2018年7月1日日曜日

「続かぬ家計簿」の話

おととい、次の記事を投稿した。

続かぬ家計簿

これは私が2018年に書いた記事の中で今のところ一番のお気に入りである(*1)。これができるまでの経緯を述べていこう。
この記事は、書き始めたときのコンセプトは「家計を測ろうとすると測れなくなるパラドキシカルな関係」であった。したがって、
つまり、家計簿をつけることそれ自体が家計にバイアスをかけるという構造がある。家計簿をつけることで知りたいのは私の平均的な支出であるのに、家計簿をつけるせいで支出が抑制され本来の支出を見ることができない。ちょうど、pHを調べるためにpH指示薬を加えるとそれによって水素イオン濃度が変化してしまうのと同じである。
のあたりで終わるつもりだった。友達がblogを更新しろ更新しろと急かすので、あまり面白くならなさそうで放置していたネタを使って一つ書いて見たものの、案の定あまり面白くならないなあと思っていた。サクッと仕上げてサブブログ送りにするかと考えつつ、シメとして
これを克服するためには家計簿をつけ続けるしかない。それは分かっているのだが、家計簿をつけるのはとにかく面倒なのだ。
 と書いた。ところが、ここから次の文が浮かんだ。
つけるべきだという理念と、つけるという実践の間には大きな隔たりがあるのだ。人類は世界平和を実現すべきであるのに、なかなか世界平和を実現できないのと似ている。
 この、「人類は世界平和を実現すべきであるのに、なかなか世界平和を実現できないようなもの」というのは、昔から宿題への着手を延々遅らせたり夜更かししたりして親に怒られたときにいつも使っていた(*2)論法で、私には馴染み深いものだった。このため、先ほどのシメの文からスムーズに思い浮かんだ。
改善されたので、やっぱり無KのKにしようかと思った。しかし、オチが少し弱いなと思った。先ほどのpH指示薬と合わせて、比喩が特徴的な文章になったので、天丼になるよう
ちょうど、人類は世界平和を実現すべきであるのに、なかなか世界平和を実現できないのと同じである。
と改めた。さらにここから少し悩んで考えて、先ほどのpH指示薬からの連想で、蛍光物質が思い浮かんだ。これは、おとといが蛍光プローブが活躍する論文(*3)についてのセミナーの当日だったためである。統合自然科学科で幅広いことを学んで数学物理化学生物の全てが分からない人材と化しているが、幅広い知識もたまには役に立つこともあるものかと思った。
さて、細胞はデリケートで、蛍光観察が細胞に及ぼす影響はpH指示薬よりも大きい。この知識と、先ほどの比喩を活かして次のように論を展開した。
今まで述べてきたように、家計簿はpH指示薬であって、かつ、細胞を光らせる標識でもあり、更には世界平和でもあった。その類推でいくと、私の場合も、家計簿をつけ続けるとそのダメージで死んでしまうかもしれない。人類も、世界平和が実現されればそのショックで滅亡してしまうかもしれない。
「測ろうとすると測れなくなるパラドキシカルな関係」「理念と実践の間の隔たり」という「構造」の類似性を述べた文章だったのを、対応関係をすり替えて話を混乱させてみた。ここまでくれば結論を書くのは簡単だった。
こう考えれば、私が家計簿をつけないことは人類の滅亡を防いでいるといえるのではなかろうか。こうなってはやむをえない。大変不本意ではあるが、家計簿をつけるのは諦めるより他にない。
あとは推敲して表現と話の流れを整え投稿するだけだった。とはいえ、サクッと適当に投稿するつもりだったのが、きちんと推敲すべき文章になった結果、予想より大幅に時間がかかってしまった。
こういうこともあって私は院試勉強に集中できていない(*4)のである。

(*1)ちなみに2016年は読解力の重要性を示す1つの事例、2017年は砂漠で砂を売る23の方法である。
(*2)使っては屁理屈を言うなと余計怒られていた。
(*3)「メモ: 最近読んだ論文(2018年6月その2)」の2)を参照。
(*4)「院試勉強に集中できない」を参照。

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