話を聞いた私は、「へー。たぬきってイヌ科なんや!」と相槌を打った。それ以外に発言しようがなかったからである。
(*4)以前にBも別の女性に対して似たようなことをしていたらしい。私は、一目散に逃げたという部分を最初に聞いた。そのときは、「引剥をする羅生門の下人かよ」と茶化せるだけの余裕がまだあった。

2020年8月30日日曜日

安倍首相の退陣に寄せて

2012年末以来日本の首相を務めて来た安倍氏が、持病である潰瘍性大腸炎の再発を理由に辞意を表明した。潰瘍性大腸炎は難病であると聞く。安倍氏も首相である前に一人の人間であり、その政治的影響力をもってしても病の前には無力である。持病が悪化したことに関しては気の毒に思うし、一個人として、まずは一言「お大事に」と言いたい。

一方で、病人を労ることと、政治家としての仕事を批判的に評価することは全く別の問題である。各政策の良し悪しは抜きにしても(*1)、7年半に渡る安倍氏の政権運営は不誠実との謗りを免れ得ないものだったと私は思う。
第一に、森友・加計学園問題、「桜を見る会」、IR汚職事件など、様々な疑惑が発生した。これらの疑惑に安倍氏がどこまで直接の関与をしていたかは不明であるが、透明性に著しく欠けていたことは確かだろう。
第二に、質問への回答になっていない答弁や、論点をずらすような答弁が目立った(*2)。いわゆる「ご飯論法」として揶揄される、屁理屈めいた表現を多用することで国会に誤解と混乱を生じさせ、問題の真相解明を遠のかせた。
第三に、森友学園問題に関して公文書改竄が行われていたことが発覚した。麻生氏は財務相として官僚の仕事を統括する立場にありながら、事件の責任は全て官僚側にあるかのような発言をするに終始し、再発防止策を示すこともなかった。2018年3月には文書改竄を強要されたとして近畿財務局の職員が自殺する事態にまでなったが、政府が真相解明に協力的な姿勢を取っていれば展開は全く変わっていたのではないだろうか。

このように、安倍氏の政権運営は問題点の多いものであったが、これらは安倍氏一人の手によって為されたわけではない。もし国民が早い段階で安倍氏の手法にもっと批判的な目を向けていたとしたら、安倍氏が襟を正して職務に向かったにせよ、あるいは安倍氏がもっと早く退陣を迫られることになったにせよ、どちらにせよ安倍氏がここまで不誠実に不誠実を上塗りすることはなかったはずだ。要は、国民が彼の不誠実な態度を認めたのだ。国民が「それで構わない」と言ったのだ。安倍氏が首相の座についていた7年半の間、内閣支持率が長期的に低迷することはなかった。選挙のたびに自民党は勝った。安倍氏は、選挙のたびに「自分は信任されている」と考えたことだろう。
安倍氏は明確なルール違反を犯したわけではない。多数決を重視する強権的な国会運営は「国会軽視」だとの批判を招いたが、安倍氏はルールの枠内で最大限自らの権力を行使したに過ぎない。はぐらかすような答弁も、「忖度」を利用した公文書書き換えも、それをしたからといって直ちに首相を辞めねばならないという性質のものではない。これらは、国民が選挙や世論によって態度を表明せねばならない問題だ。つまり我々日本国民は、選挙や世論を通じて不誠実が横行する政権運営を暗黙のうちに認めてしまったわけである。

