「彼女か!」
と咄嗟にツッコんだ後、
「いや、えんやでえんやで、男同士で付き合っても」
とフォローした。私は、そのフォローを聞いて、真面目な人なんだなと思った。
ツッコミの一つの基本的な役割として、「ボケ」の異常性を指摘することにより「ボケ」が笑いの対象であることを明確にする、というものがあるだろう。「ボケ」と「聞き手」の間に境界線が引かれることで、聞き手は境界の向こう側の「自分とは違う」人間を安心して笑うことができるのだ。
しかし、このツッコミが持つ「分断」の作用はポリティカルコレクトネスの概念とやや相性が悪い。多様性の実現を目指す現代の世界において重要なのは「包摂」である。一見異常なように思えても、それは単に多数派と違う少数派というだけだ。そして、少数派を自分と同じ側の人間として迎え入れるのが政治的に正しい態度というものだ。極端な話、
「布団が吹っ飛んだ!」
「なんでやねん!布団が吹っ飛ぶわけないやろ!」
しかし、このツッコミが持つ「分断」の作用はポリティカルコレクトネスの概念とやや相性が悪い。多様性の実現を目指す現代の世界において重要なのは「包摂」である。一見異常なように思えても、それは単に多数派と違う少数派というだけだ。そして、少数派を自分と同じ側の人間として迎え入れるのが政治的に正しい態度というものだ。極端な話、
「布団が吹っ飛んだ!」
「なんでやねん!布団が吹っ飛ぶわけないやろ!」
というやりとりが
「布団が吹っ飛んだ!」
「うんうん、そういうこともあるよね。大丈夫だよ。君の布団が吹っ飛んでも、私はずっとここにいるよ」
「うんうん、そういうこともあるよね。大丈夫だよ。君の布団が吹っ飛んでも、私はずっとここにいるよ」
という風になるのである。まあこんな極端なことにはならないだろうが、ここまで来るととんだボケ殺し、こちとら商売上がったりだ。
だからどうすべきだというのは私にはよくわからない。これはこれで良い傾向なようにも思われる。ともかく、ポリティカルコレクトネスの概念が、笑いを作る行為に潜む本質的な難しさを浮き彫りにしているのは確かだろう。
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