文章が私に金銭的利益をもたらしたことはない。おそらく今後もないのだろう。では私は一体何のために書いているのか。その理由の一つに、思いついてしまうというものがある。そこそこ止まりの才能しかないのに、そこそこ止まりの才能ならある。だから、ふとアイデアが浮かんでくるときがあるのだ。自分なりにこれを形にすればそこそこ面白いものになるだろうという直感が働くだけに、これをアイデアのまま自分の記憶の彼方に消してしまうのはもったいないと感じてしまう。具体的な文章としてこの世界に残しておきたいという欲望が生じる。そのとき、私は文章を書かずにはいられなくなる。
私の時間は有限だ。本当はロクに需要のないブログなんか書いてないで勉強や研究をするべきだ。自分にそこそこ止まりの才能しかないのに、自分にはそこそこの才能があるという自負が私に文章を書かせてしまう。
このそこそこの才能は果たして自分を幸せにしているのだろうか。なかった方が私は幸せだったのではないだろうか。鶏鳴狗盗というのは、くだらない才能でもたまには役に立つという意味の四字熟語だ。そうであってほしいと願っている。
このそこそこの才能は果たして自分を幸せにしているのだろうか。なかった方が私は幸せだったのではないだろうか。鶏鳴狗盗というのは、くだらない才能でもたまには役に立つという意味の四字熟語だ。そうであってほしいと願っている。
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