どうしてこのようなことになってしまったのだろうか。その背景として、国民の間に政治的無関心が広まったことを指摘したい。事実、ここ20年ほどの衆議院議員選挙の投票率のデータ(*3)を見ると、2009年に70%近い値を記録したのをピークに、平成29年の選挙では50%強にまで低下している。
2009年の衆議院選挙とは、民主党への政権交代が起こった選挙である。大きな期待の元で華々しく登場した民主党政権は、大きな失望とともに退場した。とりわけ、その最初期において、普天間基地移設問題に関する鳩山氏の方針が国内外に大きな混乱を招いたことは否定しがたい。鳩山政権を前にして、国民の多くは「これなら前の方がマシだった」と感じたはずだ。その証拠に、2012年の衆院選で民主党は大きく議席を減らした。求心力を失った民主党は迷走し、今でも離合集散を繰り返している。野党は弱体化し、与党への圧力を失った。それは、安倍氏が強権を振るう上で最適な環境であった。
「選挙に行けば政治が変わる、政権が変われば政治が良くなる」という希望が現実のものとならなかったことは、国民に「選挙に行っても何も良くならない、誰を選んでも目クソ鼻クソ」という絶望感をもたらした。政治的無関心は、その絶望を土壌にして育ってきた。しかし、いくら政治に絶望を感じていたからといって、政府へのチェックを怠っていい言い訳にはならない。メディアの報道姿勢を批判しても意味がない(*4)。政府を監視するのは国民しかいない。
世論調査では、安倍内閣を支持する理由として「他に適当な人がいない」という消極的な回答が目立った。確かに自民党内では安倍一強とされ、その他の野党も弱かった。だが、本当に適当な人はいなかったのだろうか。自民党内で安倍氏の政権運営を批判し続けた石破氏が大きな勢力を持つに至らなかったのも、「ポスト安倍」の座を伺い続けた岸田氏がついぞ総裁選に出馬しなかったのも、内閣支持率が高い値で安定し続けていたからだ。そう考えれば、「安倍一強」は安倍氏を支持する理由にならないことが分かるだろう。「安倍一強」は国民自身が作り出した幻想だ。
我々日本国民は、自民党内の他の政治家や、他党の党首たちの主張を慎重に検討した上で誰が首相にふさわしいか一度立ち止まって考える必要があった。もちろん、そうした上でなお安倍氏を選ぶというのなら何ら問題はない。だが、そのような人が一体どれくらいいたのだろうか。
政治家の言動を厳しくチェックし、優れた者には相応の高い評価を与えるのだという姿勢が伝われば、野党も安倍氏の退陣に拘って無意味な迷走を繰り返すのではなく、中身のある政策を提案することに腐心したに違いない。それは野党の強化につながり、同じ安倍氏の政権であったとしても、より引き締まった気持ちで彼を仕事に向かわせただろう。
ところが現実はそうはならなかった。国民は、野党に進むべき道を示すことができなかった。政治に対する国民の無関心が、安倍氏を堕落へと誘ってしまった。

「何か問題が起きたとき、真摯に謝罪するよりもはぐらかしたり開き直ったりした方が有利」というのは、何も政治だけに限った現象ではない。過ちを犯した人が過ちを認め謝罪したことにより、「好きなだけ叩いてもいいサンドバッグ」と化して余計に炎上するという現象は、SNSなどできっと見たことがあるだろう。だが、孔子も言っているように、「過而不改、是謂過矣」なのである。安倍氏が直接疑惑に関わっていたかどうかは、実は大きな問題ではない。疑惑が表面化した際に、安倍氏が不誠実な態度を取り続けたことの方が余程大きな問題である。
安倍氏は首相を辞める。もしかすると、次の首相はもっと良い政治をするかもしれない。だが、仮にそうだとして、その善政が長く続くことはないだろう。政治家たちは、安倍氏の政権運営を間近で見て、「むしろ不誠実な方が選挙に強い」と学んでしまった。
政治家は、選挙に勝って初めて政治家となる。政界にひとりでに善人が現れて、ひとりでに善政をすることは有り得ない。たとえ首相が変わっても、あるいはたとえ与党が変わったとしても、抜本的改善など望めない。国民一人一人の意識が変わらない限り、不透明な政治は何度でも繰り返され、何度でも我々の前に現れる。

