2018年7月8日日曜日

オウム真理教に抱く恐怖感

麻原彰晃らが刑死したそうだ。

オウム真理教による一連の事件を眺めてみて、改めて恐怖を覚えた。
彼らは、1995年まで数々の事件の揉み消しに成功している。その上、地下鉄サリン事件にしても、確定的証拠が見つかって検挙に至ったわけではなく、微罪で逮捕した林郁夫の供述によって教団の関与が明らかになったのだという。教団がもっと狡猾で、もっと"うまく"やっていたならば、もっと長期に渡って凶悪犯罪を犯しつづけることが可能だっただろうし、大量のサリンでもっと大規模なテロを行うことも可能だっただろう。そしてそれは、(荒唐無稽な指示を出していたと言われる)村井秀夫に代わって、例えば土谷正実などが指揮をとっていたら、くらいの違いで実現されていたのではないかと感じられるのだ。
更に、教団は敵対する者に平気で口封じをする体質であった。教団は初期に脱走しようとした男性信者を殺害したことを皮切りに、教団内部の人間であっても殺人を実行してきている。地下鉄サリン事件の実行犯の一人である林泰男は、自分がリンチを受けることを恐れてサリン散布を実行したのだという。人を殺すという判断がとても他人事には思えないのである。首を絞めるだとか、刺すだとか行った直接的な殺害と違って、サリンを撒いて逃げたり、あるいは彼らの送迎役を担ったりするくらいなら、マインドコントロールを受けたり追い詰められたりすれば自分でもできそうな感じがする。それがどうにも恐ろしい。

私がオウム真理教の事件について初めて知ったのは確か小学生の頃で、誰かは忘れたのだが、担任の先生から聞いたのだと思う。そのときに、「オウム真理教の事件では頭のいい人たちが大規模殺人を犯した。君も頭がいいけれども、そういうのに引っかからないよう気をつけなさい」といった感じのことを言われたのを、未だに引っかかりをもって覚えている。私は、自分はもしかしたら犯罪者になるのではないかという恐怖感をずっと持っている。オウム真理教の事件は、ゆがんだエリート意識の結果として語られることも多いが、私は単に洗脳の結果であって、カルトに付け込まれる余地も、殺人犯になる素質も、ほとんど誰もが持っていると考えている。エリートが重用されて殺人の計画や実行に抜擢されただけだ、そもそもエリートだけではサリン事件は実行できず、それ以外の様々な信者がいなければサリンを作る資金もなかっただろう、という意見である。
しかし、確信は持てない。私は、小学生のときのあの先生の言葉を思い出すたびに、あの先生は「自分は犯罪者にはならない、自分には関係ない」と思っていたのではないかと考えて苛立ちを覚えたり、いやむしろ普通の人はどうやってもサリンを撒くなんてできなくて、サリンを撒けると思える自分の方が異常なのではないかと不安に思ったりして、色々な考えがないまぜになった、得体の知れない恐怖感を覚えるのである。

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