2022年2月9日水曜日

そこそこ止まり

これまで色々な文章を書いてきた。それなりに面白く読み応えのある文章を書いてきたものと自負しているし、実際、何人かの友達は私の文章を評価してくれた。しかしながら、自分ではこの面白さは「そこそこ止まり」に過ぎないものと感じている。もっと面白いものは他にいくらでもあるのだ。私の文章にファンがいると言ってもごく限られた人数であり、到底これで食べていくには及ばない。そこそこ面白いが、お金になるほど面白い文章ではないわけだ。
文章が私に金銭的利益をもたらしたことはない。おそらく今後もないのだろう。では私は一体何のために書いているのか。その理由の一つに、思いついてしまうというものがある。そこそこ止まりの才能しかないのに、そこそこ止まりの才能ならある。だから、ふとアイデアが浮かんでくるときがあるのだ。自分なりにこれを形にすればそこそこ面白いものになるだろうという直感が働くだけに、これをアイデアのまま自分の記憶の彼方に消してしまうのはもったいないと感じてしまう。具体的な文章としてこの世界に残しておきたいという欲望が生じる。そのとき、私は文章を書かずにはいられなくなる。
私の時間は有限だ。本当はロクに需要のないブログなんか書いてないで勉強や研究をするべきだ。自分にそこそこ止まりの才能しかないのに、自分にはそこそこの才能があるという自負が私に文章を書かせてしまう。
このそこそこの才能は果たして自分を幸せにしているのだろうか。なかった方が私は幸せだったのではないだろうか。鶏鳴狗盗というのは、くだらない才能でもたまには役に立つという意味の四字熟語だ。そうであってほしいと願っている。

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