安倍氏は首相職の連続在職日数最長記録を更新した。戦後政治の大きな節目となる今こそ、主権者たる我々自らが己の政治的責任を問い直すべき時である。

(*1)安倍氏の政策の中には、賛否両論あるものもあった。特に、集団的自衛権や特定秘密保護法案の是非は選挙で大きな争点となった。これらの中には私の考えと異なるものも含まれていたのだが、ここではそのことは問題にしない。賛成派には賛成派の言い分があるのであり、この記事で論じる安倍政権の問題点と比べれば些細なことだからだ。
(*2)例えば、「桜を見る会」に誰を招待するのかに関与したのかと尋ねられた際、安倍氏は「招待者の「取りまとめ」には関わっていない」という旨の回答をした。だが、「後援会関係者を幅広く募っていた」ことは後に安倍氏自身認めることとなった。
(*3)総務省「国政選挙の年代別投票率の推移について」
(*4)マスメディアも商売であり、視聴率や部数が稼げるニュースを我々の前に提示しているだけのことだ。仮にマスメディアの問題だとしても、それは我々受け手側のメディアリテラシーの問題である。

2020年8月25日火曜日

リングフィットアドベンチャー インプレッション

筋肉がなくひょろひょろの肉体をどうにかしようと思い始めて5年ほど経った。その間、腕立て伏せを始めたことは一度や二度のことではない。腕立て伏せを二日でやめたことも一度や二度のことではない。
トレーニングを続けるのは難しい。トレーニングはきついし、単調で、それ自体が取り立てて面白いものでもないからだ。そのあたりのモチベーションをうまく維持してくれるゲームが、Switchで発売された「リングフィットアドベンチャー」だ。本作は昨年秋の発売後ロングヒットし、発売から一年が経とうとしているにも関わらず未だに品薄が続いているのだが、五月ごろたまたま公式オンラインストアで見かけて運よく購入できたのだ。これが思った以上に面白く、今も継続できている。今回は本作の優れているところを紹介しよう。

・アドベンチャーモードによるトレーニングの動機付け
リングフィットアドベンチャーは、一言でいえば「トレーニングによって敵を攻撃してストーリーを進めていくゲーム」である。トレーニングを重ねることによってストーリーが展開され、様々なアイテムやお金が手に入り、主人公の能力も上がっていく。ストーリーが格別面白いわけではないし、ゲームとしての戦略性も高くはないが、トレーニングをすればするほど経験値がたまりレベルが上がっていくのは黙々と一人でトレーニングをするのより達成感があって遥かに楽しい。

・豊富かつ良質なトレーニング
トレーニングメニューは40種類以上収録されているそうだ。いずれも体の動きを検知して成功/失敗を判定してくれるようになっている。判定はしっかりしていて、よく作り込まれていると思う。また、運動負荷は30段階で選べる。23にしているが、私にとっては10分で汗だくになるくらいにキツい。幅広い層の人が遊べるように工夫されていると思う。
トレーニングは最初から全てを選べるわけではなく、ゲームを進めると少しずつ解禁されていく。これもモチベーションの維持に役立っている。

・回数の記録/運動強度のコントロール
収録されているものの中には、プランクやスクワットなど、このゲームを買わなくても一人でできそうなものも含まれている。それならテレビでも見ながら一人でスクワットした方がいいのではないかと思っていたが、それは違った。
まず、どのトレーニングを何回行ったかを自動で記録してくれるのが大きい。数字が蓄積されていくのが見られると満足感が違う。また、運動の強度を一定にコントロールしてくれる役割もある。スクワットならば足の角度や曲げた時間を測ってくれて、それで成功/失敗を判定してくれるのだ。運動負荷を高めれば長時間曲げさせられるようになる。つまり、同じ運動負荷のスクワットを楽にできるようになったなら、それは筋肉がついたということを意味しているのだ。このように、リングフィットアドベンチャーには自分の成長が実感しやすくしてくれる効果もある。

・爽快感のある演出
私がリングフィットアドベンチャーで最も褒めたいと思うのは演出である。コースの中での移動はジョギングで行うのだが、早く足を動かすと風を切るようなエフェクトが追加され、周囲の風景も草原から川を渡って沼地になるという具合にダイナミックに移り変わっていく。この演出はスピード感があり、車がうるさく変わりばえしない家の近くの道を私の遅い足でちんたら走っているのよりも爽快感がある。
トレーニングの際の効果音も素晴らしい。足を曲げ続けたあと伸ばすというスクワットを例にとると、足を曲げ続けている間はグーッとためるような音が鳴り、足を伸ばすとジャキンと小気味のいい攻撃SEが鳴る。これが自分の感覚と見事に呼応していて、トレーニングしていて心地いいのだ。そもそもトレーニング自体キツい中に幾ばくかの爽快感があるものだが、この演出はその快感を3割増しにしてくれていると思う。

このように、「リングフィットアドベンチャー」は単純にトレーニングをさせるだけでなく、しっかりとゲームである意味を持った作品であった。品薄で手に入れるのが難しいのが数少ない難点だが、店頭で見かけたなら是非購入をおすすめしたい良作である。

2020年7月29日水曜日

塩

 先日R氏(*1)の祖父が亡くなり、葬儀のためR氏は数日間鹿児島に滞在することになった。R氏は昨日東京の自宅に着いたのだが、明日仕事があるのに鹿児島訛りが抜けないという。そんなR氏と以下のようなやりとりをした(*2)。


R「明日鹿児島弁残っていたらどうしよう。職場で笑われてしまう」
私「鹿児島弁キャラになればいいのでは。君は焼酎よく飲むし、その上鹿児島弁と来れば萌えキャラになれる」
R「キャラが強すぎるよ。恥ずかしい」
私「面白いから大丈夫。芸人は恥ずかしいことしてナンボ」
R「芸人じゃないって」
私「日本語で喋るから鹿児島弁が出るんじゃない。英語で喋ろう」
R「Good morning! ......って、余計おかしい」
私「筆談とか」
R「「先日は忌引でお休みを頂き、大変ご迷惑をおかけしました。鹿児島弁が抜けないので、失礼になるかと思い、本日は筆談にて会話させて頂きます」......って、そっちの方が失礼だよ」
私「そうやってツッコんでもらえるといいね」
R「あ、びっくりしたら鹿児島弁出ないかも。地は標準語だから」
私「「うわっ!......お、おはようございます」」
R「失礼すぎる」
私「鹿児島弁のままでいいよ。みんな標準語に飽きてる」
R「鹿児島弁も飽きられない?」
私「飽きない飽きない。飽きない美味しさ」
R「コンソメパンチ」
私「そうそう、コンソメパンチだよ。ほら、今はダイバーシティの時代だから。職場のダイバーシティを向上させていこう。ポリティカル・コレクトネスの観点からも、鹿児島弁のままの方がいい」
R「そっちの方が面白いからってまた適当言ってる......。人をブログのネタにしか思ってない」
私「俺適当言うのだけは得意なんだよね」
R「知ってるよ。最初から知ってる。君を一言で言えば、「物は言いよう」だよ」

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R「清め塩が頭から落ちてきて、口に入ったらおなか痛くなった。マジで怖いんだけど何あれ」
私「塩に幽霊の一種だと思われてるんじゃない?逆にお前まだ死んでなかったの!?って塩も驚いてる」
R「なる.......ほど.......!?消滅してしまうな.......」
R「これがホントの」
R「塩対応」
私「うまい!」

大切な家族を亡くした直後でどうだろうかと思ったものの、ブログのネタにしていいかと尋ねたところ快諾してもらえたので、こうして記事に書くことにした。元気そうで、普段のようにやりとりができてよかったと思った。

(*1)Twitterのフォロワーで、このブログのファンでもある。Twitterアカウントは非公開(鍵アカ)である。
(*2)ブログの記事にするにあたり、本来のやりとりとは口調などが少し変わっている。

2020年7月23日木曜日

ラブコメが見られない

最近ラブコメを体が受け付けず、全然ラブコメを見ることができない。見ていても主人公が羨ましく感じ、腹が立って視聴を中断してしまう。そこで、見ていても羨ましさが全くないラブコメの筋書きを考えてみることにした。
好きな大学生の先輩がいるが、自分に自信がなく言い出せない地味な少女Gがいた。ある日、Gは同級生の少年Bから告白される。Gは悩むが、結局OKすることにした。
BはGのことをしきりに可愛いと言って褒めた。GはBと一緒に時間を過ごすうちに、段々自分に自信がついてきた。メガネだったのがコンタクトになり、ファッションも垢抜けた。食事に気を遣うようになり、肌もきれいになった。化粧も覚えた。
そうして自信がつくにつれ、Bでは自分と釣り合わないと考えるようになってきた。やはり自分の相手は先輩でないと。Gは先輩に告白し、OKの返事を受けてBを振った。Bは別れたくないと言ったが、LINEをブロックし、ストーカーだとの悪評を流して無視することにした。
無実の罪を着せられて校内で孤立していくBをよそに、Gは先輩と一緒に楽しい時間を過ごした。ファーストキスも先輩に捧げた。ところが、先輩には大学に本命の彼女がいたのであった。自分は遊びに過ぎなかったのか。それなら振ってくれさえしたらBを振ることなんてなかったのに。Gは先輩と大喧嘩して家路に着いた。もうすぐ家に着くというそのとき、自宅すぐ近くの公園が何やら騒がしいことに気が付いた。そちらに目をやったその瞬間、Gは悲鳴を上げた。
そこには公園の大木で首を吊っているBの死体がぶら下がっていた。
こういうアニメなら、私でも笑って見られそうな気がする。

2020年7月21日火曜日

人助けについて

ベビーカーを見るたびに思い出すことがある。ある日、赤ちゃんの母親が街でベビーカーを持って1人で大変そうに階段を上っているのを見かけたのだが、約束に遅れそうだったのか何だったのか、とにかく急いでいるからといってそのまま横を通ってしまったのだ。外で困っている人を見たら極力助けるようにしている(*1)が、このときばかりは見捨ててしまった。以来、自分のこの行いは果たして正当化されうるのだろうかとしばしば考えるのである。
障害のある方やお年寄りなどを助けるのは確かにちょっとした善行ではあるだろうが、しかしそれほど美談というわけでもない。誰であっても初めから困ることのない社会こそが理想であって、我々はそこを目指さないといけないと思うのだ。現実的にはそうした理想の実現は困難であり、障害のある方などに不便を強いてしまっているわけである。例えば、仮に街の各所にエレベーターがあれば交通弱者の不便は減らせるだろうが、そうしたものを設置しないことによって税負担が軽減されているという側面はあるだろう。所詮手助けなんて、金を惜しんで不便な社会を作り上げてしまった強者側のせめてもの罪滅ぼし程度のものでしかない。

自分に余裕のない状態では、なかなか他人を助けようという気にはなれない。私はしばしば「幸福な王子」のストーリーを思い出すのだが、この世界には無数の差別や貧困が存在していて、それら全てを解決するのには無限のリソースが必要となる。ここで私はジレンマに直面する。すなわち、持ちうる限りのリソースを極限まで他人に割いて「幸福な王子」となるのか、それとも問題があることを知っていながら、そしてそれを少しでも改善できるであろうリソースを持ちながら、敢えて見殺しにするのかである。
私は結局のところで利己主義者であるから、他人を見捨てることで浮くリソースと、他人を助けることで得られる快感を天秤にかけて、心が傾いた方をとるだけである。その意味で私の"優しさ"は優しさでなく、単なるエゴイズムの産物だ。かつての私は自分の持つ善性を純粋に信じていたが、今やそんなものは信じていない。考えれば考えるほど、自分さえよければそれでいいという自らの冷酷さが浮き彫りになるばかりである。
以前、性犯罪の被害にあったという人から、「本を読んで、女性の人権等についてもっと勉強し、もっと考えを深めてほしい」「よりよい社会を作るため、できることをやっていこう」という趣旨のことを言われた(*2)。しかしながら、それをする時間が惜しいこともあって、薦められた本は未だに一冊も読んでいないし、何かできそうなことを新たに始めたということもない。「これ以上自分の時間などを割いて何かする必要があるのだろうか。それは政治家の仕事だろう」ともしばしば思う。だが、政治家を選ぶのは結局我々国民である以上、政治家に「仕事」をしてもらうためには我々が賢くなるしかない。自らの怠惰と吝嗇の正当化が単なる欺瞞に過ぎないことをよく自覚しながらも、私は尚欺瞞の内側に篭り続けているのだ。

(*1)とはいえ、あまり街に出ないこともあって実際に人助けをしたことは人生に数度しかない。
(*2)一応、私の人権意識が普通より著しく低いと非難する意味ではないだろう。

2020年7月17日金曜日

エピソード集

私にまつわるエピソードを改めてまとめて、打線を組んでみた。
1 左 キャンパスにゴーヤを植えたが撤去された
2 遊 母親にゲイだと勘違いされた
3 中 卒研発表会で後輩に質問したらTwitterアカウントをブロックされた
4 三 マッチングアプリを始めたら自己紹介文をTwitterで晒された
5 一 買っていたサプリに違法成分が混入し出荷停止措置
6 右 国語教師のフォロワーをけしかけてブログ記事で授業を作らせた
7 二 自作の絵「花」をスマホカバーにして精神状態を心配された
8 捕「先生の本棚」に自作の問題集を設置
9 投 クリスマスプレゼントにハタハタをおねだり
・キャンパスにゴーヤを植えたが撤去された
ゴーヤの苗を7本買ってきてキャンパスの敷地に勝手に植えていたが、全て引っこ抜かれた。cf. 「頓挫」

・母親にゲイだと勘違いされた
「オカマはやめてよ」と言う母親に「誰かが好きという気持ちは、その定義上、他の人にやめろと言われてやめられるものではないはずだ。よってその発言は意味をなさない」と指摘したところゲイだと勘違いされた。 cf.「読解力の重要性を示す1つの事例」

・卒研発表会で後輩に質問したらTwitterアカウントをブロックされた
学科の後輩に「先輩、卒研発表会には来ないでくださいね」と釘を刺されていたが、それを無視して当日会場に行った。質問タイムで真っ先に手を挙げて今後の展望について質問したところ、後輩はうまく答えられず困ってしまった。翌日Twitterを見たらアカウントをブロックされていた。

・マッチングアプリを始めたら即座に自己紹介文をTwitterで晒された
マッチングアプリを始めて数日、いつものようにTwitterをしていると、私の自己紹介文のスクリーンショットがリツイートされてタイムラインに流れてきた。私とマッチしていた人による仕業だった。その人はこちらからお断りすることにした。cf.「マッチングアプリ 」

・買っていたサプリメントに大麻の違法成分が混入し出荷停止措置
エリクシノール社からCBDオイルを購入して一ヶ月ほど経った頃、違法成分「THC」が混入した疑惑で当該の商品が出荷停止措置となってしまった。翌年、実際にTHCが入っていたのが確認されたと厚労省から報告が出ていた。現在は出荷が再開されている。

・国語教師のフォロワーをけしかけてブログ記事で授業を作らせた
Twitterのフォロワーに中高で国語の先生をやっている人がいる。その人が酒に酔って判断力が鈍っていたのをいいことに、「無KのKの記事で授業を作る」と約束させた。「なんでこんなことやっているんだろう」と言いながらもちゃんと授業案を考えてくれて、パワポで資料を作って私の前で授業してみせてくれた。題材は「だから私は「おはよう」という」だった。ちょくちょく挟まれるネタを除けば案外文章としてちゃんとした構成になっているという話だった。

・自作の絵「花」をスマホカバーにして精神状態を心配された
3000円ほど払って「花」をスマホカバーにしてもらった。それを見た母親の感想は「なにこれ?あんた大丈夫?」だった。

・「先生の本棚」に自作の問題集を設置
小学校6年生の頃、教室の後ろに先生おすすめの本が並べられたコーナー「先生の本棚」があったのだが、そこにコピー用紙を冊子状にして自分で作った問題集を勝手に置いていた。cf.「クイズパズル迷路本」

・クリスマスプレゼントにハタハタをおねだり
小学校中学年の頃、クリスマスプレゼントとしてハタハタを欲しがった私は、サンタさんへのお手紙に「ハタハタ」と書いた。その年のクリスマスの日、起きてみるとクリスマスツリーの下に発泡スチロールの箱が置いてあり、中にハタハタが入っていた。スチロール箱には「渡辺水産」と書いてあった。渡辺水産とは、祖父が懇意にしていた水産加工業者だった。私はそのときサンタさんの正体が家族であることを悟った。